第9話

 翌日の学校で、バクヒロの胸の内はドロドロのヘドロのように重く滞留し毒気を発していた。


 フローラルキティンの後継者、というよりもバクヒロの結婚相手をキネコとマミヤ、どちらにするか選ばなければならない。


 しかし考えてみるとマミヤは本当に結婚を許諾したのだろうか。

 昨日はノリで答えてしまっただけで、実は後悔をしているという可能性もある。

 魔が差すという言葉もあることだし、何かの間違いかもしれない。

 ただ間違いだったとして、それはそれで虚しいものはあるが。


 解決しなければならない問題だけど、解決してしまうのも惜しい。


「ちょっと! マミヤ様に迷惑かけないで欲しいんだけど」


 学校を出ようとした時、数人の女生徒に囲まれた。


「え、なんのことだろ……」


 バクヒロはなるべく刺激をしないように薄笑いを浮かべたが、声が裏返ってしまった。


「マミヤ様は優しいからあんたみたいのも相手にするけど、調子に乗らないでよね」

「いや、調子には特に乗ったりしてないですけど……」

「あんたみたいのと一緒にいるとマミヤ様の品位が下がるの。わかる?」


 どうもバクヒロがマミヤに近づいたことが原因らしい。

 確かにバクヒロはマミヤみたいな人気者ではなく、ニントモくらいしか仲のいい友達はいないが、そこまで言わなくてもいいのではないだろうか。


 バクヒロの人格や行動はともかくとして、マミヤからOKをもらったのは事実なのだから、そんな言いがかりを付けられても困ってしまう。


 さっきまでの『間違いだったのでは』という思いは一気に吹き飛んだ。

 むしろマミヤは間違いなくバクヒロと結婚したがっているという、謎の確信が勢いを増す。


 そもそもこの女生徒たちの、勝手に格下に見て蔑む態度が不快だ。

 学校内のヒエラルキーが下の方と決めつけてるから強気な発言も出来るのだろう。

 それはいじめとなんら違いのない最低の行いだ。

 心の奥にスーパーヒーローがいたら、決してそんな愚劣な行動など起こせないはずだ。

 本当のことを告げたらこの人たちはどんな悔しそうな顔をしてくれるんだろう、と加虐心すら湧いてくる。


「なに、どうしたのぉ?」


 その声を聞いた瞬間、バクヒロを取り囲んでいた女生徒は悲鳴のような高い声を挙げて一箇所に集まる。

 取り囲んでいた女生徒より頭一つ背が高く、圧倒的な華やかさを感じさせるマミヤだった。


「なんか、この人が気持ち悪くて……」

「マミヤ様、気をつけたほうがいいですよ」


 まるでバクヒロを犯罪者のようにマミヤにご注進する。


「あのね、ボクはマミヤの婚約者なんだよ。な?」


 間違いのない事実だけを、バクヒロは自信をもって言い放った。

 その言葉に取り巻いていた女生徒は怪訝な表情でマミヤとバクヒロを見返す。

 

 あまりにも完全な勝利にバクヒロの心は澄み渡り、勝利のシンフォニーが流れる。


 そのシンフォニーをミュートしたのは、マミヤの曇った表情だった。


「……そうだけど、何もこんなところで言わなくてもいいじゃない」


 あれ?

 そんな感じなのか?

 明らかにバクヒロの味方ではない振る舞いだ。


「なんで、こんな人と」

「もっとふさわしい人がいるのに」

「マミヤ様かわいそう」


 女生徒たちはシクシクとわざとらしく泣きはじめる。

 バクヒロの立場はマミヤを無理やり手篭めにした悪代官のようだ。


 そしてバクヒロの心をさらに圧迫するように、騒ぎを嗅ぎつけて周りに人が増えてきた。


 バクヒロたちを見て遠巻きにヒソヒソと話をしている。


 煩わしい野次馬たちの存在に焦りと苦しみと不安が押し寄せてくる。

 ただ人を興味の目で見つめる、その数の圧力は人間の精神を追い詰めるのに十分な兵器だ。

 そんな野次馬たちの視線の一つにバクヒロは心が凍りついた。


「あ……。キネコさん」

「こんにちは」


 キネコはこちらに近づいてきて状況を確認すると、CTスキャンのようにマミヤのつま先から頭の先までチェックする。


 バクヒロがどう切り抜けようかと固まっているとマミヤが前に出た。


「こちらは?」


 マミヤはキネコではなく、バクヒロに詰問をする。

 機嫌悪そうな表情はそのまま、さらに眉間に地割れのようなシワができている。


「あの、こちらは……。昨日知り合ったばかりの……」

「私、バクくんの許嫁のキネコと申します」


 その言葉にシクシク泣いていた女生徒たちは悲鳴のような大声を上げて泣き始めた。


 若い女性の泣き叫ぶ姿に、野次馬の数は増していく。


 きっと彼女たちの中では、バクヒロは何人もの女の弱みを握り無理やり自分の女とする極悪ジゴロとなってるのだろう。


 確かに二股をかけているのは事実ではあるが、それだって運が悪かっただけで、バクヒロが自分の意志で行ったわけではない。


「はじめまして。アタシはバクヒロの婚約者のマミヤです」


 マミヤの宣言に女生徒たちの悲鳴は激しさを増す。


 至近距離で視線を交わし合うマミヤとキネコ。

 それを煽るように嗚咽を上げる女生徒。

 ざわつく野次馬たち。

 いつの間にかここは暴風雨の中心になっていた。


 この戦いをこれ以上続けたら、世界が崩壊する。

 少なくともバクヒロの精神が崩壊する。


 誰でもいいから助けて欲しい。


「とぉ~う!」


 誰も入れないと思っていた渦中に一人の影が舞い降りた。


 片膝をついたポーズからゆっくりと立ち上がる。

 立ち上がった所で背が低いので野次馬からよく見えなかっただろう。


 地面から生えたように登場した赤毛のパーマの救世主、ニントモだった。


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