第十一話 不倫の部屋

 東京青山の裏通り。このあたりは閑静な住宅地で、しゃれた小型マンションが建ち並ぶ。その一つの三階に、新進作家・船田信之の仕事部屋があった。

 午後十時を過ぎた時刻、船田はベッドから起き出すと、窓に近寄った。

「雨の音が消えたね。明日は天気かな」

 つぶやきながら、閉じてあったカーテンの端を少しだけめくって、外を見下ろす。そのとたん、彼は顔色を変えた。

「大変だよ、どうしよう」

 まだベッドの中にいる西条美穂に向かい、ただならない声をかけた。

「どうしたの、そんなにあわてて」

「この部屋は見張られている。写真週刊誌のカメラマンたちだ。おれたちの不倫が、雑誌に載ってしまう」

「まあ、ほんとなの」

 そう聞くなり美穂も、勢いよくベッドから飛び起きた。



 二人はともに二十代。美穂も売出し中のテレビタレントだ。船田には妻がいて、この部屋を美穂との不倫の場に使っていた。

「今ちょうど、車がマンションの前に停まったんだ。写真機材を持って、車から降りてきた男たちに見覚えがある。ぼくは彼らを、出版社のロビーで見た。彼らは有名人のスキャンダル狙いでメシを食ってる連中だと、そのとき編集者に教えてもらった」

「きっと近所の人が、この建物に入る私の姿を見て、出版社に通報したのね」

「多分ね。マンションを背景にしたおれたちの姿が撮影されて、週刊誌に載るぞ。おれも君も、人気稼業だからね、これは大変なイメージダウンになってしまう」

「でも、私、今夜の深夜番組に生出演するのよ。そろそろ、テレビ局に行かなくちゃ。この建物、裏口はないの?」

「ないよ。玄関を通らないで、ここからは出られない」

「どうしよう。困るわ」

「なにかいい知恵はないかな。このピンチを乗り切るのに」

 船田は頭を抱えこんだ。しばらくして、彼は顔をあげ、「一つだけ方法がある」と、明るい声を出した。この部屋の隣に、若い女性デザイナーが二人で住んでいる。美穂が訪問したのは、船田ではなくて、隣室の彼女たちだと、張り込みの連中に思わせればいい。

「でも、隣の部屋の人たち、そのアイデアに協力してくれるかしら」

「こうなったら、金で釣るしかないよ。イカれた女たちだから、金でなら言うことを聞いてくれると思うんだがな」

 船田は服装を整えると、隣室に向かった。美穂との不倫を告白して、協力を頼んだ。二十代の二人は船田の足元を見て、予想通り金をふっかけてきた。五万円という高額な謝礼を払うことで、やっと話がついた。

 その代わり、彼女たちはうまく芝居を演じてくれた。マンションの外まで美穂を見送り、あたりに聞こえるように、わざと大きな声でにぎやかに美穂に言った。

「また来てね、美穂ちゃん」

「あんたも早く、彼氏をつくりなよ」

「今夜のテレビ、見てるからね」

 これで張り込みの連中も、美穂と船田との間には、関係がないと信じるに違いなかった。



 マンションの前には、船田の言った車が停まっていた。中には人はいなかった。カメラマンたちは、どこか物陰に隠れて、マンションにカメラを向けているのだろう。

 これでピンチを逃れた、という安心感が、美穂には訪れてこなかった。不満感がつのった。すぐ美穂は写真週刊誌の編集部に、声を変えて電話をかけた。

「タレントの西条美穂なんだけどさ、作家の船田信之と不倫してるよ。それがバレないように、船田の隣に住んでる女の子を買収してさ、うまくマスコミをだましてるみたい。嘘だと思うのなら、すぐに調べてごらんよ」

 それだけ言って、電話を切った。これで今夜のいきさつは、写真入りで週刊誌に載るだろう。そして私の名前が話題になる。有名になるには、このぐらいのこと、しなくっちゃ。

 美穂は、週刊誌の発売に期待をかけた。



 週刊誌は発売された。しかし美穂の名は載ってなかった。そしてあのマンションを背景に、大物の男女タレント二人の写真が載り、彼らの不倫があばかれていた。カメラマンたちが狙っていたのは、こちらのカップルだったのだ。美穂や船田には、マスコミに狙われるほどの知名度が、まだなかったのである。

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