鹿鳴院子蜂

第6話

 花火音はなびねクリスチィは、涼数寄すずすきに揺り動かされて目を覚ました。

 電車の単調なリズムに誘われ、いつの間にか眠ってしまったようだ。


 涼数寄に気を許すなと自ら戒めてきたというのに。


 着いた場所は、一人では帰ることもできなそうな地の果ての田舎。

 人里離れ、周りは畑と雑木林しかないような場所にそのジムはあるという。


 いつの間にか陽もかなり傾き空も赤みを帯びている。


 花火音クリスチィの脳裏に、昔の記憶が鬱陶しい前髪のようにチラつく。

 今は兄と都会で暮らしているが、花火音クリスチィも閉鎖的な田舎で育ったからだ。


 涼数寄は都会で生まれ育ったようで、こんな辺鄙な場所は興味津々の様子だ。

 足を止めては色々なところを見回している。


 初対面から数日経つが、涼数寄が実際に何を考えているのか、未だに全く分からない。

 つり上がった目とだらしなく緩んでる口元。

 美男子とはかけ離れた外見だが、それが油断ならない。

 感情が読み取れないというのは忍者にとって大きな武器だ。


 心を許してはいけない。

 そんな思いが、忍者としての高揚感をさらに刺激していた。


「忍者装束じゃないんだね」

 涼数寄がちらりと花火音の服装に目をやり、軽く口を開いた。


 花火音は、子供っぽく見られないように少しフェミニンな装いを選んでいた。

 ロングスカートにブラウス、ボレロを羽織っていたが、この地方は思っていたよりも気温が低く、もっと厚手の服が必要だったと後悔している。

 舗装されていない道をこれほど歩くのなら、もう少し歩きやすい靴にすればよかった。


「当たり前じゃないですか。忍者だってことは涼数寄さんにしか言ってないんです。絶対に内緒ですからね」

「似合ってたのにな」


 思わず花火音は足がもつれそうになる。

 涼数寄の一番警戒しなくてはならないのはこう言った発言だ。


 忍者に関することは褒められ慣れていないために、うっかり浮足立ってしまう。

 そんな自分の無防備さに焦り、思わず大きな声で言い返した。

「そういう涼数寄さんこそどうするつもりなんですか! 鹿鳴院ろくめいいん子蜂こばち焔明ほむらけ天丸てんまるは只者じゃないですよ」


 涼数寄の組織の指令書には今回のターゲットとなる二人のプロフィールも載っていた。


 鹿鳴院子蜂は20歳。

 鹿鳴院家の令嬢で、何不自由なく育った典型的なお嬢様らしい。

 2年前に急にペアボクシングに目覚め、才能を開花。

 ついにはチャンピオンに挑戦するまでになり、レディ・ベッコウバチと呼ばれている。


 パートナーの焔明天丸は年齢不詳。

 圧倒的なスピードと攻撃力で鹿鳴院子蜂をフォローしてきた。

 一目でわかるほどのスポーツエリートなのだが、ペアボクシングをするまでの経歴は不明らしい。

 鹿鳴院が発掘をし、ペアを組み、ついにチャンピオンに挑戦するまで駆け上がってきた。

 実質的にK.O.の山を築いてきたのは焔明だ。


「タイトル挑戦権を持つくらいだから弱くはないだろうね」

「でも自分の方が強い、とでも言いたいんですか?」

「ボクは強くはないよ。もちろん弱いつもりもないけど、いままで天才と呼ばれるような人をたくさん見てきた。それと比べると強いとは言えないな。身体能力だけならキミの兄さんの方が上だよ」

「でもあいつに勝ったんですよね。秘訣はなんですか? やっぱりズルくて卑怯ってことですか」

「目をキラキラさせてひどいこと言うね」

「ズルい卑怯は忍者にとって最高の褒め言葉ですよ。頑張ってその鹿鳴院と焔明ってのを叩き落として挑戦者になりましょうね」

「指令にあったのは彼女たちに会うことだよ。別に倒すことじゃない」

「何を言ってるんですか! 涼数寄さんと言えば八百長じゃないですか。挑戦者になってチャンピオンにわざと負けるのが仕事に決まってるじゃないですか」

「決まってはいないよ。状況によってはそうなるかも知れないけど、まだ彼女たちと戦うと決まったわけじゃない」

「はっ!? それはまさか、戦わずして勝つという。兵法の難しいやつじゃないですか。企みますねー」


 その言葉に、涼数寄は黙って口元を引きつらせて返事をした。


 花火音としては精一杯褒めたつもりだったのだが、全然思ったように伝わっていない。

 むしろいい加減なことを言うやつと思われたかもしれない。

 人を褒めるというのはこれほど難しいことなのか。


 自分でも不安と緊張で精神が安定していないことがはっきりとわかる。

 恐らくペアボクシングのタイトル挑戦者と戦うことになるだろう。

 今まで忍者として厳しい自主トレをしてきたが、実戦で戦ったことはほとんどない。

 兄のベンジャニン相手に組手はしていても、闘争心をぶつけ合うようなものとは全く違うはずだ。


 空回りしすぎる自分の意識を気にも止めずに、涼数寄は黙っている。

 どうにか流れを変えようと、口が動くのに任せて言葉を発してしまう。


「そこで私はとんでもない頭のいい作戦を思いついてしまいました。それはですね、私がくノ一くのいちの色香で焔明をメロメロにしてパートナーを奪ってしまうのです」

Good優秀だね、花火音さん。とんでもなく頭のいい作戦だ。でもペアボクシングのパートナーってのは絆をすごく大事にするらしいよ」

くノ一くのいち房中術ぼうちゅうじゅつがすごいんです。私はそういうの全部ちゃんと本で読んでますからバッチリです」

「ボクの時はジャムパンだったけど」

「ジャムパンの何がいけないんですか。ジャムパンのジャは忍者のジャですよ。それに比べたらクリームパンなんてただ美味しいだけですよ」

「うん、頼んだよ。失敗したらその時は一緒になんとかしよう」

「任せてください! 私が本気になったらアレです。……ポロリしちゃいますからね」


 そう勢い良く発言した後に、花火音を襲う鉄砲水のような後悔。

 このまま流されて消え去ってしまいたかった。

 涼数寄にいいところを見せようと思わず大きな事を言ってしまった。

 だけど今更引くには引けない。

 本で読んだだけで恥ずかしかったあの技を本当にやらなくてはならないのか。


 そんな花火音の心中を知ってか知らずか涼数寄はニヤニヤと笑っている。


「上手くいったら人参をあげよう」

「どういう意味ですか! 人を可愛いうさちゃん扱いして。バカにしてるんですか」

「人参のニンジは忍者のニンジだよ」

「ハッ! そんなこと今まで気づきもしませんでした。やっぱり涼数寄さん、忍者の才能ありますね」


 地図に従ってジムらしい建物を探していたが、見つけたのは茅葺き屋根の民家だった。

 鍵と言う概念が存在しない引き戸を開き、涼数寄が奥に向かって声をかける。

 人の気配は感じない。


「鹿鳴院家ってお金持ちなんですよね? なんでこんなボロ屋敷なんでしょう」

「古民家をリノベーションしたクリエイティブなワーキングスペースらしいよ」

「しゃらくさいですねー」


 勝手に入っていくと、廊下の先に中庭が開け、そこにリングがあった。

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