第29話
しばらく進んだからだろう、耳を澄ましても音や気配がない。
ボクたちは広い通りに出た。
車道には車は当然走っていない。
少しでも周囲の状況が見えるようにと、広い車道の真ん中を塊になって進んでいた。
「ええやないかい。映画監督」
「うん。誰に笑われたって、ボクはもう恥ずかしくない」
「アホか。笑うやつなんておるかい」
「それでさ。カンフー映画を撮るから、主役やってくれないか?」
ボクがそう言うとジャックはこっちを向いたまま目を見開いて固まった。
「ジャックは面白く無いからボクチンに任せるでやんす! カンフー映画といえば女スパイがつきものでやんすから。ボクチンが完璧にセクシーするでやんす!」
チナミがカメラの前で跳びはねる。
「女スパイはそんなんじゃない。もっとミステリアスにしてくれ」
「おぉ! さすが監督。わかってるでやんす! こうでやんすね? アハァ~ン」
チナミは身体をくねくねさせたが、かゆいのを我慢している人にしか見えなかった。
「そないなこと言うたかてな。自分、そないな……。ま、さよか。そやな。しゃーないか。うん、しゃーないわな。せやかてあれやもんな。他におらんもんな。ま、ワイくらいしかおらへんやろな。しゃーないなぁ」
「嫌ならいいよ、無理言って悪かった。チナミの女スパイアクションにするよ」
「いやいやいやいや! やるがな!」
ジャックはそう言ってボクの手にすがりついてきた。
カメラを回すとランとミサキが笑っていた。
「そのためにはみんなで揃って生き抜かなきゃね。世界中の人はきっとプロ拳を見て度肝を抜かれると思うよ」
「当たり前やっちゅーねん。見せたるわ、ほんまもんのプロ拳の真髄っちゅーやつを!」
通りを進み、ヴィッチが数体佇んでいるところに出会った。
ジャックはカンフーベンチ抱えて駆け出し、大きく回転しながらヴィッチをなぎ倒す。
ボクはそれをカメラで撮った。
ヴィッチの出す腕をカンフーベンチに絡めてテコの原理で投げ捨てる。
「アハァ~ン!」
気の抜けた声を上げてチナミがジャックに大勝利と書かれた酒瓶を投げる。
ジャックはそれを煽って一気に飲み干すとプハーッと息をつく。
その動作の間に近づいてきたヴィッチを、振り向かずに後ろ蹴りで倒すと、カンフーベンチを起点にして身体を回転させる。
そしてカンフーベンチを倒れたヴィッチの胸の上に置き、上半身と腕の動きを封じた後にパンティを鮮やかに下ろした。
ジャックはこっちを向いてキメ顔でポーズを決めた後に言った。
「な、なんや。撮っとったんか。全っ然気づかんかったわー。言えやぁ!」
そう言って急に照れて帽子を脱いで頭を掻く。
絶対に気づいてたことは言うまでもないだろう。
たまにチラチラとカメラの位置を確認していたし。
「おおきにな!」
ジャックがボクの肩を叩いた。
なんだかその改まった礼が気恥ずかしい。
「なんだよ急に、気持ち悪いよ!」
「自分かて最初はえらいきしょ悪かったわ」
「お互い様だよ。ボクはね、本当はジャックのことなんて大嫌いだったからね。粗野で暴力的で人の内側に土足でズケズケと入ってきて」
「何ゆうてんねん、最中の皮かっちゅーくらい丁寧に扱っとってんで?」
いつの間にか、ボクはジャックとの距離感を掴んでいた。
ジャックはこっちが遠慮していても話にならない。
多少無礼なくらい大袈裟に言い返す。
来た玉を受け止めるのではなく、より強く打ち返した方がいい。
ボクの今までのコミュニケーションにはなかった方法論だ。
むしろ、こういう粗雑なやりとりは嫌いだったはずなのに、覚悟を決めてやってみると、強い感情がダイレクトにやりとりできているようで、妙に心地が良かった。
「おかげで……、おかげで、今は感謝してるよ」
「アホか」
ジャックは帽子のつばを深くかぶり直してそう言い捨てた。
「男って単純で羨ましいですね」
ボクとジャックのやり取りを見てランがそうつぶやいた。
「ボクチンもランのこと大っ嫌いだったでやんすよー」
「な、なんでですか? そんなこと言われたらショッキングです」
「でも今は好きでやんすぅ~! ブチュゥ」
「キャァ。ありがとうですー。うひっ、なんか大量のヨダレがズルっとついてます」
「ミサキもブチューでやんす!」
「大丈夫よ。ここはランちゃんに任せるわ」
「あたしもう十分もらいました。ヨダレズルズルいただきました」
そんなやり取りの後ろでヴィッチが壁際から顔を出した。
「危ないっ!」
思わず身体が動き、ボクはヴィッチに体当りした。
「ハカセ、大丈夫か?」
「大丈夫。けど、逃げなきゃ」
ヴィッチは後方に倒れたが、その影に数体のヴィッチが見えた。
「ほな、逃げるで。ラン、走れるか?」
「当たり前です。ランのランは英語のランですから!」
「言うてることはようわからへんけど、ミサキ、ランを頼むで」
「任せてください」
「行くで。ハカセ、遅れるなや!」
「あ、あぁ」
ボクはカメラのモニターを顔に近づけてみんなを追いかけた。
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