第8話

「こちら、キネコちゃん」


 母がそう紹介し、頭を下げた女の子が顔を上げた。


 切れ長の瞳に、口角の下がった薄い唇。

 一直線に切りそろえられた長い黒髪に意思の強さを感じる。


 一見、気が強そうな感じがしたけど、笑うと目が潤んでなんとも言えない儚い感じがした。


 スーパーヒロインと言うよりも、守ってあげたくなるようなか弱いヒロイン役が似合いそうだ。


「こっちが話してた、バクヒロ」

「はじめまして」

 向い合って頭を下げる。


 キネコは、視線を外さずまつげの長い瞳でじっとバクヒロを見つめている。


「じゃ、あとは若いもの同士でごゆっくり……」

 そう言いながら、母はわざとらしくいやらしい笑顔を浮かべながらこの場から立ち去った。


 母とともに去っていった父は、ハリウッド映画のワンシーンのようにサムズアップを残して壁の影に消えた。


「えー……」


 なにか話し出さなきゃ、とバクヒロは口を開いたが、何を話せばいいのかまるで思いつかなかった。


 要点はわかっている。

『結婚をとりやめにしましょう』

 これだけだ。

 だけどそれがどれほど重いことか。


「えー……」


『ご趣味は?』と口に出しそうになり思いとどまる。

 それではお見合いだ。

 今はむしろその逆、断らなくてはならない。


 相手のことなんて知る必要はないし、下手に知ったら仏心がついて余計に断りづらくなる。


「えー……」


 考えがぐるぐると巡り、なんでこんな状況なのかもよくわからなくなってきた。

 そもそもキネコはそもそも結婚のことをどう思っているのか。


 会ったこともない男と結婚を決めるなんて普通は考えられない。

 スーパーヒロインになることだって、女性の社会進出がめまぐるしい時代にそれほど魅力的な選択肢じゃない。

 自分と同世代では、憧れよりも蔑みの方が一般的な反応だというのはバクヒロが一番良く知っている。


 きっと母がいつもみたいに強引に話をつけて、バクヒロと同じように困惑してるのではないか。


「フローラルキティンを継ぐって話ですけど」

「ええ。昔からの夢でしたから」

「実際にはすごい大変なんですよ。体力的にはもちろんきついし、戦ってない時だって常に鍛えてないといけないし、あんまり知られてないけど事務処理とかそういう退屈な仕事だって多いらしい」

「大丈夫です」

「そうは言うけど、若い女の子がおしゃれをする時間もないし、友達と話だって合わなくなるし……」

「友達なんて必要ありません」


 キネコは恥じるわけでもなく、胸を張ってそう答えた。

 固く結んだ唇、まっすぐな視線に息が詰まりそうになる。


 この歳でスーパーヒーローが好き、なんて言ったら絶対に距離を置かれる。

 はたしてバクヒロはここまで真っ直ぐにそれを肯定できるだろうか。

 きっと話の合わない人たちには薄ら笑いを浮かべて「スーパーヒーローなんてね」と媚びるように同調してしまうだろう。


 いままではそうしてきた。

 自分の心を裏切って、勝手に傷ついて、それをごまかすためにアイツラはわかってないと見下していた。


「すべて覚悟してます。どんなにバカげた話だと笑われても本気です。なぜなら、私はスーパーヒロインに救われたから」


 キネコは力強く決意を述べた。

 そうか、そのタイプか。

 バクヒロは点と点がつながって線になったような気がした。


「たしかにスーパーヒーローやヒロインに助けられた人は少なくないし、その人達が狂信的なファンになることもあります。でも幻想を抱きすぎるとその反動も大きいですよ。たとえあなたがそのスーパーヒーローをどんなに焦がれても、彼らはあなたのことなんて覚えてない」

「いいえ。実際に助けてもらったことはありません。でも、私はスーパーヒロインがいるから生きていけるんです。挫けそうなときも、自分が大嫌いな夜も、それでも生きていくことを許せるのは、戦っているあの人たちがいるから。私の背骨を支えてくれてるのはスーパーヒロインなんです」


 思わずバクヒロはその言葉に固まった。

 しばらく口を半開きのままだらしない顔で。

 そのくらい衝撃だったのだ。


 その言葉は、まるでバクヒロの言葉だったからだ。


 バクヒロがいつも思っていた気持ち。

 バクヒロ自身もスーパーヒーロー、ヒロインに背骨を支えてもらっていたのだ。

 キネコの気持ちは痛いほどわかった。

 はっきり言って、もうこれ以上言葉はいらないくらいに。


 でも、きちんと断らなければいけない。彼女に伝えなければならない。


「それで、結婚のことですけど……」

「はい。よろしくお願いします」

「……こちらこそ」


 ここぞという時にスーパーヒーローはバクヒロの背骨を支えてくれない。

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