第8話

 朝日が差し込み、目が覚めた。

 静かだ。

 街の喧騒なんてものは何もない。

 まだ早朝で人々の生活がはじまる前ではあるけど、車が通る音もなく、今まで気にしたこともなかった鳥のさえずりだけがやたら聞こえてくる。


 起き上がって周りを見回した。

 一階の店舗の座敷で毛布にくるまって寝たのだ。

 カウンターの側ではジャックが寝ている。

 ランとミサキは上の住居部で寝ているらしい。


 この光景は夢じゃない。

 昨日あったとんでもない出来事も全部現実だ。

 信じる。なんて言葉は、曖昧で疑う余地のある状況でしか使わない。

 信じようと信じまいと、目の前に起こっていることは否定出来ないからだ。


 ジャックを起こさないように、音を立てないように注意して、ドアにバリケードとして立てかけてあるテーブルを動かす。

 テーブルを移動し終わってドアに手をかけた時に、背後からジャックの声が飛んできた。


「逃げよるんか、一人で」

「そうじゃない。忘れてた荷物を取ってくるだけ」

「さよか、ほなランとミサキさんと一緒に行き。守ってやってくれや」

「ボクなんかより、ジャックの方がいいだろ」

「アカンねん。ワイは今動かれへんねん」


 ジャックは横たわったままそう言った。

 どこか悪いのだろうか?

 昨日のあのとんでもない動きでは身体が悪そうには見えなかったが、ひょっとしたら無理をしていたのかもしれない。


「大丈夫? そんなんでもし襲われたら」

「そんときゃそんときや。せやけど今は動きたないんねん。ワイのこだわりや」


 身勝手な命令だ。

 相手の事情を知ろうともせずに、自分のことだけを考えて勝手なことを言う。

 ボクが女の子二人を守れるわけないのに。

 ひょっとして監視しようとしてるんじゃないだろうか。

 せっかくの奴隷に逃げられたら困るとでも思ってるのか。

 思わず奥歯に力がこもってしまう。


「わかった。一緒に行くよ」

「ええか、絶対に戦おなんて思わへんことや。逃げられるうちは逃げえ」

「当たり前だろ。ジャックじゃないんだから。ボクは平和主義者なんだよ」


 こっそり一人で荷物を取りに行くはずだったのに。

 ただ、何を取ってくるのか詮索されなかったのはありがたかった。

 それは、書き溜めた脚本やコンテ、カメラなどだからだ。

 そんなものを見せて、どういう反応が返ってくるかなんてバカでも想像できる。

 こんな状況で映画を作ろうなんて、言い出す奴がいたら気が狂ってると思う。

 だけどボクにはもうすがるものが何もないんだ。

 少なくとも、今までの日常を、そしていつか戻ってくる未来を感じられるものが手元に欲しかった。

 それがカメラだ。


 カメラは日常に壁を作る。

 そこに写し取られた映像は、どこか日常とは薄壁を隔てた嘘の混じったものになる。

 誰しもカメラを向けられると、いつもとは違うことを意識してしまうものだ。

 それはきっと、こんな世界だからこそ救いになるように思えた。

 カメラの前で快活に笑うラン、照れながらもポーズを取るミサキ。

 そんな光景を想像した。

 あくまで想像だ。

 むしろ妄想と言ってもいい。

 なにせその映像の中の二人の格好はとても人に語れるものではなかったのだから。


 ランとミサキと一緒にでかけることになって、あの映像がよぎりどうにも挙動不審になってしまう。

 ミサキはランの背中に隠れたままボクの後ろをついてくる。

 重苦しい空気を抱えたまま、三人で進んでいく。

 なにしろ、ゾンビがいるところは避けて通らなければならないし、警戒して先を伺いながら慎重に進んでいくために歩みが遅い。

 ゾンビの緊張と女の子二人との気まずい緊張、ダブルの緊張で精神が疲弊し、休憩をしたくなったところは、店舗からまだ200mくらいしか離れていなかった。


 ふいにミサキがボクに話しかけてきた。


「あの……」


 ボクが言葉に反応して振り返ると、それだけでミサキは足を使うボクサーがスウェーバックをするように身体を逸らした。

 気持ちはわかるが、嫌われているみたいでちょっと傷つく。


「ミサキさん、頑張リングです!」


 ランがミサキにそう言うと、ミサキは頷いて再び話しかけてきた。


「あの……手を……」

「テオ?」


 言葉の内容がよくわからず、ボクが首を傾げると、ミサキはゆっくりと手を伸ばしてきてボクの手を掴んだ。

 手か!

 手を繋ごうという話か。


「ミサキさん、勇気ドクドク振り絞りまくりましたね。すごいです。冷戦時代の米ソ首脳が握手をしたくらい、価値のある一手ですよ」


 そう言ってランはボクのもう片方の手を握ってきた。

 両手に花状態だ。

 しかしなんというか、これはこれで身動きができない。

 あと距離が近い。

 手を握り合ってるからというのもあるだろうが、どっちを向いても女性の顔という、そんな状況がボクの脳をオーバーヒートさせる。

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