第7話

 花火音はなびねは、家の中に入って行く涼数寄すずすきに確認の声をかける。


「勝手に入っちゃって大丈夫ですか?」

「大丈夫だと思うよ。ここの人をちょっと知ってるんだ」

「本当ですか? 涼数寄さんの言うことって、なぁんか全部嘘くさいんですよね」


 廊下は縁側に続き、その庭にはボクシングのリングがあった。

 しかし人気ひとけはない。


 その時、何かを叩くような鈍い音が外から聞こえ、花火音と涼数寄は玄関を出て家屋の裏側に向かう。

 そこで二人の男女が背中を向けて立っていた。


 鹿鳴院ろくめいいん子蜂こばち焔明ほむらけ天丸てんまるだ。


 ペアボクシングのパートナーは絆を大切にすると言っていたが、まったく良好そうな仲には見えない。


 花火音が近づくのを手で制して、涼数寄は二人をその場で見ていた。


 鹿鳴院子蜂は思っていたよりも背が高かった。

 170cmを超えてるだろう。

 そして顔が小さい。

 運動部の息子のためにお母さんが愛情を込めて握ったおにぎりより小さい。

 その顔の小ささのため、全体としてスラッとスタイルがよく見える。


 彼女は焔明から顔を背けて立派な木に片手を添えてゆらゆらと身体を動かしている。

 よく見ると足運びは静かにステップを踏み、動きにキレがある。

 重力を感じさせないような動きは身体の柔らかさ故か。

 太く一本の筆のように結んである長い髪が、彼女の動きを強調するように追いかけて揺れる。

 正面からはまだ見ていないが恐らく美人だろう。

 顔の造形自体そもそもバランスがいいが、それ以上に雰囲気がある。


 異常に白い肌、殺意を秘めているような力強い視線。

 ややたれた瞳、左目の目元には小さな二つのホクロがある。

 弱さという存在を許さないと意志を固めたような薄い唇。


 ただそれだけ美人にもかかわらず存在感が妙に希薄だった。

 隣の大木の方が目立っている。


 鹿鳴院が身体を揺らすたびに、同じタイミングで木から葉が落ちてくる。

 その行為を含めて妙に妖しく、オバケか雪女か、そんなイメージすら湧いてくる。


 なによりも花火音が気になったのは、その露出度の高さ。

 黒く輝く生地のスポーツブラとホットパンツと言っていいような布面積の小さいウェアをつけている。

 他はほぼ肌だ。

 ウェアは黄色いラインで縁取られていて、それがまた白い肌を余計に強調し、男子中学生が見たら二週間は夢に出続けるんじゃないかと言うほど破廉恥だ。


 焔明天丸を悩殺すると宣言したものの、四六時中あんな破廉恥な格好をしている女と一緒にいる相手に花火音の技が通用するかどうか。


 そんな鹿鳴院の横の焔明は眉間には深くシワが寄り、怒りを抑えきれないような面持ちだ。

 身体を汗でしっとりと湿らし、爆音のような呼吸でシャドウボクシングをしている。

 鹿鳴院には目もくれず、また彼女もその存在を気にかけていない。


 彫刻のような鋭角的な直線でできた面構えは、モデルのように均整が取れている。

 焔明の身体つきは、モリモリと粘土を貼り付けたように筋肉質だ。

 髪の毛と眉毛は白く、どういったルーツを持つ人種なのかもわからない。


 しかもこの男の格好もボクシングパンツなのはいいが、なぜか首に蝶ネクタイのみをつけた格好だ。

 上半身は裸で蝶ネクタイだけ。

 それが妙に変態っぽくて花火音の精神力をギュウギュウ締め付ける。


 まず鹿鳴院がこちらに気づき、そして焔明も一瞥した。


 しかし、鹿鳴院はそのまま興味なさそうに視線をそらした。


 自分の方からは話しかけない辺り、鹿鳴院のお嬢様らしいプライドの高さが垣間見える。


 焔明はこちらをじっと見ている。


 悩殺をするにはここがチャンスだ。

 肌を見せるなんていう直接的な手段は通用しない。

 そうなると秘めたる色っぽさ、精神に揺さぶりをかけるしかない。


 花火音はつばを飲み込み意を決すると、尻を振り上半身を大きく揺らしながら焔明に近づいた。


「アハァ~ン」

 花火音は吐息を漏らして焔明の肩に手を回す。


 しかし焔明は、その手をホコリでも払うかのように冷たく振り払うと、まっすぐ涼数寄へ向かって突進していった。


「ちょっと! アハァ~ンですよ。アハァ~ン。あとウフゥ~ン」


 花火音は焔明の腰に飛びついた。


 焔明の身体が抱えやすいのか、なんだかいつもよりも力が沸いてくるような気がした。


 しかし彼は突進力に定評のあるクォーターバックのように、花火音をタックルごと引きずって涼数寄に肉薄する。


 涼数寄より大きな身体をこれ見よがしに見せつけると、焔明はいきなり殴りかかる。


 威嚇とはとても思えない腰の入ったパンチが炸裂しそうになった瞬間、涼数寄の手を鹿鳴院が取った。


 そのまま鹿鳴院は涼数寄を引っ張り、振り回すように後ろに送る。

 涼数寄は鹿鳴院の行動に珍しく目を大きく開きながらも、ダンスをするように回転して下がり、二人の腕が伸び切ったところで反動で今度は涼数寄が鹿鳴院を振り回す。


 二人の動きは目が離せなかった。

 不思議なことに薄っすらと光を放ってるようにも見える。


 焔明は花火音が腰にしがみついてることなど気にもせずに距離を詰める。


 涼数寄の手をたぐり勢いを増した鹿鳴院が焔明の懐に飛び込み、ボディに強烈なアッパーを放った。


 焔明は花火音の腕をすり抜けおもちゃのように後方に吹き飛んだ。


「それです! それこそがペアボクシングの真の力です」


 玄関影からこちらを伺っていた謎の人物が震えながらそう叫んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る