第10話 ご領主様の招待状

 程よい疲労は質の高い睡眠を促すという。なんと心地よい朝だろうか。


「で、なんでいんの」


『そりゃもうトマトのヴィネガー漬けを食べるために泊まっていました』


 さすがに添い寝というわけではないのだが、なぜか僕のベッドの真横に簡易ベッドが準備されており、食物の神『ウカー』が眠っていた。


「こんなに現世にいるんだったらもうウカルって呼ぶか……」


『それでいいですよ』


 いいんかい。


 女神が目の前にいようがもう気にしないで身なりを整え、キッチンへ向かう。



 細けぇこたぁいいんだ。女神本人がウカルでいいって言ってるんだからそれでいい。なんかウカルって学問の神様みたいだよな。なんとなく受かりそうだよ。


『学問の神は面接で落ちたんです……』


 どの専門の神になるかって面接試験があるのか。知らなかった。誰も知らんだろうな。


『他言しないように』


 今さらっと言ったけどな。


 

 いつもルナが起こしに来る時間帯よりもだいぶ早くキッチンに来たのだが、なぜかもう皆がそろっていた。そこまでトマトが気になるのだろうか?適当に朝の挨拶をしてトマトの味見をする。


「んー、まぁまぁかな。クローブとかケッパーがあれば良かったな。胡椒や唐辛子を入れても良かったかもしれない。少し塩や砂糖を入れて調整するか……っておい!」


 ルナが我慢できなかったのか、つまみ食いを始めた。女神であるウカルまでつまみ食いをしている。


「あら、あらあら」


 何が面白いのかキャロさんはルナとウカルを見てから僕ににっこり微笑んでいる。


「味見していいかい?」


 ジャンさんは一言断ってから『トマトのヴィネガー漬け』を味見する。


「ほう、もっと酸っぱくなると思ってたんだが、これはいい感じだね。でも思ったよりも、普通というかさっぱりというか」


「えぇ、今回は本当にシンプルな感じですからね。白ワインヴィネガーとローリエだけ。ここにもう少しハーブや香辛料を足したりすると香り良く味に奥行きが出るんじゃないかなぁと思います」


「これはどれくらい漬けてればいいんだい?」


 メモを取りながら話を進めるジャンさん。ルナとウカルは取り合いを始めたようだ。少しキャロさんの目が光りはじめている。


「そうですね、だいたい一晩、時間にして12時間前後あればいいと思いますが、もう少し早くても、または長くても良いかと思います。色々試してみて、自分なりの時間を決めるのが良いですね」


「そうか。じゃぁさっきの香辛料とかの件も含めて今からいくつか漬けてみるよ」


 それからジャンさんは人参、大根、きゅうり、ナスなど色んな野菜を漬けはじめた。トマトのヴィネガー漬けなんて言ったけど、まぁ要はこうなるとピクルスだな。


 ルナとウカルの戦いはキャロさんの眼力によって終戦したらしい。二人とも大人しく朝食の準備を始めている。


「今日は朝の営業をしない予定だったんだ。だけどどうも昨日の反響がすごいみたいでね。お昼より少し早いくらいに店を開こうと思う。それと冷凍庫を発注したよ。さすがにあれだけオーダーが回るとリゾットはさばけないからね……」


 昨日はリゾットやトマトのファルシで大忙しだった。聞きつけてやってきた顔ぶれが中々の人たちだったようで、今日には街中に噂が回ってるだろうとのことだ。



 しばらくしていつもの朝食をとった。なんだかんだで変わらない、野菜スープと昨日残ったトマトのファルシ、固いパンに牛乳とハーブティーだ。


(なぁ、女神って普通に食事するのか?)


『(この体を得て現世にいる間は人と同じです。ただほぼ不死身ではありますね。まぁ体が損失しても自分の神界に戻ればいいだけですし。というかこの響くしゃべりかたもやめますね)』


 昨日ウカルがジャンさんの食堂にやってきてから気になっていたのだが、現世にいる時もなんとなく夢で話してる時のような、ウカルの言葉は妙に脳裏に響く感じだったのだ。


「あら、あらあら。なんだかショーマくんとウカルちゃんは仲が良さそうねぇ」



 そろそろ店を開くかと開店準備の仕上げをしてる時のことだった。ノックの音がするので入り口をあけた所、昨晩エリーの執事であるアーシュさんと一緒にきていた、爺や殿と呼ばれていた人が訪ねてきた。


「これはどうも、昨晩はありがとうございました」


「いえいえ、美味しい料理をありがとうございます。改めまして、私はシエルナ伯爵家の使いの者、ジーヤと申します」


 なんと、本名がジーヤだったのか。と言うか今さらっととんでもないこと言い出したぞ!?


