第十四話 盗まれた新札

 花木育子は五十二歳。長年、ブティックを経営してきた。その日の朝、店に出てびっくりした。金庫が開けられて、中身が空になっていたのだ。天井の一部が破られていた。賊はそこから店内に侵入したらしい。

 通報を受けて、警察がやってきた。店員たちが見守る中、現場検証が行われた。刑事が育子に訊いた。

「金庫の鍵はかけてなかったんですか」

「いつもダイヤルロックだけで、合鍵は使ってませんでした。だって暗証ナンバーを知らなくては、開けられないはずですから」

「そうなると、犯人は金庫破りのプロですな。特殊な音量増幅装置と聴診器を使って、ダイヤル軸が金庫の扉の中で回るかすかな音を聞き取る。ごく微妙な音の変化から、金庫の把手とってを動かすためのナンバーの組み合わせを探り出すんです。とても素人じゃできない」

 そんな面倒な手間をかけなくても、金は盗み出せるわ、と育子は胸のうちで思った。

「盗まれた金額は、いくらですか」

「五十万円ほどです。帳簿の残高も、そうなってます」

「ほかに、金目のものは?」

 そう質問されたとき、育子の頭にあるアイデアがひらめいた。とっさに嘘をつけ加えた。

「実は、百万円の札束も入れておいたんです。これは、帳簿とは別なプライベートのお金でして。この札束はきれいな新札でした」



 盗難を知ったとき、育子は犯人の心当たりが、すぐについた。経理を任せている店員で、二十五歳になる独身の稲葉晴美が怪しいと思った。わずかな金額だが、日頃から店の金をごまかしているのに、最近、気づいた。

 警察では、晴美をはじめ、金庫の暗証ナンバーを知っている店員たちに、昨夜のアリバイを尋ねた。全員にアリバイが成立した。

(すぐに疑われるようなことは、彼女だってしないわ。男にやらせたんだ)

 店に出入りしている咲田という三十歳前後の男がいる。服地販売会社のセールスマンだ。咲田と晴美が、ひそかな男女の仲なのは、二人の間のさりげないそぶりから、育子はとうに見破っていた。

(晴美は、暗証ナンバーを咲田に教えたのね。そして彼に金庫の金を盗ませたんだ)

 そう推測したものの、証拠はなかった。そこで育子はわなを仕掛けるのを思いつき、百万円の新札も盗られたと、みんなの前で嘘を言ったのである。

 夕刻になって、咲田が店に来た。育子は、咲田がいつも持ち歩いている黒い大型バッグに目をつけた。事務所にそれを置いたまま、彼がトイレに行ったすきに、育子は用意しておいた新札の一万円札を三枚、バッグの底に忍ばせた。バッグの中には、布地の見本などが雑然と入っていた。



 その二日後の夜、晴美のアパートに咲田が来ていた。咲田は黒い大型バッグを開け、中から五十万円ほどの札束を取り出した。

「お陰で、うまくいったぜ。約束どおり、この半分は君のものだ」

 札束を晴美の前に差し出した。晴美はそれをつかむと、いきなり咲田に投げつけた。

「あんた、私をだます気ね。あと百万円あるはずよ」

「なにを言うんだ。金庫の中身は、これで全部だった」

「よくもまあ、この私に、そんな嘘を」

 晴美の眉がつりあがった。咲田のそばにあった黒のバッグを勢いよく引ったくると、中につめてあった服地のサンプルを、つぎつぎに引き出して、畳の上にぶちまけた。

「これ、どういうこと」

 最後にバッグから抜いた晴美の手には、一万円の新札が三枚握られていた。

「えっ、それ、なんだろう。おれは知らないよ」

「まだ、隠すつもりね。さあ、百万全部出すのよ」

 怒った晴美が、そばにあった灰皿を咲田に投げた。

「なにをするんだ、言いがかりをつけて」と、咲田は晴美の顔をなぐる。取っ組み合いになった。



「あの、隣の部屋でひどいケンカが起きてます」

 隣の部屋の住人がパトカーを呼んだ。ほどなくかけつけた警官が、晴美の部屋のドアを開けた。部屋中に札束が散っている。思いがけない警官の到着に、晴美はあわてて訴えた。

「金庫の金を盗んだのは、私じゃありません。この男なんです」

 てっきり自分を逮捕にきたと、晴美は思い違いしたようだった。

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