期間が長いとその分寂しいのかも

 なんかいろんな方にこのエッセイを読んでもらえているらしい。ありがたい。

 正直、話のオチの付け方が分からないが、もう暫く続くと思う。


 昨日で美紅が亡くなってしまってから一週間がたった。悲しさは少し落ち着いた気もするが、まだまだ寂しいものである。

 美紅が使っていた低めのキャットタワーの上に、写真とか骨壺とか置いて、首輪と供え物を置いている。それに毎朝おはよーと言っているが、できれば本人(猫)にちゃんと言いたいものである。

 15年で染みついた癖というものはなかなか抜けない。家に入るときだって美紅が脱走を狙ってないか確認してしまうし、ドアも美紅が通れるように軽く開けておいたりするし、風呂場や洗濯機の中で寝てないか確認してしまう。美紅がいないことに慣れた気がしても、なんだかなあって思ってしまう。うん、慣れないのだ。寂しいのだ。

 今までも動物を飼っていたことはある。幼稚園から小学校低学年の頃にはジャンガリアンハムスターがいた。全部で三匹。ムニちゃん、ミミちゃん、ケンちゃんという名前だった。その子たちは数年で亡くなり、庭の片隅に埋めた。あとはザリガニや金魚、カブトムシを飼っていた時期もある。こう思うと意外と飼育経験あるなうち。

 その子たちがなくなった時もかなり寂しかった。どうやって回復したかは知らないが、特にハムスターの時はショックだった気がする。

 でも、今回の美紅はそのでかさが半端ない。ムニちゃんミミちゃんケンちゃんのときも寂しかったはずなのに、こう、桁違いだ。

 それは恐らく、記憶に新しいということと、15年というのがでかかったからだろう。美紅だけでなく、美紅の友達の猫もそうだ。14年くらい交流があったことにより、その子が亡くなったと聞いた時もめちゃくちゃショックだった。

 あの子、まるでうちの猫みたいに居座ってた時期があるからな。


 それはともかくとして、なんであれ、すぐに回復って難しいんだなあって思ったのである。

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