「こちらは我が主シエルナ領主からの手紙と晩餐会の招待状でございます。で、早速ではございますが、都合が合えば今晩にでも、と主は申しております」


 奥からジャンさんが出てくる。


「え、なんだって!りょ、領主様が?」


「左様。ご家族全員を招待しておりまして……おや、そちらのお嬢さんは」


 ジーヤ爺やがちらっと奥をのぞく。


「私?ウカルでございます」


 人間界での言葉遣いになれてないのか、いまいちキャラの定まらない喋り方をする。


「ほう……ふむ。南の商人ウカル様ですな。えぇ、よければウカルお嬢様もご出席ください」


「あら、ありがとう。好意に甘えるわ」


 ジーヤ爺や……ややこしいな、爺やでいいや。この爺やがウカルを見る目はなんとなくキャロさんと一緒だな。


「今日は夜の部は臨時休業ね。今晩、領主様の晩餐会に出席させていただきます」


 固まってるジャンさんをどかしながらキャロさんが答える。


「ありがとうございます。我が主もとてもお喜びになるでしょう。それでは」


 昨晩はただの酔っ払い爺さんに見えた爺やも、今日の装いや歩き方からするとかなりの人に見える。これだけの人が使いにきたという事は領主である伯爵家にとって、何か昨日の飯でもすごい印象を与えたのだろうか。

 しかし、それにしても相変わらず定番の展開が続いていく。まさかエリーが領主である伯爵家の娘で、そして貴族に晩餐会へ招待されるなんて。



「思ったより早かったわね。服の試着、早めにしなくちゃ」


 キャロさんは何か予想してたらしい。


「服の試着、ということは何かドレスコードでもあるんですか?」


「そうねぇ、必ずしも、という訳ではないのだけど貴族様からの招待を受けた場合はそれなりにおしゃれをしていくのが礼儀みたいなものなのよ。もっと田舎の街や村の人だったらそこまではないんだけど、この領主街に住んでいて何か商売をしている家であれば、ドレスやテールコートを着るのものね。でもまぁタキシードで大丈夫だと思うわ」


 ルナのドレス姿でも見れればと思っていたが、思ったより早く拝めることになったようだ。


「僕らの年齢に合わせた礼服なんてすぐに用意できるんでしょうか」


「昔ね、ジャンと……あ、いやジャンが着ていたものがあるわ。あとはそうね、私のもあるから。ルナとウカルちゃんは背格好が近いからどっちも着れると思うわ」


 キャロさんは一体何者なのだろうか。それとこの家の過去はやはり何かあるように感じる。今は触れられないけど、いつか話してほしい。家族のように接してくれてるけど言えないことを抱えられてるのは、気になって仕方ない。



 僕の服装はタキシードに決まった。特筆するようなデザインでも無いのだが、なんとなく布の質が良いような気がする。ルナとウカルは中々決まらないようで、昼の営業は僕が1人でジャンさんを手伝い、その時間中ずっと着せ替え人形をしていたようだ。


「髪型はそんなに細かくセットしなくても大丈夫でしょう。お貴族様みたいに丸1日かけて準備はできないわ。人でも足りないし」


 ルナは淡い銀色のドレスに赤と黄色の刺繍が入っているドレス、ウカルは茶色をベースに所々ベージュや桃色のラインが入ったドレスだった。もう少し色の差があったら何か苺チョコレートのお菓子みたいになっていただろう。2人ともちょっと気恥ずかしそうだ。


「ウカルはともかくとして、ルナはドレスを着たことが無いのか?」


「うん、これが初めて」


「わ、私だってこういうドレスは初めてよ!」


 ウカルが食物の神『ウカー』として夢に現れる時はだいたい適当な布切れを巻いたようなかぶったようなもやっとした感じだった。


「ドレスを脱いでまた着るのは大変だから、今日はこの格好のままで居ましょう」


 そうして昼の部を早めに切り上げ、領主晩餐会へ心の準備をすることにした。


 ちなみに客足はものすごかったのだが僕とジャンさんではさばききれないということで、入場制限を行い、営業時間も予め短いことを告知して何十人かには諦めて帰ってもらった。それがまた、あの店は中々入れない人気店という噂話で広がっていくのは後日の話。

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