花火音クリスチィ
第3話
平日の昼間の公園。
ゴリラを模した巨大な滑り台が象徴的な、通称ゴリラ公園。
近隣にはより自然豊かな広い公園があるため、子供連れの母親たちはそちらに集まり、この公園は閑散としていた。
失敗は決して許されない。
今日のために綿密な計画を立てた。
標的は
最近密かに名を上げている怪しい団体の幹部だ。
その団体は、あらゆるスポーツに鍛え抜いた選手を送り込み、人気も金もすべてをほしいままに掌握していく恐るべき組織だ。
そんな組織の汚れ仕事を一手に引き受けているのが涼数寄という男なのだ。
花火音は予めその組織の指令書を手に入れ伝令係と入れ替わり、涼数寄とコンタクトを取る手はずとなっていた。
タイトなスカートのレディーススーツにパンプス。
動きやすさを犠牲にしてでも、怪しまれないためにはこの服装が必要だった。
涼数寄はブランコを囲む低い安全柵に腰掛けていた。
一見すると、だらしない学生のように見える。
目つきは悪いが鋭いとは言い難く、細いツリ目。
口元も、どこか不満のあるようにへの字に曲がっている。
髪型は情緒不安定な美容師がセットしたのか、もしくは起きてそのまま来たのかわからない独特な逆立ち方をしていた。
花火音は公園内を見渡し、涼数寄の姿を見つけると一直線に向かった。
途中、公園内に不信な人物はいないかと目を配ったが、空のベビーカーを押し子供と手を繋いで歩いてくる女性以外はいない。
涼数寄は花火音が目の前に来ると、組織の人間だと判断したのだろう、片方の手のひらを差し出した。
「お疲れ様です。涼数寄錦さんですね」
花火音がそう問いかけたが、涼数寄は表情も変えず返事もしない。
ただ前に差し出した片手を揺らしただけだ。
何を考えてるのか読めないのが不安であったが、ここで逡巡して花火音の正体がバレたら元も子もない。
花火音は涼数寄から目をそらさずにそっとファイルを手に渡した。
「どうもありがとう」
涼数寄はそう言って内容を確認する。
思ったよりも優しげな声だった。
今時、ペーパーメディアで受け渡しなんて前時代的に思えるが、物理メディアはコピーしにくいという特性もある。
組織の怪しさからして、情報管理には気を使っているのだろう。
もちろん花火音は事前にそのファイルを確認している。
内容は『次のペアボクシングのタイトルマッチの挑戦者、
涼数寄の実力を知りたい。
もちろん事前に情報としては知っているが、果たしてそれがどれほどのものか、身を持って確かめたい。
花火音はスマホを構えて言った。
「あの……。一緒に写真を取ってもらっていいですか?」
「ダメだね」
即答。
油断を誘おうと思ったのに、けんもほろろだった。
この時点で涼数寄の精神力が並外れていることがわかった。
花火音のような愛くるしさ全開の女の子と一緒に写真を撮ろうと言われ、断れる胆力の持ち主などそうはいない。
涼数寄は書類を見る姿勢のまま、上目遣いに花火音のことをじっと見つめる。
怪しんでいるのかもわからない。
目が細く、あんまりそこにどんな意図が潜んでいるのか見分けられない。
ただ、何も言わずに目をそらさずに見つめられると、やましいことがなかったとしても精神は揺らぐ。
しかも今の花火音に至っては、やましいことがあるのだからなおさらだ。
「違うんです。決して悪用しようと思ったわけじゃなくてですね、なんていうかファン心理です」
緊張感を和らげようと、とっさに言葉を探した。
のどが渇いてきた。
今日のところは引き下がって次のチャンスを伺うべきか。
そう思ってたところに涼数寄が花火音のスマホを指差した。
「写真て、それで?」
「あ、はい」
涼数寄がさっきと同じように片手を差し出した。
緊張し続けていた苦しみから開放され、花火音はスマホを渡した。
もちろんロックはしてあるので写真を撮る以外の操作は受け付けない。
「最近のスマホって便利だよね。これ結構新しいタイプ? 写真てどうやるの?」
勝手に相手を大きく見すぎていたのかも知れない。
涼数寄は特に警戒する様子もなく雑談をするように話しかけてきた。
考えてみれば涼数寄にとっては、この伝令係は単なる組織の一員にすぎない。
警戒をしたわけではなく、元々それほど人に対して打ち解けるタイプではないのだろう。
涼数寄はスマホを斜め上に掲げて自撮りするポーズをとる。
「一緒にじゃなくて?」
「あ、いいですか?」
花火音は涼数寄の隣に並び一番可愛く見えるように首を傾げた。
一回だけシャッターを切り、涼数寄は手元でスマホを操作する。
「女の子は自撮り好きだよね。ごめんね、ボクは写真自体がそれほど好きじゃないからさ。あんまり自分を見つめたくなくてね。こういうのする人って自分は誰だか不安なのかな。これ、ネットとかには上げないよね?」
「もちろんです。個人で利用させてもらいます!」
花火音はペコリと90度に腰を曲げてお辞儀をした。
「お兄さんに言われてきたの? 花火音クリスチィさん」
天気の話でもするように、耳に入ってきたその言葉の意味を理解した時、花火音の笑顔は凍りついた。
「私、あの、なんで……」
涼数寄は花火音のスマホを操作して言った。
音声入力状態にしてマイク部分を指で抑える。
「こういうのする人って自分は誰だか不安なのかな」
『自分は誰』の部分だけ指をタイミングよく離す。
花火音のスマホの画面に花火音クリスチィの連絡先が名前とともに表示された。
花火音は震える手で懐を探る。
脳裏に先程のベビーカーの母子がよぎり、周囲を警戒するように見渡した。
花火音が懐中から取り出した煙玉を破裂させた時、涼数寄に手首を強く掴まれた。
一瞬の隙を涼数寄は見逃してくれなかった。
煙が落ち着いて視野が回復する。
粉まみれになった涼数寄の前にはタイトなスーツを纏った丸太が落ちている。
本来なら花火音の姿は丸太と入れ替わり、ここから消え去っているはずだった。
しかし、彼が離さずに掴んでいた手の先には、花火音の手首があった。
バレてしまってはしかたがない。
花火音は自慢の装束についた粉をはたく。
赤とクリーム色の完璧な配色、そして背中に輝く『忍』の一文字。
「私は花火音クリスチィ。ご覧の通り伝説の
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