第四話 長年の経験

 さすがに初詣の名所だけあって、元旦のその神社の人出はすごかった。拝殿近くでは、押合いへし合いの混雑ぶりだ。

 その中にいて、私だけが、鋭い目をあたりに配っていた。長年の経験とは、たいしたものだ。どのあたりに網を張れば効果があがるか、カンが働く。そして、群衆の中の顔を見回せば、探している相手がわかるのだ。どれほど善人そうな顔つきをしていても、私の目はごまかせない。

(あ、いたぞ。間違いなくあの女は、ここに稼ぎに来たな)

 人波の中で、その女は際だって美人だった。年のころは三十代なかばか。ほかの女性たち同様、派手に髪をセットして着飾っている。しかしその目には、この稼業独特の光があった。

 私は、その女のそばに近づいていった。女の後ろにピタリとつく。女のすぐ前には、中年のおばさんの背中がある。肩には、斜めにショルダーバッグをかけている。

 私の予想どおり、女の手が素早く動いた。おばさんのショルダーの中に、指先が入った。抜き出した女の指先には、ふくらんだ財布が挟まれていた。それを、自分の手にしていたバッグに投げ込む。

 まさに一瞬の技術である。まわりで押し合って進んでいる参拝客は、だれも気づかない。

(仲間がいるかもしれんな)

 スリはすりとった財布を、すぐに仲間に渡す。これはスリの原則だ。万一、捕まっても証拠の財布を持っていなければ、言い抜けができる。私は女の動きを注意深く見守ったが、どうやらこの女は単独で仕事をしているらしかった。

 それを見極めた私は、いきなり後ろから女の腕をつかんだ。おどろいて振り返った女に、私は冷ややかな微笑を送り、そして女の耳元でささやいた。

「現行犯だな。いっしょに来てもらおう」



 参道から離れた境内の木立の中、石灯籠の陰で私は女と向き合った。

「私はね、長年の経験で、顔を見ればスリがわかるんだ。だから、ずっと後をつけてきた」

 私は、女の持っていたバッグの中を調べながら、得意げに言った。

「許してください。ほんの出来心なんです、刑事さん」

 私はあざ笑った。

「バッグの中には、ずいぶんたくさんの財布が入ってるな。今日はかなりの収穫があったらしい。とても出来心とは言えないぞ」

 私がそう言ったときだった。いきなり女は、隠し持っていたスプレーを、私の顔に吹きかけたのだ。とっさによけたものの、女は素早く逃げ出していた。私の手には、たくさんの財布の入った女のバッグだけが残された。



 ふたたび参道にもどった私は、すぐ前を歩いている男性のウエストバッグが気になって仕方がなかった。バッグは彼の背中に回っている上、チャックが口を開けている。そして、中の財布が見える。

 長年、身につけた感覚と技術が、とっさに反応してしまった。思わず私は、手を伸ばして、その財布を抜いてしまったのだ。

 そのとたん、私の耳もとで声がした。

「現行犯で逮捕する」

 私の周りを、たくましい男性たちが、さっと囲んだ。それより早く、私の腕には、手錠がはめられた。いかにも慣れた熟練の技術だった。

 取調べ室のデスクの上に、私の所持品がぶちまけられた。私の手に手錠をかけた五十年配の刑事が笑みを浮かべて言った。

「すごい数の財布だな。今日はずいぶんと仕事をしたらしい。かなりの常習犯となると、今度の別荘暮らしは長くなるね」



 私は長年、スリを職業にしてきた。六十歳で退職し、あとは現役時代の経験をいかして、スリ探しという仕事に変えた。スリの現行犯を捕まえて、刑事をよそおい、そいつのスリ取ったものをいただくわけだ。

 これなら警察に捕まる心配はない。今日もうまくいったはずだった。なのにこうして、あの女スリの仕事まで、私が背負い込むという皮肉な結果になってしまった。

 刑事は、笑いを隠さず自慢げに言った。

「おれには長年のスリ係の刑事、という経験があってね、いくら善人づらをしていても、顔を見ればスリだとわかるんだよ。だから今日も、あんたの顔を見たとき、カンが働いたのさ。それでね、部下たちといっしょに、ずっとあんたを監視していたというわけさ」

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