第63話 約束
それは奇しくも、あの夜に
淡い緑色の、つまりは正常なマナの光に包まれた一人の少女が昴の元へと降り立つ。
「
思わず駆け寄るが、肩に触れようとした手は虚しく空を切る。
マナが薄い羽衣のように彼女の体にまとわりついていて気づかなかったが、どうやら実体ではないらしい。
『既に梓川涼音の魂は借り物の肉体から解き放たれている。言ったであろう、魂魄を召喚する、と』
ユグドラシルの言葉を聞いても、昴にはにわかには信じられない思いだった。
「そんなに簡単に分離なんてできるのか……」
『神器の力の、ほんの一端である』
これがあれば、
もしレヴェナントが発生しても、こうして問答無用で宿主から魂魄を分離できるということなのだから。
『惜しくなったかな?』
「馬鹿言わないでくれ! 僕はもう選んだ!」
マナ混乱期をより安全に乗り切るための力だ。
それを昴は、自分の一存で手放す。
涼音をどういう形でかはわからないが、再び眠りから目覚めさせるための方法を探す。
それはもう、絶対に覆らない、覆らせない誓約だ。
『ならば、残りわずかな刻を惜しむがよかろう』
ユグドラシルは短く言い残すと、再び自分の――おそらくは涼音をこの世界の座へと定着させるための儀式だろう――作業へと戻っていく。
目の前で、涼音は自分の足で立つよりも少しだけ高い位置で浮いていた。
閉じていた目がゆっくりと開かれ、目の前にいる昴の姿を認めると大きく見開かれる。
『昴! だ、大丈夫? ゴメン、私――』
両手で昴に抱きつこうとして、最前の昴と同じように両腕を空振りさせてしまう。
『な、なにこれ? 昴に触れられない……。というか、体も透けてる? 私どうなっちゃったの!?』
「涼音、落ち着いて。今から説明するから……」
そうして昴は、かいつまんで涼音にこれから起こることを説明した。
レヴェナント化を防ぐための措置であること。
だからといって涼音を消滅させることなどできないため、眠らせるということ。
可能性はごく少なく、ほとんど無理かもしれないが、昴が自力で神器の力を取り戻せれば涼音の眠りを解くことができるかもしれないこと。
しかし、その可能性はごくわずかであるだろうこと。
できるだけショックを受けないように慎重に説明したつもりだったが、涼音はあっけらかんと『うん、わかった』と頷いた。
「え? あ、いや、もちろんこれが一番いいというか、一番マシな選択だとは思っているけれど……」
それでも、涼音の身になってみたら、「たまったものではない」と思っても無理はない。もっと怒るか、嘆き悲しむかと思っていた。
だというのにここまでサバけた返事がくるとは思わなかったのだ。
昴の反応がよほどおもしろかったのか、涼音は苦笑する。
『だって、私は一度消えてしまうのだと思ったし、それに比べれば、0.0何パーセントだって、もう一度昴と会える可能性が残っているだけで儲けものじゃない。それに、昴が一生懸命決めてくれたことは伝わってきたよ……』
「バカ、こんなときにまで強がらなくたっていいじゃないか」
『ふふふ、私ってこういう性格だもの。なかなか直りませんわよ?』
「そうだな。涼音は強くって、明るくって、とびきり優しくって……。嬉しかった、さっき」
さっき、というのが何を示すのかに気づいて、涼音は真っ赤になった……ような気がした。
厳密にはマナで構成された涼音の顔色はわからなかったけれども、それでもちょっとした表情で彼女の気持ちは手に取るようにわかる。
『我ながら、酷い告白だったよね……。ご、ごめんね。忘れてくれていいよ!』
「忘れるか。だから、嬉しかったって言っただろ? 僕も、僕も……」
こんな言葉が何の気休めになるのかと尻込みしそうになる自分を叱咤して、自分の中の勇気を振り絞って言葉にする。
「僕も、僕も涼音が好きだ。ずっと好きだった! 子どもの頃から一緒で、いつも元気いっぱいで、それでいて周りの人のこともよく気がついて、君の周りにはいっつも笑顔が一杯で、僕にはすごく眩しく見えていて、だから、だから――」
勉強もスポーツもできて人望もあって、そんな彼女に釣り合わないとずっと思って来た。
二年前、家族が全員事故死してからは、同情されるようで余計に素直になれなくなっていった。
それでも、昴にとっては、涼音はずっと眩しく映る憧れだったのだ。
「僕も、ずっと好きだった!」
『だったら、私ももっと勇気を出して、もっと早くに気持ちを伝えてたらよかったね』
「それを言うなら、僕の方だって……」
もう戻らない。
涼音はこのまま眠りにつく。
本当に蘇らせる方法があるのかわからないまま、言ってみれば、戻る方法がわからない永の眠りにつくのである。
死とどれだけ違うのかわからない。
もし死と戻ってくる方法がわからない眠りとの間に違いがあるのだとしたら、それは昴が涼音が戻ってくるための方法を見つけられるかどうかにかかっているのだ。
