第6話
学校の帰り、と言ってもバクヒロは女の子と並んで歩くなんてことは今までに味わったことのない非日常だった。
「……聞いてる?」
怒気を含んだマミヤの声がバクヒロの耳に飛び込んだ。
少したれた目には、感情がダイレクトに浮かび、ぽってりと柔らかそうな唇は、頬をふくらませたためか小さくすぼまっている。
「あ、ごめん。ちょっと周囲を警戒していたから」
もちろん嘘だった。
唐突な展開に精神がついていけず、放心状態になっていただけだ。
信じられないというより、信じるのが怖かった。
バクヒロが神様だったら、バランスを取るために地球に巨大隕石を落としているところだ。
3回くらい。
「やっぱりそういうの大事なのね。周囲を警戒する時ってどういうところに注目したらいいの?」
「え? ……よくわからない」
「え?」
ついた嘘に5秒で足元をすくわれる。
スーパーヒーローの『正直に生きよう』と教えを実感する。
「なんだっけ? 何の話?」
「スーパーヒロインって結局何するの?」
「普通の人はそういうの知らないよね。各地に現れるスーパーヴィラン、つまり悪の怪人をやっつけるんだよ」
「そもそも悪の怪人って何なの? なんのためにそんなことしてるの?」
現代の一般人からしたらスーパーヒーローと怪人の戦いなんて、どこかで起こってるはた迷惑な祭りみたいなもんで特に気にしたりはしないものだ。
良い悪いとかじゃなくて、関係ない人がわざわざ裁判の傍聴に出かけないように、スーパーヒーローと怪人の小競り合いにも興味を持たないのが一般的な感性だ。
「そうか、そこから説明しなきゃダメなんだよね」
「その話し方、オタクみたいで気持ち悪い」
何気ないその一言が、一気にバクヒロの気分を氷点下までクールダウンさせた。
意識してなかっただけにダメージが大きい。
もしいま、目の前に地球爆破スイッチがあったら躊躇せずに押してしまうだろう。
しかも連打で。
いきなり絶望の沼に囚われて一言も口が聞けなくなってしまったバクヒロを見てマミヤは慌てて顔を覗きこむ。
瑞々しいショートカットが揺れ、いい匂いがバクヒロの鼻の奥をくすぐる。
「なんかアタシ、地雷踏んだ?」
「いや、まぁ。大丈夫だけど」
「ごめんね」
そう言ってマミヤはバクヒロの手に自分の手を重ねる。
その手は、どこまでも温かく、妙な安心感があった。
「ギィーヤァー! ちょっと、手すごい冷たい! 身体大丈夫?」
「大丈夫。ちょっと死神にとりつかれてただけ」
「なにそれー」
マミヤの快活な笑い声が、バクヒロの身体の内側を溶かしていった。
「今から20年くらい前の話なんだけど、ある会社が世界を征服したんだ」
「は? なにそれ、ゲーム?」
「なんて言うかな。世界征服って言っても、アレキサンダー大王とか世界史に出てくる戦争とかじゃなくて。すごく経済的に。知ってると思うけどハルアグロって会社。ハルインダストリアルとか、アーキットの親会社」
「知ってるけど、そんなの歴史で習ったかな。アタシが知らないだけ?」
「教科書には載ってないけど、ボクは世界征服だと思ってる。もし、ハルアグロが無くなれば関連企業なども含めて世界の7割が失業するとも言われているし、テクノロジーは50年は巻き戻るとも言われてる。逆に言えば、現代のボクらの生活ってのは、必ずどこかでハルアグロのお世話になっていたりするってこと」
「その会社が悪い事してるの? 地下で奴隷を働かせてるとか」
「わかりやすい悪さじゃないんだよ。ハルアグロってのは元々、情報通信の会社だったんだけど、いまでは農業、工業、あらゆる分野に伸びている。当然、軍需産業もね」
「それが実は悪の秘密組織なのね」
「そんなに秘密にはなってないけど、その手の黒い事業を営んでるのが傘下のハラグロスという組織なんだ」
バクヒロにとっては当たり前の常識であるが、こうも新鮮な反応をしてくれると少し誇らしくなる。
「どうして警察とかは何もしないの?」
「そういうのに警察や軍隊で対応してしまうと外交問題になるから。ハルアグロと揉めたら、最悪日本人のほとんどが失業者になっちゃうし、電気や水道のインフラだってダメになる。最初に言った通り、ハルアグロは既に世界を征服してるわけだから」
「そんなの一方的じゃない、ずるい!」
「国としては黙認するしかない怪人だけど、だったら個人の手で退治すればいい。そこで各地にスーパーヒーローやスーパーヒロインが現れたんだ」
「それがアタシなのね。わぁ! もう、最っ高じゃないの」
「悪は野放しにしちゃダメなんだよ」
「じゃ、ああいうのも?」
マミヤが指した先には、駐車場に座り込んで大声で笑っている若者たちだった。
若者といってもバクヒロより年は上だし、背も高いし、筋肉の量も多いし、なおかつ態度もものすごく大きい。
言うまでもなく、ものすごく苦手なタイプだ。
犬ならしっぽを股の間に隠してキュゥンと鼻にかかる声をだしてる。
「いや、ダメだよ。悪いことしてないし、してたとしてもこういうのは警察の仕事だから」
「でも周りの迷惑でしょ。あれが善良な市民に見える?」
若者たちは設置されているゴミ箱をガンガンと蹴り、壁にスプレーで落書きをしていた。
「本当は心優しい青年たちかもしれないよ。なにか事情があって、ほら、現代アートとかなのかも。人を見た目で決めたりするのはいけないよ」
「絶対悪いことしてると思うんだけど」
マミヤは不満そうに若者たちを睨む。
細い眉毛がキュッと寄り、眉間に小さなシワが出来た。
「なぁ、なんでこっち見てんの?」
駐車場の一人が大きく威圧的な声を出すと、他の仲間も立ち上がり、こちらに視線を向けてきた。
「さ、行こう」
「なぁなぁ。待てよ。なんかうちらに用事があったんじゃないの?」
若者二人がバランスの悪い歩き方でこっちに近づいてくる。
振り返ることなく、バクヒロはマミヤの手を握って駆け出した。
しばらく走り、幾度かの角を曲がり、建物の影に身を隠すように足を止めた。
昂った精神を治め、乱れた呼吸を抑える。
マミヤは息も切らさず、そんなバクヒロを見下ろしていた。
「はぁ……はぁ……。うん、体力的には問題ないね。いやぁ……そこが一番心配だったんだけど。これなら……うん……問題ないや」
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