第7話

 飛び出してきたランを見ながらボクはつぶやく。


「そんなドッキリ大成功みたいな感じで出てこないで欲しかった」

「何言ってるんですか。せっかくミサキさんが勇気を出して言ったんですから協力してください」

「だからボクは誠心誠意ミサキさんとの恋を成就させるために」

「恋です?」


 ランがミサキにそう聞くと、ミサキはプルプルと首を横に振った。


「いや、だって男と女のって」

「そうです。ミサキさんは男性恐怖症を克服するために、男としての魅力がほとんどない植物性男子のハカセを実験台に、慣れていこうと頑張ってるのです」

「そういうことなのー!?」

「そういうことです」


 ボクが全身を脱力させて崩れ落ちると、ミサキが小さい声で答えた。

 わかっていた。

 そんなうまい話があるわけないことくらい、ちゃんとわかっていた。

 わかっていても、悲しいことってあるじゃない。

 もはや草食系ですらない、ただの雑草みたいに言われたボクは一体どうすればいいのだ。


「一緒に頑張りましょう」


 そう言ってボクは残された全エネルギーを注ぎ込んで笑顔を作った。


「あ、ありがとう。頑張る。あの、できればもうちょっと鼻息を静かにしてもらえたら」


 ミサキははにかみながらそう言った。


 死体に鞭打つとはこのことか。

 そんなに鼻息荒かったか。

 ゾンビが徘徊する信じられない世界。

 この瞬間に世界が滅んでしまったとしても、ボクは割と後悔しない気がする。


 ランとミサキはそう言って階下に降りていった。


 しかし、ジャックとはどうなんだろう。

 一人になってようやくそう思い至った。

 いままで3人でこの世界を生き抜いてきたはずだ。

 ランとは兄妹だというけど、ミサキに対してジャックはなにか遠慮しているようにも見える。

 ミサキがジャックに対してどう振舞っていたかはいまいち思い出せない。


 男が苦手という概念から言えば、ボクなんかよりもジャックの方がずっと男っぽい。

 粗野で野蛮で暴力的で短絡的で、男の嫌な部分を寄せ集めたタイプだ。

 思わぬ女子との遭遇で有耶無耶になっていたけど、ボクはジャックを好きになれないだろう。

 ああいう、他人に暴力を振るえるタイプの人間とはなるべく距離をおいて生きてきた。

 今思い出しても、殴られた時の悔しさが湧き上がってくる。


 きっと一緒に行動してきたランやミサキにとってはいい人なんだろう。

 誰かにとってのいい人が、誰かにとって天敵だということもある。

 本当はどういう人なのか、なんてものは関係ない。

 今のボクにとって、ジャックは傲慢な暴君に過ぎない。

 どうやってここから逃げようか、ということも考えてしまう。

 ずっとジャックに支配されて、命令されるままに生きていくなんてゴメンだ。

 だけど、ゾンビが徘徊する世界というのを考えると、一人で逃げてどうにかできるとも思えない。


 思えば幸せだった。

 社会にも、学校の奴らにも、家族にも不満はあった。

 だけど、そんな不満から目をそむけ、自分の想像の世界で羽根を伸ばすことができた。

 映画監督になるという夢があった。

 それは、飢えることもなく、暴力を振るわれることもなく、明日の命の保証もあるからこその夢だったのだ。


「かまへんか?」


 今度声をかけてきたのはジャックだった。


 反射的に嫌悪感が湧きだして身構えてしまう。


「別にいいけど、なに?」

「自分、思ったより根性座っとんな」

「そんなことないよ」

「ミサキさんなんやけどな。ちょっと難しい思うかも知れへんけど、ええ子やねん。今はしゃぁない時なんや」

「そんなこと言ったら、みんな悪いやつじゃない。ボクだって。ゾンビになったやつだって。誰も悪いやつなんていない」

「せやけど、ちゃうねん。ワイらは四人やってん。ワイとランとミサキさんと、あともう一人。ロメオっちゅうやつがおったんやけどな。一昨日、三人になってん」


 詳しくは言いたくないのだろう。

 そしてそれ以上言わなくても分かった。


 ロメオはゾンビにやられたのだ。

 人の死に向き合うというのがどういうことなのか、ボクには実感はない。

 それがゾンビになるなんてまるっきりフィクションだ。

 しかも、一緒に逃げ、命を支えあった仲間がそうなってしまうなんて想像もつかない。

 それはつらい体験だったのだろう。

 ただ静かに涙を流すミサキの顔が思い浮かんだ。


「ロメオはミサキさんが唯一心開いた男やってん。正味、ワイも怖がられとるみたいやしな」

「そうだったんだ」

「せやからロメオの代わりっちゅうわけやないけど、自分も気いつかってくれへんか」

「ボクは誰の代わりでもないよ!」


 ジャックに対する嫌悪感からか、思わず強く否定してしまった。

 別にミサキに対して気を使って振る舞うくらいは何の問題もないはずなのに。

 あまりにも大きな声で反発してしまったため、ジャックの逆鱗に触れてまた殴られるんじゃないかと警戒する。


 しかし、ジャックは僅かに吐息のような笑い方をする。


「そらそーや」


 そう言って階下に降りていった。

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