第5話
「知ってますよね、
「誰それ?」
「ちょっとジャムパン今じゃないですよ!」
花火音は涼数寄の手からジャムパンを奪おうと叫びながら手を出した。
涼数寄はそれの動きを巧みに避ける。
「今こそジャムパンっていう時も人生にはあまりないからさ」
「忍者の話をしている時は集中して聞くのが礼儀でしょうが!」
「花火音さん、話を集中して聞くためには脳に糖分を補給しなくてはならないんだ。ボーッとした頭で忍者の話を聞くのはかえって失礼だろ?」
「そういうのを屁理屈というんですよ! 忍びの者にはおならも理屈も一切効きません!」
「
「当たり前です! あたしは忍者見習いなんですから」
「違うよ。それは忍者だからすごいわけじゃなく、キミが積み重ねてきたからすごいんだよ」
いけない!
そう警戒した時にはもう遅く、花火音の目の奥から涙がズンズン湧き出してきた。
涼数寄という男、危険すぎる。
ちょっとでも気を抜くとこちらの心の城門をこじ開けて、陽気に笑いながら胸毛ともみあげの濃いラテン系の男が入ってくる。
常にラテン系ならそれはそれで身構えることができるのに、普段は何を考えてるんだか読み取れないようなヌメッとしたいやらしい表情をしている。
涼数寄に気を許してはならない。
「目に……粉塵がゴッソリ入っちゃいました」
花火音は袖で涙を拭いながら、心の扉を固く閉め、さらにバリケードを築き、強面のガードマンを雇い、絶対に侵入されないように心した。
その間に、涼数寄は自分のスマホをいじっていた。
「人名だよね、楽魔シノは?」
どうやら検索をしていたらしい。
ネットに情報が何でも転がっていると思っている辺りが可愛らしい。
花火音ゆっくり息を吐き、もったいぶって首を振る。
「そこからですか。まぁ涼数寄さんはあくまで一般人ですからね。しかたありません、教えてあげましょう。伝説のくのいち楽魔シノ。有名な詩が詠まれてます。『
「言われてみればキミのお兄さんは見たことのないトリッキーな動きだった。忍者だっていう発想にはたどり着かなかったけど」
「おにぃ……花火音ベンジャニンがですね。負けたのは俺が弱いからじゃなくて相手が強かったからだって。それであいつは良い戦いをしたせいで完全燃焼をしてしまって、もう思い残すことはないと毎日アイスを食べながらアニメを見るだけの日々を過ごしてるんです」
兄を倒した涼数寄の存在を知れば知るほど、花火音にとっては恐怖と興奮が増幅していった。
この世の中に、そんな忍者っぽい人間がいるだなんて。
なんとしてでも弟子にしたい。
その思いを兄は鼻で笑った。
その態度に腹が立って、兄には涼数寄なんて色香でイチコロにしてみせると宣言してしまったのだ。
それなのに、現状すべての予定が後手に回っている。
「一体、なんで忍者見習いのキミがボクのもとに来たわけ?」
「そんなの決まってるじゃないですか。弟子にするためですよ。これからあたしたちは忍者として名を上げていくフェイズに入るんです。そのために涼数寄さんみたいなズルくていやらしい顔してる同志が必要なんですよ」
「顔関係ある?」
「もうすでにワクワク忍者パークのアルバイトの面接は申し込んであります」
「ワクワク忍者パークのアルバイトから始めるつもりだったんだ。ボクにも色々と予定があるからさ。ほら、キミが持ってきた新しい指令。ペアボクシングのタイトルマッチに参戦しなきゃならない。これも忍者に誘うためにでっち上げたの?」
「見くびらないでください。本物ですよ」
「だよね。組織の正式な書式だ」
「本物の指令役の人を倒して正式に奪い取りました」
涼数寄はファイルを眺めて小さなため息をついた。
「知ってる? ペアボクシング」
「聞いたことはあります。そのファイルも見たので大体わかります。詳しくはないですけど」
「ほとんどの人にとってはそうだろうね。歴史と伝統だけはあるけど、賭博やマフィアの関与なんかで悪いイメージがついちゃったからね」
「そこで涼数寄さんは八百長するんですね」
「そうすることもある。ファイルを見た感じだと、今度の挑戦者は実力はあるけどショー的なことを考えないストイックな選手らしい。ペアボクシングといえば、客を喜ばせてなんぼの興業だよね。サービスを考えて戦うのもプロとして必要なこと。長期的な視野で考えたらここで負けておいた方がその競技の行く末にとっては良いという判断もある。勝つにせよ負けるにせよ、どこかに利する人間がいて、その人物のニーズに対応するというのがボクのやり方」
花火音は小刻みに頷く。
「深いですね。ちょっと忍者っぽさありますね」
「そんなっぽさを狙ったつもりはないけどね」
「っぽさありますね。これ上手いことやれば忍者としての名声が上がるんじゃないですかね。考えてみたらあたしも涼数寄さんの戦いを知って忍者っぽいと思ってきたわけですから。これは今まで見過ごしてましたが忍者に向かうビクトリーロードじゃないですか?」
「そういうロードかはわからないけど、キミにとっては破滅の道だよ。組織の人間を倒して奪ってきたんだよね。今頃大変なことになってるよ。忍者どころじゃない。こうしてる間にも刺客がキミに近づいてる」
「そんなの! 忍者の力で返り討ちにしてやります!」
「彼らはボクより強いのに? それが、ひぃ、ふぅ、みぃ……100億人まではいかないかな。でもそれくらいやってくる」
「ひゃ、そんなにいるんですか!?」
「いるね。大丈夫? 勝てる?」
涼数寄は全然深刻そうな顔をせずにそう尋ねてきた。
突然の宣告に花火音は頭がうまく回らない。
「そんなことになるとは、考えてませんでした」
「考えなかったの? 少しも?」
「だって、涼数寄さんは弟子になりたがると思ったから」
「なんでボクが素直に弟子になると考えたの?」
「忍者だから。涼数寄さんみたいな性格の悪い人は、忍者に憧れるはずなんです」
「あ、そう。信念の強さは見事だね。ボクは指令の通りペアボクシングの挑戦者に会いにいかなきゃいけない。現在タイトル挑戦権を持っている
「難しいこと言われても、ちょっとよくわからないです」
花火音はそう言って首を振った。
正直、なにも成し遂げない内から涼数寄の組織の者に追われる身となり、自分がどうなってしまうのか混乱して、彼の言葉が何一つ理解できなかった。
「組織のことなら気にしなくていい。こう見えても幹部なんだ」
「100億人も来るんですよ?」
「ボクが一言言えば、ピタッと止まる」
花火音は顔を上げて涼数寄を見る。
そこに映った顔は、今までとは違って後光が差してるようなニヤケ面だった。
「涼数寄さんて、ひょっとして良い人なんですか?」
「そうは思わなかった?」
「はい。顔が強烈に憎たらしかったので」
「では花火音さん。ボクのパートナーとなってビクトリーロードを走ろうか」
「え、あ。パートナー? 弟子じゃなくて?」
花火音は戸惑った。
忍者復興という夢に向かっての一歩が、こんな形で始まるとは――でも、いいか。
これが始まりなら悪くない。
「あんまり欲はかかない方がいい」
「わかりました。じゃ、今はパートナーで!」
涼数寄が差し出した手を花火音は握った。
そのまま腕を取ってブンブンと上下に振ると、残っていた方のジャケットの袖が破れて取れた。
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