第6話

 ジャックと一緒に戻った場所は元飲食店だったらしい。

 小さな小料理屋と言った感じだろうか、こういう雰囲気の店に入ったことはない。

 店の半分くらいがカウンターのキッチンとなっていて、その向かいが座敷になっている。

 ドアの脇にはテーブルと椅子が立てかけられ、バリケードにしようとしていたらしい。

 今のところ、まだ水道と電気はきているそうだ。

 だけど、これがいつまで使えるのかもわからない。


 ランとミサキは座敷に上がって座っていた。

 ジャックはカウンターにボクの家から持ちだした食材を並べてチェックしている。


 ここでしばらく生活をしなきゃならないのか。


 聞けばランはボクと同じ15歳。

 ミサキは17歳だという。

 わずかにランの方が誕生日が早く、この中でボクは最年少だ。

 成人が一人もいない集団で学校のような空気すらある。

 力関係としてはボクが一番使い走りにされそうな気がする。


 敬語はなしとジャックは言っていたが、同世代や年上の女性に対して、普通はどういう感じで話しかければわからない。

 学校生活ではそういうシチュエーションは一度も訪れなかった。


 ジャックは、だいたい誰に対してでもあんな感じなのだろう。

 そもそも関西弁に敬語という概念が存在するのかどうかもボクは知らない。


 ボクはどうしたらいいのか思案にくれ、奥の階段を登った。

 二階は事務所と住居になっていた。

 慌てて必需品を持ちだしたのだろう、雑然と物や衣服が散らばっている。

 窓からは日の落ちかけた町並みが見えた。

 街灯は自動的につき、マンションなどの玄関にも明かりが灯っている。

 しかし、そこには人の気配がない。

 よく探せばゾンビもいるのかもしれないけど、そこまでする気にもならなかった。

 車も走ってない、音もしない。

 それを認識した瞬間、もう戻ることは出来ない世界にいることに気がついて胸の奥が痛くなった。

 勝手に眼の奥が熱くなり、涙を堪えると喉の奥からグゥゥという変な音が勝手に漏れた。


 なんでこんな目に。

 悔いるわけでもない。

 怒るわけでもない。

 ただ理不尽に対して涙が流れる。


「あの、メガネ、直してみたんだけど」


 不意に背後からそう声をかけられてボクは焦りながら袖で顔を拭って振り向いた。


 そこにはミサキがこちらに目を合わせずにメガネを差し出して佇んでいた。


 ランの紅に染まる流星膝蹴りでボクのメガネは吹っ飛んでしまった。

 ジャックが替えのメガネを持って来いと言ったのは、これを予見していたのだろうか。

 一応、ちょっと度が弱い古い予備のメガネを持ってきてよかった。


 ミサキの差し出したメガネは、フレームがぷら~んとゆるくなっていて、レンズにはセロテープがガチガチに巻いてあった。

 きっと生まれてから一度もメガネをかけたことがないのだろう。

 いくら透明だからといって、レンズにセロテープを貼ろうと言う発想はメガネ使用者メガナーにはない。


「大丈夫です。替えがあるから」

「でも、あの、メガネは大事だから。いざというときにも」


 ミサキはそう言うと、ボクにメガネを押し付けてくる。

 しょうがないので受け取るだけ受け取った。


 なんでこの人達は執拗にボクのメガネを重要視するのだろうか。

 ハカセだからか?

 ハカセのアイデンティティはメガネに宿ってるとでも思ってるのだろうか。

 ボクはメガネがなくてもボクだし、そもそもハカセなんていう昭和のマンガみたいなキャラ設定を受け入れたつもりもない。


「あの、私……」


 ミサキはそう言いかけて言葉が小さく消えていった。


 男の人が苦手というのは、本当なのだろう。

 なのにボクにわざわざメガネを渡しに来るなんて。


 そう思ってよく見ると、奥にランの複雑に編んだ栗色の髪の毛が揺れていた。

 どこから持ってきたのか、1メートルくらいの仏像の陰に隠れてこちらを伺っている。

 きっとミサキが心配でついてきたのだろう、バレバレである。


 ミサキはハの字に眉を下げてモジモジと指をいじる。

 それだけ男が苦手なのにわざわざ話しかけてくれたのは、なんだか嬉しかった。


「さっきは決して変態行為をしようとしたわけではないのに、うっかり手が滑ってしまい誤解を招く形になってしまってごめんなさい」

「うん……」


 ボクはしつこいくらいに不可抗力であることをアピールしてそう言った。


 ミサキは小さく返事をするとうつむいて黙りこんだ。


「大変だったんだよね」


 そんな捻りのない相槌をを合図に、ミサキの目から静かに涙がこぼれ始めた。


 ボクは女性の涙に対する対処法を知らない。

 肩を抱けばいいのか、慰めの言葉を言えばいいのか。

 たとえその正解を知っていたとしても、ボクにできるかはまた別問題だ。

 ただ、しゃくりあげるミサキを見つめるしか出来なかった。


 しばらくして、ミサキは再び顔を上げると、赤く晴らした瞳をこすって言った。


「私ばっかり、ごめんなさい。ちゃんとしなきゃダメなのに」

「ちゃんとしてるよ。メガネも助かった。気分によって変えたくなる時はよくあるから」


 セロテープが張られたメガネをかけたい気分になることは一生無いだろうけど、ボクなりに精一杯のフォローをした。

 なんだか、目の前でミサキが泣いてくれた分、ボクも不思議とすっきりとしていた。

 ボクが不安なのと同じく、誰もが不安なんだ。

 それで不安が消えるわけじゃないけど、どこかで救われる部分がある。


「あの、ハカセくんにお願いが……」

「はい。なんでも言ってください」

「私と……男と女の関係をはじめてください」


 ミサキからそう言われた時、ボクはどんな表情をしていただろうか。

 生まれて初めて女性から告白された。


 きっとこれは吊り橋効果というやつだろう。

 極限状況に追い込まれた男女は、お互いに惹かれ合ってしまうという。

 ゾンビ映画にもよくあるパターンだ。


 もちろん、ボクはいろいろなことを考えた。

 四人の中の関係のことや、これからの将来のこと。

 世界の情勢や、天気のことや、今履いているパンツのことなど。

 様々な情報が交錯し、脳内を駆け巡る。

 ありとあらゆる検討を重ね人類史上最も深く思索したと言ってもいいほどの熟考をした結果、0.02秒で答えを出した。


「ボクで良ければ」


 そう言ってミサキの手を握ると彼女は、ボクの手を振り払い怯えるように背中を向けて丸くなり亀のポーズを取った。


「ピー! ボディタッチは反則です!」


 仏像の裏からランが出てきてそう言った。

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