第十五話 家政婦は見た

 奥村妙子はベテラン家政婦。妙子が仕事熱心で評判がいいのは、実は妙子にのぞき趣味があるからだった。

 今度、妙子が通いはじめた井村邸は、主人の俊樹が整形外科医で五十歳。妻の翔子は四十一歳で、もっぱら遊び歩いている派手好きな性格と聞いていた。子どもはいない。

 噂どおり、奥さんの翔子は化粧も濃くて、夜は決まってどこかに出かける。そしてご主人のほうは、仕事熱心な倹約家で、ただ一つの趣味は、写真だけのようだ。ひまがあると、二階の奥にある「現像室」という暗い部屋に入り込んで、フィルムをいじっている。

「いいかい、現像室だけは、絶対に入ってはいけないよ」

 最初から妙子は、俊樹にきつく言い含められていた。掃除中にたまたま、その部屋の前まで近づいたら、

「あ、そっちには行かないで」

と、妻の翔子に後ろから怒鳴られた。

(あの現像室の中には、きっと秘密があるんだな)

 妙子は長年の経験でピンときた。夫妻が留守のとき、そっとドアを引いてみたが、ちゃんとロックしてあった。



 ところが、ついに中をのぞき見ることができたのだ。日曜日の午後だった。妙子が、二階にあがっていったとき、現像室に入る俊樹の後ろ姿が見えた。ドアが少しだけ開いている。足音を忍ばせて、妙子はそっとドアのそばに近づき、すき間から中をのぞいた。

 フローリングの床の上には、写真の現像焼き付けの器具がいろいろと置いてある。窓のない壁ぎわには、芸術写真を貼りつけた大小のパネルが立て掛けてある。

 俊樹は、奥の壁の前に立った。すると、壁がするすると横に動いた。どうやら電動式になっているらしい。

(あ、隠し戸棚だ)

 妙子は緊張して、壁の裏から現われた戸棚を見つめた。そして、思わず息をのんだ。俊樹が立った戸棚の中には、莫大な札束と、そしていかにも重そうな金の延べ板が、山と積まれているではないか。

(やっぱりこの家、脱税していたんだ)

 整形医として、俊樹が大きな収入をあげ、それを隠しているという噂を、妙子は聞いていた。あそこに、その利益を隠していたのね。これは大発見だわ。妙子は興奮した。

 目で確認した事実を、妙子が税務署にすぐ知らせたのは、言うまでもない。一つには正義感にかられてだし、一つには脱税があばかれる現場を、この目で見たいという好奇心のせいだった。



 十人もの税務査察官が、さっそく井村邸にやってきた。どやどやと彼らは現像室に入り込んだ。妙子は部屋の入口に身を隠して、じっとことの成り行きを見守っていた。

 査察官の注目する前、俊樹によって隠し戸棚の戸が開けられた。

(さあ、ご主人、もうこれで逃げられないわ。あのお金も金塊も、全部、ひとまず没収されるのかしら)

 俊樹が彼らに、説明する言葉が聞こえた。それはまるで、戸口に隠れている妙子に聞かせるかのように、大きくて、はっきりした声だった。

「これはですね、ほら、このとおり、札束ときんの写真なんですよ。私の趣味は写真。現物と同じ大きさに引き延ばして、パネルに貼ったんです。パネルが大きくて、置き場所がないもんだから、この戸棚に納めてあるんですよ」

 妙子は、のけぞってしまった。

(えっ、まさか。あれは、写真だったの。現物大だし、ちょっと暗い部屋だから、そう見えただけなの?)

 俊樹の声はつづいた。

「立体感を出すのに、苦労しました。だから少し離れて見ると、本物に見えます。これは、ある劇団が舞台で使いたいなんて、言ってましてね」

 税務官たちは、お騒がせしましたと詫びを言って帰っていった。



「さあこれで、今度は密告があっても、税務署はもう来ないよ」

「そうよね。だから早く写真パネルは片付けて、本物の札束と金をここに移しましょうよ。隠し場所としたら、いちばん安全なところになったんだから」

「それにしても、われわれの計画が成功したのは、家政婦にのぞき好きな人を選んだからさ」

 妙子が井村邸を辞めてから、夫妻の間で交わされた会話である。

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