第15話 吸血

 SSTLの冴木所長の提言を受けた政府の対応は素早かった。直ちにアルゲンマスクの使用中止と速やかな回収を国民と全ての事業者に訴えた。ただアルゲンマスクの危険性については「中皮腫を含む重大な健康被害」を生むおそれがあるとしか発表されていない。これが「中皮腫のみならず、未知の疾患であるヘモグロビン融解症を発症し、激しい吸血衝動に駆られ他人に深い咬傷を与えたり、吸血行為をするに至る虞があり、なおかつすでにそれを発症したものがいる」と発表すれば日本全土が大パニックになるのは間違いなかったからだ。


 酒井は研究室のTVでこれで幾度目かの首相の発表をニヤニヤと眺めていた。全くの部外者として、このありさまを眺めるのは痛快で仕方がない。痩せぎすでぎょろりとした目つきの酒井はべたつく長髪を振ってくすくすと笑う。

 原稿を見ながら喋る深刻な面持ちの首相の姿が実に滑稽で、酒井は深夜の研究室で思わず声を出して笑った。


「何がそンなに可笑しイ」


 醜い笑顔を浮かべたまま研究室の扉の方を見た酒井の顔が引きつった笑顔のまま強張る。声も出ない。


「貴様俺のマスクに仕掛けタな、エ?」


 声の主、宇田川はずたぼろのスーツ姿で、露出している手も足も青灰色、そしてどういった理由でなのか分からないがうっすらと全身から燐光を発していた。犬歯が伸びているさまはまるで狼男か吸血鬼のようだ。両肩や腕の筋肉が巨大な力こぶとなってスーツが張り裂けそうになっている。

 酒井は粗暴な宇田川がかねてより気に入らず、また酒井自身の計画の邪魔になりかねないと考え、宇田川が着用するアルゲンマスクを密かに「特別性」のものにすり変えていたのだ。これによって宇田川を始末できると信じて。

 案の定宇田川は「吸血人間第一号」へとその姿を変えてしまった。

 頭の巡りの悪い宇田川はそのまま野垂れ死にするだろうと酒井はたかをくくっていたが、宇田川は直感的に自分が吸血人間になった原因を突き止めた。そしてやってきたのだ、復讐のために。


 笑顔一転恐怖の表情に覆われる酒井。黒縁の大きな眼鏡がずれるのも構わず頭を振って退路を探す。デスクのものや椅子やファイル、パソコンのキーボード、様々なものを蹴倒しなぎ倒し逃げ惑う酒井を宇田川は呻り声をあげながらゆっくりと追い詰める。


 バランスを崩して尻もちをついた酒井に両腕を伸ばしながら宇田川がにじり寄っていく。酒井が絶叫をあげながら周りにあるものを手当たり次第に投げつけるが、それが宇田川に効果があるはずもない。宇田川は酒井の首に手をかけもち上げる。酒井の身体が宙に浮き、脚が空しく空を切る。酒井は自分が絞め殺されると思った。だが宇田川は酒井の首元に口を近づける。その真意を察した酒井はさらに激しく抵抗を試みる。しかし宇田川は呻き声をあげながら長く鋭い犬歯を酒井の頸動脈に突き立てていった。


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