第4話

 花火音はなびねクリスチィは忍者見習いである。


 兄である花火音ベンジャニンと共に厳しい忍者修行をしてきた。


 この現代で忍者としては誰にも負けないという自負はある。

 それはひとつ上の兄、ベンジャニンも同じだった。


 そしていよいよ忍者復興のための一歩、これから華々しく忍者デビューしようという時、涼数寄と出会った。

 兄、ベンジャニンが賞金を稼ぐはずだった三次元ボクシングのトーナメントでのことだった。


 忍者として仕上がっている兄は、一般のスポーツ選手ごときに負けるはずはなかった。

 それなのに涼数寄はベンジャニンを倒した。

 しかもその戦い方は、忍者としては悔しいほどにズルく、そして憧れてしまうほど卑怯な勝利だった。

 あまつさえ、兄と猛烈な死闘を繰り広げた涼数寄は、次の試合の平凡極まりない選手にあっさり負けた。


 こんな人物が存在したことが花火音にとってはショックだった。

 しかし、そこに希望も見えたのだ。

 涼数寄を弟子にすれば忍者を復興させるという花火音の夢に飛躍的に近づく。


 そうして花火音は涼数寄を弟子にすべく、やってきたのだ。


 花火音は、粉まみれになった涼数寄をハンカチで拭う。

 彼が着ている古いハウンドトゥース柄のジャケットは、花火音の煙玉から出た粉のせいなのか元々のものなのかわからないが、叩けば叩くほど埃が出てくる。


「すみません、ジャケット汚しちゃって」

「気にしなくていいよ。もともと古いんだ。父親の形見だからね」


 そんな由来を聞いてしまったら、余計に罪悪感が増す。

 花火音が気合を入れてジャケットを叩くと袖がビリっと音を立ててちぎれた。


 自分の中に渦巻く感情。

 不安も罪悪感もごちゃまぜになる。

 目の前のやに下がった顔をしている涼数寄に、翻弄されたことが許せなかった。


「完全にわかりました。あたしが組織の人間じゃないことは最初からわかっていたんですね。きっと、信じられないくらい可愛かったから」

 花火音は涼数寄にジャケットの袖を押し付けて言った。


「名誉のために言っておくとボクのところだって可愛い子はいるよ。でもまさか忍者だとは思いもよらなかったな」

「つまり完全にあたしの勝ちってことですね。正確には忍者見習いですけど」

Good優秀だね、花火音さん。手、出して」


 その言葉に花火音は素直に右手を差し出した。


 涼数寄は彼女の手のひらをじっと見つめる。

 何をされようともう動じることはない。

 今まで鍛え上げた忍者の力でやり返してやる。


「次は手相ですか。あたしの秘められた過去を見抜く気ですね?」

「そこまでは見抜けないよ」

「じゃ、なにを見てるんですか」

「右利きだね。利き腕をこれだけの時間握られてても振りほどかないのは敵意がないってこと。だけど手は冷たい。緊張はしているね」


 そう言われて花火音は手を引っこ抜いた。

 いちいち花火音の心の奥を覗き込む男だ。


 涼数寄は何も言わずに微笑んで首を傾げている。


「やるじゃないですか。今のところ私の1勝1引き分け、他に何かバレてます?」

「どうかな、あんまり自信はないな」

「試しに言ってみてください。ダメ元で。当たったら1勝2引き分けですよ」

「体操系のスポーツをしてるね。どんな状態でも重心が安定している。広背筋が発達してるから鉄棒か、クライミングもやってる。手の皮膚が厚いので格闘技もする。男性に恋愛的な興味はそれほどないけど、目元とリップだけメイクをきちんとしてるのは世間からズレることには恐怖を感じているからだ。そのブロンドヘアーは地毛かな、そばかすも隠していないのは自己肯定感が高い。知り合いが多く人気があるけど、心許せる友達はいない。責任感が強いがそれ故に一人になると自分を責めて苦しんでいる」


 全部当たっている。

 花火音はその的確さに恐ろしさすら感じた。

 しかしビビっていることを悟られたら最後だ。


「はぁ~! やりますね。完全に正解です。寂しがり屋でロマンチストだけど気が利くから最高のお嫁さんになれるタイプだってのもバレてますね?」

Good優秀だね。そう言える自尊心の高さも高得点だ」


 これ以上涼数寄の好き勝手にはさせられない。

 それに涼数寄の能力が高ければ高いほど、弟子にした時には役に立つということだ。

 花火音は手で涼数寄の口を勢い良く塞いだ。


「やっぱりあたしの見立ては間違ってませんでした! ちょっと一回全部水に流して最初からやり直してください。せっかく色々考えてきたんですから。あたしが今日のためにどれだけ頑張ったと思ってるんですか。ほら、あとで食べようと思ってたジャムパン。これあげます」


 懐で温めていたジャムパンを涼数寄に渡す。


「最初ってどこから?」

「だから最初は最初ですよ。二人の出会いの場面から。涼数寄さんはひと目見て『なんて美少女なんだ!』って驚いたと思うんですけど」

「確かに驚いたことは認めるよ」

「別に口には出さなくていいです。心の中で驚いていてたってことですね」

「かなり色々予定を立ててきたんだね」


 ジャムパンに気を良くしたのか、涼数寄は調子よく乗ってきた。


「そこで私が優しく語りかけます。『八百長なんて自分で自分を傷つけてるだけです。あなたにはもっとふさわしい道があります』イメージとしてはダバダバ~みたいなBGMがかかってるのを想像してください」

「ボクが説得されるのに、自分でBGMまで想像するんだ」

「イメージですから。ここから格好良くなるんでちゃんとやりましょう。いいところなんで」


 その時、ちょうど公園を横切った男が怒声を上げた。


「うるせーぞ!」


 無精髭を生やした中年男性、服装は毛玉の着いたセーターにサイズのゆるいパンツ。

 ツバを吐いて不機嫌そうにブツブツと言い続けている。


 たった一言、その言葉で花火音の体温は氷点下まで下がっていた。

 手も足も震えが止まらない。


 確かに花火音の声は調子づいて大きくはなっていた。


 しかし一度回っていたエンジンが止まると、もうどうにもならない。


 いったい自分はこんなところで何をしているんだろう?

 見も知らない人間に忍者見習いであることを打ち明けるだなんて。


 今までそんなことは一度もしたことがなかったのに。

 兄と誓ったのだ、忍者として立派に身を立てるまでは秘密にしておこうと。


 人が忍者の話をされた時にどんな反応をするのかは痛いほど知っている。

 世の中の人間は、忍者という存在を心の底ではバカにし、嘲笑してもいいものだと思っているのだ。


 なぜこんな場所に来てしまったのか。

 どうして涼数寄を弟子にしたいと思ってしまったのか。

 そのすべてが後悔となって押し寄せる。


 抑えようとしても目から勝手に涙が溢れ出てくる。


「忍者って現実にまだ存在するの?」


 涼数寄の問いかけに、花火音はビクッと身体を震わせてしまった。

 ゆっくりと顔を上げて涼数寄を伺う。

 何も言ってないのに涼数寄はこちらの言いたいことをわかったかのように頷いた。


「忍者ですか?」

「ボクは忍者なんてもういないものだと思っていたよ」


 その言葉に俄然闘志が湧いてきた。

 忍者のことを知りたいというのなら教えてあげるしかない。

 このにやけた顔の何も知らない男は、どうしても花火音に忍者のことを教えて欲しいらしい。


「いるわけないじゃないですか、絶滅しちゃったんですから。常識ですよ。でもまだ希望はあります。だからこそ、あたしが忍者を復興させるんです!」

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