第18話

 バクヒロは学校が終わると、まっすぐに家に帰り資料を読みふけった。


 父が残してくれたダンボールには、スーパーヒーローショー製作委員会との連絡手段や手続きの書類なども詰め込まれていた。


 夕方にはマミヤとキネコが家に来るはずだ。

 ニントモとはあれ以来会っていないけど、いつか何事もなかったように顔を出してくるかもしれない。


 これからミューティングがあるかと思うと、バクヒロの心は躍った。

 合宿のような雰囲気、なんだかんだ言ってスーパーヒーローの話が出来るというのは楽しい。


 それに女性と話をするという、今まで使ったことのない脳の回路を無理やり開発される感覚は新鮮だった。

 その分、相当気は使うが。


 ドアのチャイムが鳴り開けてみると、マミヤでもキネコでもない女の子が立っていた。


「あなたがバクヒロでしょ?」

「そうですけど、どちらさまで?」


 女の子はフワフワとレースの着いた派手な服装で、大げさな表情を作る。


「いやだ、忘れちゃったの? ひっどーい」

「えっ……ちょっと待ってください」


 突然許嫁や婚約者が現れたりしたわけだから何があるかわからない。

 誰かがバクヒロに内緒で仕込んだ第三のスーパーヒロインかも知れない。


 となると、この子もバクヒロのお嫁さん候補となる。


「ヒナよ」

「ひょっとして、先日助けたムクドリのヒナが恩返しに!?」

「うふっ。思った以上にしょうもない子で安心したわ。さすがおねいの選んだ男だけあるわ」


 女の子は小悪魔のように妖しく笑い、バクヒロの襟元に手をかける。


「あなたの恋人、マミヤの妹。ヒナ。はじめましてバクちゃん。よろしくね」

「こ、恋……。妹さん」

「これ、あげるわ」

「え、なに?」


 開けると円筒形の布が二つ、先端に茶色く染みができている。


「血にまみれた呪いのトゥシューズよ」

「ひぃぃ! なぜそんなホラーアイテムを」

「これ、おねいが使ってたものなの。おねいは、人生をかけてバレエを続けてたのよ。でもね、あっさりやめちゃった。さて、なんででしょう?」

「なんでですか?」

「さあね。アタシは誰かさんに誘惑されちゃったからだと睨んでるんだけど」


 ヒナは豪華なつけ睫毛に縁取られた目で、もったいぶったウィンクを決め、真っ赤な唇で投げキスをする。


「誰かさんは白馬の王子様なのか、それともずる賢い詐欺師なのか、確かめに来たってわけ」

「あ、あの。そんな」

「忘れないでね、うちのおねいはまっすぐしか見えない弾丸特急ジェット女だけど、命より大事なバレエを捨ててあなたを選んだってこと」

「……はい」


 マミヤが来るまで、と引き止めたのだが、ヒナはあっさりと尻を振りながら帰ってしまった。


 トゥシューズを見ると、裏が傷だらけでところどころほつれてもいる。


 バクヒロはバレエには興味がなかったが、このトゥシューズを見るだけでも半端な気持ちで取り組んでいたわけではないことがわかった。


 玄関にけたたましい言い争いの声が近づく。


 声の主はやはりマミヤとキネコだった。

 バクヒロの知らない所でも、自然に関係が悪化している。


「ぎゃー! それアタシのトゥシューズ。やだ、汚いよ」


 トゥシューズに思いを馳せるバクヒロを見て、言い争いですでに感情が高ぶってるマミヤが悲鳴を上げた。


 ヒナの顔の作りは、ほとんどメイクだったのか、改めて見てもあまり似ているという気がしない。


「汚くなんてない。キレイだよ」

「なに言ってんの? 変態なの? 足フェチ?」

「いや、そうじゃなくて。注いだ情熱は美しいと思うから」

「お醤油のシミがベッタリついてるのに?」

「醤油!? これ、血染めじゃないの?」

「お醤油、こぼしちゃって。なんでそんなの持ってるのよ。変態なの? 醤油フェチ?」


 マミヤは顔を歪めて、バクヒロからトゥシューズを奪い取る。


「妹さん、ヒナさんが、バレエへの努力の結晶だって。バレエを諦めてフローラルキティンを選んでくれたんだね」

「バレエは、胸が大きくなりすぎたからやめたんですけど」

「あれ……」

「あのね、うちの妹ホラ吹きだから。まるごと信じてたら神経すり減っちゃうよ」


 精一杯の温かい表情をたたえたまま、バクヒロはこの笑顔の持って行き場に困っていた。

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