第19話
ドアをくぐると同時に、ハルマが両手でヴィッチをなぎ払う。
倒れたヴィッチに駆け寄り、ジャックはパンティに手をかける。
やはりそこには何も人間っぽい器官のついていないのっぺりとした白い肌が見える。
勢いついてでてきたボクだけど、実際に十数人の蠢くヴィッチの姿に足がすくんで動けなくなる。
小刻みな痙攣を繰り返し、活動を止めたヴィッチを確認して顔を上げると、他のヴィッチのパンティをおろしているジャックと目があった。
なにもできない自分がなじられているようで悔しい。
ハルマは相変わらず、ヴィッチたちをものともせずになぎ倒していく。
通路の奥からはさらに散発的にヴィッチがゆっくりと侵入してきていたが、ハルマの安定したガード力と突破力、ジャックのトドメの連携により辺り一帯はパンティを降ろされたヴィッチたちの亡骸に埋め尽くされた。
余裕じゃないか。
勝利の愉悦に酔い始めて油断したのか、ボクは横たわったヴィッチを踏み、足を滑らせて転んだ。
ちょうど尻餅をついたところにヴィッチの腕があったためにボキリという嫌な音が響いた。
その音が、いままで快調に倒していたヴィッチたちが、元は人間だったということを思い出させる。
なんだか急に頭が冷め、腹の奥から苦いなにかが登ってくるような気がした。
「どないした?」
なかなか立ち上がらないボクを心配したのかジャックが声を上げる。
その声につられてハルマがボクを振り返る。
運悪く、一瞬のその隙にヴィッチがハルマの脇を通り抜けた。
そのヴィッチの異常さにその場にいた全員が驚いただろう。
あろうことか、そのヴィッチは走ったのだ。
ヴィッチはドアを素早くくぐり抜けると女性たちが見守っている場所を目指した。
悲鳴を上げることしかできず、そこから逃げることも忘れた女性たち。
確かカンダが守っていてくれるはずだ、と見回すと、少し離れた場所で座り込みトウィンキーをかじりながら、驚いた表情でヴィッチを見ていた。
その無責任な行動に憤った時、目の前を猛牛が突進するかのようにハルマが駆け抜けた。
ボクもジャックに引き起こされて後を追いドアをくぐる。
女の子たちに迫りよるヴィッチにハルマは一気に追い付くと、その長い髪を掴み引き寄せた。
ヴィッチはハルマの胸に抱かれる形になり、そのままハルマは払い腰でヴィッチを地面に組み敷いた。
ジタバタと手足を素早く動かすヴィッチをハルマが体重をかけて抑えている間に、チナミが近づきスカートを派手にまくりあげてパンティをずりおろした。
すぐにヴィッチは動かなくなった。
「危機一髪でやんしたねぇ」
自分の活躍を誇らしそうにチナミが胸を張る。
「おい、もう大丈夫だ。パンツはおろしたぞ」
いつまでもヴィッチを抑えこんでいるハルマの肩をジャックが叩く。
それでもハルマは動かなかった。
「安心しろ、みんな無事だ」
再びジャックが声をかけるとそれをカンダが遮った。
「違うね。ダメだったんだろ?」
カンダがバールのようなものでハルマの腕を払う。
のそりとヴィッチから身体を離したハルマの丸太のような二の腕には丸い形にシャツに穴が空き、血があふれていた。
「噛まれたんだな。残念、ここまでだねぇ。なにか言い残すことはある?」
そう言ってカンダはバールのようなものを肩の腕まで振りかぶる。
「待ちいや! いきなりそない話あるかい!」
「何言ってんだ。こいつはヴィッチになるんだよ。しかも元はこんな怪力なんだから、どんな恐ろしい怪物になるかわかったもんじゃない。頭さえ潰してしまえばヴィッチになっても動かない。考えることないでしょ」
「自分、仲間やろ」
「まぁね。一緒に行動してきたって意味じゃ仲間だよ。でもヴィッチになったら仲間もクソもないじゃない。仲間なんだから襲わないでくれなんて言い分、聞いてくれるとでも思ってるの? こっちがいくら友情を説いたって向こうはお構いなしだよ。俺達が生きるために最善なのはなんでしょう? 今すべきことはなんでしょう?」
カンダの正論はボクをいらだたせた。
正しいのかもしれないだろうけど、正しいだけでいいのか。
バールを振りかぶったカンダの前に飛び出てボクは言った。
「あなたが持ち場を離れなければ、ハルマさんはこんなことにはならなかったんでしょ。なんでそんなこと言えるんですか」
カンダは振り上げたバールのようなものを一度地面に下ろすとふぅと息を吐いた。
「確かに悪かったよ。反省してるしこれからは気をつける。で、どうするつもり? 裁判でも開くの? 罪を償って死ねっていうの? 糾弾してリンチでもするの?」
「そういうことを言ってるんじゃないでしょ」
「そもそも元はといえば悪いのはヴィッチだろ? 確かに俺はヘマをしたよ。でも俺がまっとうに活躍してれば誰もが幸せになれたのか? こんな状況の中で失敗したからってその責任を誰かが負わなきゃいけないのか? キミはどうなんだ、ミスしなかったのか? 誰かに責任を負わせて悪者を作ってどうすんだよ」
「だったらハルマさんだって!」
「別に俺はミスを責めてるわけでも、責任をとって死ねと言ってるわけでもない。こいつはすぐに死ぬんだ。そして死んだらヴィッチになる。必要だから処理をするだけだ」
「ならないかもしれないじゃないか!」
「本気で言ってるの、それ? 今まで何を見てきたのよ。家族だって友達だって、そういってヴィッチになったじゃない」
ボクは見てなかった。
人がヴィッチになるという話は聞いただけで実際に見てない。
周りを見ると、誰もがカンダの言葉を肯定するような曇った表情をしていた。
恐らく、みんなそんな甘い希望を絶たれた経験があるのだろう。
ボクだけが知らない。
「なにか、方法があるかもしれない」
「ハハッ、そうかも知れないね。いずれ、何年か、何ヶ月か、ひょっとしたらもっと早く対処法が見つかるかもしれない。でもハルマがヴィッチになるには間に合わない。自分たちが生き延びるために全力を尽くす、そうやって生きなきゃいけないんじゃないか」
「だったら、せめてもっと楽な方法で……」
「ないんや」
ジャックがボクの言葉を遮る。
すまなそうに。
決してカンダに説得されたわけじゃないだろう。
だけど、今までこの世界の絶望を目の当たりにしてきたジャックには、悲壮感漂う覚悟が見えた。
「噛まれたからって感染するとは限らないんじゃ?」
「ハカセという名前の割には何も知らないんだね。噛まれたからヴィッチになるわけじゃないよ。人は死んだら誰でもヴィッチになるんだ。車で轢かれようと、病気で倒れようと。今や世界の法則はそうなってるんだ。俺の聞いた話だと、すでに世界中の人間は全員ヴィッチに感染してるらしいよ。ただし、発症は死をきっかけにするというだけでね」
カンダは少し誇らしげに、知識を開帳するように口を動かす。
確かにゾンビ映画の中にはそういう法則もあった。
ゾンビもののルーツと言われる『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』では、地下で病気で無くなった女の子がゾンビになる。
その子はゾンビとは接触はしていなかったはずなのに。
そう考えると納得がいく。
ゾンビに噛まれると、その毒により短時間で死に至る。
そして死ねば誰でもゾンビになる。
そのシンプルな二つの法則で謎は氷解する。
だからといって、現実は映画じゃない。
いま、そんな事実を聞かされて、納得したからって何になるんだ。
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