第3話

「ひょっとして、ゾンビのこと何も知らへんのか?」


 男にそう言われてボクのハートに火がついた。

 このボクに対して、そんなことを言われて黙っている訳にはいかない。

 ボクは親指と薬指でメガネのレンズの脇を挟み、位置を直して男を睨みつける。


「むしろ、ゾンビのことなら知らないことはないくらいです。ロメロは元より、そこから派生したパロディや亜流作品だってチェックしてます。ただし、ボクは走るゾンビは認めません。なぜなら走るゾンビはモンスターだからです。ゾンビ映画はモンスター映画とは違う。モンスター映画はモンスターが怖い物語。ゾンビ映画は人間が怖い物語なんです。一対一になれば勝てる程度の相手であるゾンビ、しかしそれが大量にやってくるために追い詰められ、閉鎖空間で煮詰まった時に起こるヒューマンドラマ、それこそがゾンビの魅力じゃないですか。モンスターが描きたいなら鉤爪やマスクをつけた狂人でも出せばいいんですよ。ゾンビは走らず、学習もせず、個性もいらないんです!」


 よどみなく、まくし立てたボクの言葉を、男は手を止めて見つめた。


 しまった。

 またやってしまった。

 こんなゾンビに対する情熱的な言説を言われたところで一般人はだいたい呆れるか、気持ち悪がるか、関わり合いにならないように引くだけだ。


「さよか。まぁ、言うてることはようわからんかったけど、ゾンビに詳しいことはわかった。ワイのことはジャックと呼びぃや。ほな、ワイについてきぃ」


 ジャックはスーパーの袋に雑に放り込まれた食料をこっちに投げてきた。


 ずっしりと重いその袋を胸に抱えたままボクは首を振る。


「なんでボクが行かなきゃいけないんですか」

「自分、ハカセやろ。せやったらアレやないか。その知性で人を助けなアカンやろ」

「いや、別になんの博士でもないけど」

「なにゆうてんねん、そのメガネが証拠やろ。ええから、こんなところにおってもゾンビにやられるだけや。い」


 ジャックは顎をしゃくってボクを促す。


 ジャックの言うことを全面的に信じられる気はしない。

 だけど、外の光景、うろつく美少女、そしてなによりも、こんな犯罪行為を行いながら、まったく罪悪感を抱いていない彼の自信を持った言葉。

 世界がおかしいのか、ボクがおかしいのか、少なくとも今、現実がおかしいなことは否定出来ない。

 しかしだ。


「嫌だ」


 ボクが毅然と断ると、ジャックは間髪入れずに頬を殴ってきた。


「自分、何のために生まれてきよってん!」

「生きようと死のうと勝手だろ」

「そや! 自分を生かそうっちゅうのもワイの勝手や! 生きたらんかい!」


 張られた頬が熱を持ち、悔しさと怒りが湧いてくる。

 ジャックを睨み返すと、彼は全くこちらを視界に止めず、窓の外を睨んでいた。


「たとえゾンビが家族や友人やったとしてもや。今は戦わなしゃぁないねん。心配せんでもええ。ワイは強いで」


 男はそう言うとスタジャンを脱ぎ上半身裸になり、腰を沈め、腕を前に出して深く息を吐いた。

 そして何事もなかったように再びスタジャンを着た。


「着るのか。なんで一瞬脱いだんだ」

「ええツッコミや。酔拳は知っとるか?」

「あの、お酒を飲んで戦うやつ?」

「それや。世界一有名で強い拳法や。せやけどワイはまだ16歳やさかい酒はあかんねん」

「16歳だったの?」


 正直もっと年上かと思っていた。

 ボクと一歳しか変わらない。

 その割には自信にあふれた風格、おっさん臭さすらある。


「酒の飲めへんワイが酔拳に勝つには。さんざん悩み、考え、飲まず食わず、眠りもせんと探し続けた。かれこれ40分位」

「短い!」

「ほんで開発したのがこれや――」


 ジャックは縄で吊るされた陶器の瓶を掲げた。

 瓶には黒い筆文字で『大勝利』と書いてある。


「――プロテインを溶かしたドリンクが入ってん。飲めば飲むほどホンマに強うなる。これぞ最強の拳法、プロ拳や」


 ジャックはそう言って瓶から一口飲むと、一気に飛び出しうつろな足取りの美少女に肩から体当たりをする。

 バランスを失い倒れる美少女のスカートをめくると、素早くパンティを掴んで下ろす。

 その屈みこむ動きのまま、次の美少女の足を払い、足が宙に浮いて地面に倒れるまでの間にパンティを横薙ぎに抜き取る。

 前進してきた美少女を半身ですり抜けて躱し、肘で背中を打ち付けると、その美少女はもうひとり向かってきた美少女と抱き合う形でぶつかる。

 そのまま二人の美少女は窓ガラスに当たり、けたたましい音を立ててガラスを突き破った。

 傷ついた少女の皮膚は赤黒くなったものの、そこから血液は流れなかった。

 倒れた二人の美少女の上に飛びつくと、ジャックは両手を使って一気に二つのパンティを下ろす。


 あっという間に四人の美少女の動きを制圧してしまった。

 床に倒れた美少女は意思の伴わない表情で倒れたままだった。

 本当に、こんな姿のモノがゾンビなんだ。


「一緒に来ぃや。ワイは自分を守ることはできる。せやけど、自分を救うのは自分にしかできへんねんで」


 こんな短絡的で暴力をふるう男についていきたくはない、けれどボクは頷くしかなかった。


 ゾンビの世界のことをずっと考えていたけど、ゾンビの世界を望んでいたわけではなかった。

 現実は頑ななまでに現実で、ボクの貧弱な力ではどうにもならない。

 だからこそ、ゾンビ映画という武器で引っかき傷をつけたかったのに。

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