第19話

 飾磨しかまなかなしは教室に戻り、俺は迷った後、また魔王のベッドの横に座った。


「いい歌ではないか」


 魔王が姿勢を変えずに目だけ開いてそう言った。


「聞いてたの?」

笹咲さささきの世界とは眠るということも聞くということも少し構造が違う。身の回りで起こったことは知覚できるものだ」


 それならわざわざ廊下に出た意味もなかったな、と俺は頭を掻く。

 脳裏にあることがよぎり、頭をかく手が止まった。


「知覚、できてたのか? 寝てた時も」

「疑っているのか? 笹咲が余にしようとしたこともわかっておる」

「いや、あれは違うんだ」

「よもや笹咲がああいう行動を起こすとは思わなかったが、余がこのありさまではしかたもあるまい」

「だから、あれは魔が差したというか、自分でもどうかしていたというか」

「気にすることはない。よくあることだ」

「よくあるのか!?」

「余の世界では弱ったものが捕食されるのもまた理。弱き者が強き者の糧となるのは致し方ない」


 俺は途中まで言いかけた言葉を飲み込み、聞き直した。


「……捕食?」

「余を喰らおうとしたのであろう。匂いを嗅ぎ、その口で一息に」

「全然違う。食べないよ。この世界の人間は、少なくとも同種を食べない」

「余は人間ではない」

「でも仲間だろ。仲間は、大切にする。弱っていたら助ける」


 そう言うと、魔王はゆっくりと瞬きをした。


「そうか。わかってるだろうが、余の力は徐々に衰えてる。傷は治ったが、力はさっきよりも弱くなった」

「この世界ではそんなすごい力がなくても平気だ」

「弱い者でも生きていける世界か。もう元の世界に戻ることはできないのだろうな」


 その乾いた言葉に感傷的な感じはなかったけど、決して簡単な感情ではないだろう。


「やっぱり戻りたいか?」

「戻りたいと思ってはいなかった。だが、いつでも帰れると思っていたからこそ、この世界も楽しめたのだろう。ここで生き抜くという決意をするのとは違う」

「そう、だよな」

「強さのない余には何がある? この世界で生きる価値が有るのだろうか」

「あるよ! それはある。魔王は、強いだけじゃない。優しいだろ」

「しかし、もっと優しい者も多い。ならば慣れない余の優しさなど意味がないではないか」

「それは違う。どんなに小さくても、あることが大事なんだ。一番強くなくても、強くあろうと思っていることが大事なんだ。意味はあるんだ、この世界ではどんなに小さな存在でも意味があるんだ!」


 俺は立ち上がって魔王にそう言い聞かせた。

 そしてその後、呆然と、ただ呆然と頭の中を回る自分の言葉を噛み締めた。


「どうした? 大丈夫か?」

「あぁ、大丈夫だ」

「いい世界だな。そうか、弱さにも、つまらない感情にも意味はあるのか」

「うん。いい世界だろ。教えてくれてありがとう」

「何を言っている? 教えたのは笹咲であろう」

「そうだけど、ありがとう。俺がこの世界で生きるところを見ててよ」

「だからそれは余のセリフであろう。おかしなやつだ」


 そう言って魔王は笑った。

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