第9話 トマトのヴィネガー漬けと各種調味料
世の中には定番の話だとかオチというものがある。異世界へ転生して早1ヶ月、なぜこのタイミングなのか知らないが、いわゆるラッキースケベ的なものに遭遇している。
「……」
「……ごめん」
多くの場合は悲鳴をあげられてヒロインから攻撃を受け、致命的なダメージを負うパターンだろう。しかしルナは顔を真赤にして固まっていた。僕は何も見ていない、そうきっと何も見ていないんだ。
部屋に引きこもること10分ほど、いつもの足音が聞こえてきた。
コンッ――
(出たよ)
ルナが小さな声で湯浴みが終わったことを告げ、そそくさと去っていく足音だけが残る。
もしも前世だったら湯船に顔を沈めてぶくぶくしてた所だろうか。あいにくどこの異世界転生ものと同じように、ここも湯船は無い。色々魔道具を作れるんだからシャワーくらいあるのかと思ったけどそれもない。石鹸とお湯・水が出せる蛇口がついてるくらいだ。
この街は比較的インフラが整っているらしく、井戸もあるが上下水道がきちんと整備されている。風呂のお湯・冷水は常に魔力を必要としないため、魔石が埋め込まれており、使う度に魔力が消費される仕様のようだ。マンガン乾電池のようなものだろう。
湯浴みを終え、就寝する前にキッチンへ向かう。どうしても仕込みをしておきたいものがあった。
食堂を見渡すと、いつもみたいに3分の1くらいだけ解放して、他は衝立で遮られていた。その残ったスペースに呑んだくれどもが居残っている。
「それでだ、バカバカスタインよ。あの料理を考えた若造をだな……」
「バルバンスタインです、爺や殿」
こんな時間帯まで大丈夫なのか、エリーの執事であるアーシュさん達まで居た。あの爺やと呼ばれているご老人、おそらくわざと名前を間違えているのではないだろうか。
『ぶどーしゅ〜!』
「あら、あらあら。ウカルちゃんはよく飲むのねぇ」
色んな異世界転生もので駄女神とかいうのを見てきたが、食物の神『ウカー』も大差ないのでは無いかと思う。まぁでも葡萄酒が好きならお供えに足しておこう。稼げるポイントは稼いでおく主義なのだ。
「おや、まだ起きてたのか?」
「えぇ、ちょっと片付けでも手伝って仕込みをしようと思っていまして」
「片付けねぇ。もう特にすることは無いよ。それで何するんだい?」
どう見ても洗い物が大量にある気がするんだが、ジャンさん的には僕が何かをつくるほうに興味があるらしい。洗い物するぐらいならとっとと作って寝ろということだろう。
「こちらにある白ワインヴィネガーにトマトを漬け込みます」
「なんだってぇ?酸っぱいだろそりゃ」
この世界では調理法というのが乏しい。観察してて思ったのだが、漬け込むという概念が無いのだ。
トマトを軽く湯がき、皮をむいていく。
「えぇ、本当はもっと色んなものを使おうかなと思っていたんですが、これくらいしかないので。僕がいた世界では醤油やみりん、日本酒、それから魚を加熱してから乾燥させ、そこから出汁をとったものとかを使って色々やったんですよ」
『しょーゆなら任せなしゃい!』
お、酒クズ食物の神が口をはさんできたぞ。神の権限を使って準備してくれるらしい。
「日本酒もお願いできないかなぁ」
『にっぽんしゅは、手間、かかるから、でも、まぁ、どうにかする!しゃけのかみに!言っておく!』
にほんしゅなんだけどな。まぁいいや。というかそんな強権発動できるのか
「ウカルちゃんは優秀な商人なんですねぇ」
一応建前上は南のほうから来たすごい商人ということになっている。キャロさんは感心してるが口ぶりからすると、どうも女神ということに気づいていながらも彼女のために話を合わせてるように見える。
「これは後日期待できそうですね。トマトのヴィネガー漬けはですね、軽く一晩くらいなら大丈夫ですよ。ローリエも少し入れておくと香りが良いです」
「ほー」
ジャンさんが細かくメモしておく。きっと明日には色んなものをヴィネガー漬けにするのかもしれない。買い物メモにヴィネガーが追加されていた。
『
升麻、なんて懐かしい響きだろう。曖昧だった記憶が少し戻った。そう、前世の名前は升麻だった。升麻とは植物の名前で科や属をまたいでいくつかの植物に使われていた。また山菜や生薬にも利用される。そうだな、そのうちウカーに取り寄せられないか頼んでみよう。
「あら、ウカルちゃんは彼の名前を正しく発音できるのね」
『うむ、なんたって我はめgうぐむぅ……』
キャロさんがすかさず感心感心とばかりにその立派なお胸にウカーを押し込む。あまりおおっぴらに女神であることを言うべきじゃないのだろう。何かを察したキャロさんが行動に出たようだ。呼吸ができないのか顔色が悪くなっている。女神も呼吸するんだな。
「そんなわけで、そろそろ寝ますね」
「あぁ、今日は1日本当にありがとう」
「ショーマくんありがとうね。そうそう、明日ちょっと試着してほしい服があるから時間くれないかしら?」
「試着、ですか?」
「そうなの。近々ちょっとした服が必要になりそうだなって思って」
「?」
「?」
ジャンさんと僕はお互いの顔にはてなを描く。先程まで押しつぶされていたウカーは半透明になってる。レイスだなんだと周りが騒がないのだろうか?
『(半透明になる魔法もあるので大丈夫です)』
おう、いきなり念話送ってきやがった。
いつもなら寝る前などはルナがそのへんをぶらぶらしていたり、一言声をかけてくるのだが、今日はやけに廊下が静かだ。ルナの部屋の前を通っても物音がしない。恥ずかしくて引きこもっているのだろうか。軽くノックをして声をかける。
「さっきは本当にごめん」
「……」
なんとなくドアの向こうに気配を感じつつ、返事はない。
「明日はね、美味しい料理を仕込んでおいたからね。きっと驚くと思うよ。おやすみ」
そう言って部屋の前を通り過ぎていく。そう、僕らは思春期なのだ、仕方ない。
「そういえばドライトマトも作っておきたいなぁ。トマトがこれだけ流通してるのに、いまいち加工・調理技術が発展してないんだよなぁ。どことなく足りない魔道具の種類と言い、これが食物の神が言ってた人の想像力の欠如なんだろうな。これがどうなって世界が終わるって話につながるのか分からんが、料理以外にもアイデアは広めていったほうが良さそうだな」
主人公だとか救世主という柄でもないんだが、頼まれた使命は全うするつもりだ。料理人という夢も前世では道半ばに途絶えてしまった。
「そういえば包丁、使ってないな……」
転生特典として前世に使っていた包丁を何丁か一緒に連れてきてもらった。包丁に使われてる素材、鉄と鋼あたりは普及してそうだけど、ステンレスやセラミックは無さそうだな。専門外ではあるが、なんとかして創造してもらうか。
意外に人生かけてやることが多いなと思い、僕はそっと目を閉じた。
『明日はトマトのヴィネガー漬けなんですね。楽しみです』
なんでいちいち夢に出てくんだよ、この女神。
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