「僕が、絶対に、元に戻すから――」
『うん、熟睡して待ってる。……でも、無理はしないでいいから。もし無理だと思ったら諦めてね』
「なんでそんなことを……」
『だって、どうしても無理なことはあるってわかるから……』
少しだけ寂しそうに遠くを見つめるような顔になる。
涼音は、一度世界のために、昴のために、犠牲になることを選んだ心境のままなのかもしれないと、ふっと思った。
なんとなくだが、信じて希望をつないだふりをして、少しでも昴の気持ちが楽になれるようにしているような、そんな気がする。
それは、酷く切ない強がりだ。
『無理だって思ったら、そうだな……。あ、じゃあ、こっちの私と両想いになって!』
とんでもない提案に、昴は開いた口が塞がらなかった。
「そんなの、無理に決まってるだろ。涼音は、幼馴染みだからそういう気持ちになっただけで、こっちの涼――あぁ、もう、ややこしい。梓川は他人だぞ? 僕なんか平凡なやつ相手にするか」
『そんなことないよ。こちらの私も私だもの。きっと昴に惹かれる。絶対だよ』
不思議なほど確信に満ちた目でそう断言する。
伝えたい気持ちは山ほどあった。
だというのに具体的に言葉になって口から出てきてくれない。
いつも、伝えようと思ったときに相手がいなくなる。
両親に妹に、今はまた涼音まで遠くに行ってしまう。
おまけに涼音は、当たり前だが満足して、あるいは復活できると信じていくのではなく、強がりで諦めを覆い隠して犠牲になろうとしているのだ。
彼女に届く言葉を一つだけでも伝えたい。
(でも、何を言えばいい?)
好きだと言っても、感謝を伝えても、涼音は儚げな笑みを浮かべただけで素通りしていく。
だというのに、
『準備は整った。座で眠る覚悟はよいか?』
ユグドラシルの声が重々しく響き渡った。
「待って、まだ――」
『大丈夫です。お願いします!』
涼音が、まっすぐに顔を上げてユグドラシルを見る。
昴の方がよほど覚悟が決まっていない。
女の方が、度胸があるとはよく言われるがこんなときに昴はそのことを思い知らされた。
もう、別れは目の前に近づいている。
涼音はまだ安心していない。
そんな彼女にしてあげられることが残っていないか、必死に考えた。
「涼音っ!」
昴が呼びかけると、大樹の方へと歩き出そうとしていた涼音は立ち止まって振り返る。
「僕が、僕が世界を救う! このマナ混乱期に起こる問題、全部僕ががんばってなんとかして、絶対にお前を迎えに行くから!」
昴が一人でできることなど限られている。
だが今は、実現できるかどうかは全部度外視にした。
すべての問題が本当に解決できるなら、涼音が生きるための場所を創るぐらいできるできてもおかしくない。
それならば本当に希望があるのでは――そんな風に涼音に少しでも思ってもらいたい。
嘘ではない。
涼音がこの世界で眠ったあと、昴は命がけで自分が約束したことを叶えていくつもりだったのだ。
どれほどの苦労を背負い込むのだとしても構わない。
そのぐらいしか、してやれることはなかった。
涼音は、おそらく昴が口にした単位の大きさに驚いた様子だったが、少しだけ考えてニコッと笑みを浮かべた。
『うん、待ってる』
少しぐらいは届いたのか、その笑顔に嘘はなかった。
もう、言葉はなかった。
涼音は再びユグドラシルの大樹に向き直り、今度は一度も立ち止まらずに進んだ。
涼音が近づくと、目の前の大樹の幹が変化し、文字通り玉座のような「座」が生み出される。
木の幹が変化して出来たとは思えない、細かい細工が施された芸術品のような美しい座。
あれが涼音の眠る場所なのだ。
昴はもう何も言わず、それでいて、目の前でこれから起こる出来事を一瞬たりとも見逃さないように目を逸らさず、少しだけ遅れて涼音の後ろをついていく。
魂魄の涼音が「座」に腰を下ろす。
大樹から涼音の体を浸食するように細い根のようなものが絡まりつき、覆い隠す。
思わず手を伸ばしかけ、途中で止める。
歯を食いしばって昴はその姿を見守り続けた。
この空間に行き来することすらできなくなるだろう。だから、絶対に、目を逸らさない。
涼音を覆い隠した木の根は、徐々に彼女の体の形状に馴染み、精巧な木製の像のようになって固まった。
『座の交代は成った……』
ユグドラシルの重厚な声が響き渡る。
空が徐々に暗くなっていて、この世界が閉じ行く様子が見て取れた。
一瞬、このまま昴自身もここで眠るという誘惑を感じたが、それを振り払って昴は顔を上げた。
「――涼音を、頼みます」
『汝が、その身に降りかかるであろう数々の困難に打ち勝ち再びこの場を訪れんことを我も願っている』
別れの言葉を交わし終えた途端、昴の目の前が闇に閉ざされていった。
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