天国とか虹の橋とか

 さて、前回の文で何度も「天国」(及び天国的なとこ)という表現を出したが、そもそも天国ってなんぞや? というのは出てくる。

 なのでちょっと考えてみようか。……とはいえ、私は特定の宗教に熱心であるとか、敬虔な○○教徒であるとか、そういうのは一切ない。宗教についての造詣だって深くない。せいぜい自創作で自創作世界の宗教を扱ってるくらいだ。

 そのため、ここに書くのは動物の天国ってどんなんじゃろな、みたいなものであると断っておく。



 取り敢えずWikipediaで「天国」について検索してみるとこんな風に出てくる。


天国(てんごく、heaven)とは、


神や天使などがいて、清浄とされる、天上の理想の世界。

信者の霊魂が永久の祝福を受ける場所(キリスト教での用法)。

(転じて)そこで暮らす者にとって、理想的な世界のこと。何にわずらわされることもない、快適な環境。もしくは、かくあるべきだとする究極の神の創造理想と定義できる世界。(Wikipediaより引用)


 つまりまぁ、「理想の世界」という感じなのだろう。そんで神様がおわす場所というものでもある。西洋人が亡くなったことを「神様の元に行った」というのはこういうことかな。

 取り敢えずWikipedia以外でもいろいろ検索してみる。するとまあ某宗教のページがめちゃくちゃ出るな。取り敢えずさらっと読んだが、うん、しっくりこなかった。

 んで他にも見てたら『虹の橋』という詩が出てきた。天国の少し手前にある虹の橋の麓に、動物たちが穏やかに過ごせる幸せな場所があって、飼い主と再び出会えたら一緒に天国に行くっていう詩である。これは割と有名だし、ペットロス解放への手助けになっていたりするようだ。動物が死んだときに「虹の橋を渡った」というのはここからだろう。

 これについても、いろんな見方があった。向こうで快適に過ごしているのならよかったとか、飼い主を待たせ寂しい思いをさせているのは悲しいだとか。どちらの考え方もわかる。でも向こうとこっちでは時間の流れ方が違うから、そんなにも長く待たせているわけではないよ、とかいろいろあった。そもそも考え方以前にこの詩が嫌いとか、いろんな意見がある。

 どうあれ、この詩の中に出てくる『天国の手前の緑の草原に行く。食べ物も水も用意された暖かい場所で、老いや病気から回復した元気な体で仲間と楽しく遊び回る。』(Wikipediaより引用)みたいなものが、動物にとっての天国みたいなものだろう。美紅も健康な体で元気に過ごしているならいいのだ。

 さて自分はどうだろう。どういう風に考えているんだろう。

 それを纏めるためにこの文を打っているわけだが、自分の中でもしっくりこない。

 なんか、もう『天国』みたいなところに行っている気がするし、橋の麓で待っている気もする。でも俺としては、下手に飼い主を待って寂しい思いをするより、『天国』でのんびり過ごしていてほしいなと思うのである。

 あくまで、俺としてはね。

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