第9話

 両手に花、ミサキとランと手をつなぐという人生でも初めての経験。

 しかし、あまりにも現実味のない僥倖に、なにか悪いことが起きるんじゃないかという不安がつきまとう。


「ミサキさんミサキさん! ハカセの手、ものすごい汗でベチャベチャしてますね!」

「うるさいよっ!」


 ランのまったく物おじしない、ある意味ボクの尊厳をまったく度外視した発言に思わず声を荒げて手を振り払ってしまった。


 ランの顔が一気に暗くなり、涙が流れる準備完了という感じになっていた。


「ごめんなさい。私……」


 ミサキも生気の抜けた表情で、この世の生まれを嘆くようにつぶやいた。


「違うんです! ゾンビは目が悪い分、音や匂いに敏感なんだ。だからあんまり騒ぐとゾンビが集まってきちゃうんだよ。静かにするなら、ほら……」


 ボクはミサキとランの手を握った。

 向い合って握ったために、ボクと二人の向きが互い違いになり、慌てて握り直す。


「さすがハカセですね。ミサキさん、ハカセについていけば間違いないですよ。あ、いっけなーい! 声出しちゃいけないんでした。これからはモールス信号で話しますね」


 ランはそう言うと、ボクの手をギューっと握ったりキュッキュと力を込めたりして、何かの信号を送ってきた。


「ごめん、モールス信号がまったくわからない」

「そんなのあたしだってわかりませんよ。勘でやってるんですから、上手いこと読み取ってください」

「それは信号じゃなくてテレパシーだ」


 ボクとランのやり取りを見て、ミサキは微笑んだ。


「ランちゃんとハカセくんて、お似合いですよね」


 お似合いって一体どういうことだ。


 ランを見ると、うつむいてプルプルと震えていた。

 とんでもない地雷原に踏み込んでしまったのではないかと心配していたら、ランがガバッと顔をあげる。


「あ、あたしとハカセのどこがどう似合ってるっていうんですか! 全然似合ってませんよ。アリとキリギリスの方がまだお似合いなくらいですよ! だからといって嫌いなわけじゃないけど、全然まだまだ好き未満! 好き度ランキングで言うと桔梗信玄餅の次くらいです!」

「ランちゃん、桔梗信玄餅好きじゃない」

「それは好きですけど! それとこれとは関係ないじゃないですか! ミサキさんがそんなこと言うから意識し始めちゃってあたしとハカセがギクシャクして最終的に命のやり取りをすることになっちゃうんですよ」


 なんだろう、ツンデレという概念に似てる気がするんだけど命のやり取りまで発展するケースをボクは知らない。

 好意的に思ってるのだろうということは、わかるのだけど、わかりやすすぎて逆に全然わからない。


「ランは、思ったこと全部言うね」

「まだまだですよ。これでも抑制して言っちゃ悪いかなーってことは我慢しまくってるんです。もしあたしが全てのパワーを開放して話し始めたらすごいことになりますよ。ニキビでちゃいますから」

「ニキビ程度か」

「オーノー! ニキビは女の子にとっては世界平和と天秤にかけられるくらいの一大事ですよ。ねー、ミサキさん? そんなこともわからないなんてハカセはハカセのくせにハカセ不足もいいところじゃないですか」


 ハカセ不足という指摘を受けたのは生まれて初めてだったし、おそらく人類史上でも数少ない欠点なのではないかと思いながらボクたちは進んだ。

 しばらくするとミサキが手をしきりにギューギュー握ってきた。


「どうしたんですか、ミサキさん?」

「モールス」


 ミサキが困惑した表情でそう訴えかけるので、周りを見回すと、道路の先にゾンビがゆらゆらと佇んでいた。


 ボクは一旦二人から手を離して、辺りを警戒した。

 片側一車線の道路だけど、車が走ることのない今は妙に広く感じる。

 道路に面した家の前には持ちだそうとして諦めたのだろう、家財道具が雑然と積まれている。


 あのゾンビの前をすり抜けて行くのはどうにも微妙な気がする。

 見えない家具の物陰に別のゾンビがいないとも限らない。

 ボク一人ならともかく、ミサキとランがいる以上危険な賭けは出来ない。

 迂回すべきか、と考えた時にアイデアが閃いた。


 無言で二人に下がっているようにうながすと、ボクは近くにあった空き缶を、道路の奥に放り投げた。

 音でゾンビの注意を引いている間にすり抜ける作戦だ。

 放り投げた空き缶は、想定していた場所とは全然違う方向に飛んでいった。

 しかし、運の良いことに、塀の上に置いてあった鉢植えに当たり、鉢植えが落下した。

 落下した先は、適当なバランスで積まれた家具の山。

 鉢植えが落ちた衝撃で、積まれていた家財道具が雪崩を起こす。

 そして、行く手を阻んでいたゾンビの上に崩れ、身動きを取れなくした。


 結果オーライである。


 振り返ると、ミサキは感心したような笑顔で、音を立てずに拍手の真似をする。


「今、あたしの中で桔梗信玄餅を超えましたね」


 ランは尊敬で瞳をキラキラとさせてボクを上目遣いに見える。


 超ファインプレーにより、道は開け、ボクたちは余裕を持って進むことができた。


 家に戻り、カメラとノートを持ちだした。

 いつも見慣れていた家は、なんだか懐かしさや切なさや、わけのわからない感情がこみ上げてきそうで正直、あんまり直視できなかった。


 来た道を戻るだけ、という余裕が出たせいか、なんだか足取りも軽い。

 手を繋いで歩くというのはまるでデートのようで、この状況を単純に嬉しく感じられた。

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