第39話 ルーツ


 全ての攻撃を無効化できる能力を持ちながらも持久力に問題を抱えた水姫みずきに対し、鬼火斗きびとはしつこく食い下がる。


 能力では圧倒していても、鉄壁の防御が崩れるのは時間の問題というところでいきなりその男は現れた。


「そっちの男は面白いことを言っていたが、一つだけ間違っている」


 すばるを助けに来たと宣言した彼は、しかし特にそれらしい行動を起こす様子はなく、いまだに夜陰の中に身を置いたまま奇妙な指摘をしはじめる。


「ああん?」


 間違っていると言われた鬼火斗は、けんか腰になって現れた男の指摘に応じた。


「てめぇ、俺様の何が間違ってるって言うんだ? つーか、どっかでこそこそ隠れて聞き耳でも立ててやがったのかよ?」


 確かに、昴達は声を潜めていたわけではないが、盗聴でもしていない限りここでどんな会話をしていたか知っているのは不自然だ。


 鬼火斗の意外な指摘にも男は怯まない。


「ああ、そうだ。どこで姿を見せれば一番利益が大きいか考えていたのさ。でもお前達が思った以上に頭が悪いおかげで、こういう登場の仕方になったということだな」


 みし、っと音がしそうな勢いで鬼火斗の額に血管が浮かび上がる。


 激怒して、下手をすれば炎鬼で斬りかかるのではないかと思った矢先、


「レヴェナントについて――」


 鬼火斗の機先を制するかのように、朗々とした声を張り上げた。


 堂々としていて、抗いようがないほどの確信があり、そして表面的な穏やかさでは隠しきれないほどの敵意がこもっていた。


 下手に動けば殺される。


 ただの会話しているだけだというのに、一瞬先に何をされるかわからないような怖さがあった。


 男がさらに一歩進み出たことで、倉庫の照明が照らす範囲に入り、ようやくその姿が見えるようになる。


 夜なのに色の濃いサングラスをかけているのは目を引くが、カラーシャツにジャケット、下はダメージデニムというラフな格好。


 身長は昴より頭一つ高い程度で体型は痩せ形。


 どこにでもいそうな二〇代の青年で、拍子抜けしたというのが正直な感想である。


 闇の中にいたときにどうしてあのような異様な迫力を感じたのか、わからなくなってしまいそうだった。


「今、この街を闊歩している化け物のことを、君達はレヴェナントだと言った。だがそれは、実のところ間違いだ」


「だったらなんだってンだ? ご高説を拝聴させろこら!」


 丁寧なのか挑発しているのかわからない口ぶりだが、鬼火斗の中で怒りの内圧がぐんぐんと高まっていることだけは確かなようだ。


「〈ワールドエンド〉で崩壊した世界の人間の強烈な妄執が世界に焼き付く。マナはありとあらゆる全てが起こりえる、事象の根源。なんにでもなれるし、なんでもできる。その万能性を乗っ取り、元に戻ろうとする、世界を書き換えるほどの執念にマナが反応して元の人間の魂が復元される――」


「はん、ちょっと気取った言い方をしているが、俺も同じことを言ってたじゃねぇか? お前、耳が悪いんじゃねぇか?」


 鬼火斗の挑発にも男は笑みを崩さない。


 不気味な男の眼光に鬼火斗もいつもの調子が出ないようだった。


「ああ、だからここからが違う。あふれ出ている亡者全てをレヴェナントだと言っているようだが、それが間違いだ。君達が倒していい気になっているのは、ただの模造品に過ぎない」


「模造品?」


 昴が思わず上げた疑問の声に、男は大きく頷いた。


「そう、レヴェナントがステージⅣに入り、覚醒をはじめると周囲に赤いマナを放散しはじめる」


「だから、それが他の残留思念をレヴェナントに――」


「促すのは本当だが、こんな数をいきなりステージⅣに覚醒させるなんて無理さ。だから、この数日で出現した、君達がレヴェナントと呼称していた化け物の大半が、偽物なんだよ」


 必死に戦い続けていたミドガルズオルムの面々は、さすがに言葉を失う。


 男は誰も何も反応せずとも気を悪くした様子もなく、話を続ける。


「ではあのレヴェナントもどきはなんなのか……。単純な話だ。他のレヴェナントの呼び水になるはずの赤いマナが、行き場をなくして押し固められ、それだけで人間に憑依して乗っ取ろうとしたのがあの模造品ということだ。言ってみれば、魂を持たないレヴェナントのなり損ない……」


 だから、ステージⅣに到達したと見える個体がああも即席されたのさ、と男は告げる。


「つまり、街に溢れるあの化け物は、たった一人のレヴェナントが吐き出した赤いマナによって製造されたわけだよ。そこにいる、梓川涼音あずさがわ すずね嬢によって、ね」


 男は芝居がかった仕草で気を失ったままの涼音を指した。


「てことは……、いや、てめぇの言うことなんて信じてねぇが、百歩譲っててめぇの話が本当だったと仮定すると、その女をぶっ殺しゃ……」


「そうだね。今、街を闊歩しているレヴェナントモドキの大半は、消えてなくなるだろうね」


 昴の味方をすると言って現れた男の言葉に、鬼火斗は「へぇ」と興味深そうに聞き入った。


 これでは余計に涼音をつけ狙う理由ができてしまったことになる。味方をするという言葉とはまるで反対だ。


「だからこそ、君に味方をしよう、朽木昴!」


 このまま放置すれば、赤いマナがさらに広がる。


 そうなれば、被害は増える。


 だというのに、味方をするというのはどういうことなのだろう。昴は、涼音を助けようとしていたのだ。


 そこまでわかった上でなお、涼音を助ける手伝いをするとでも言うのだろうか。


 困惑を深める昴の背後から、別の疑問があがった。


「兄さん、えらく詳しいようだね……。おじさん達も一応、〈ワールドエンド〉関連の専門家だと思っていたんだけれど、それでも聞いたことがないな」


 清十郎せいじゅうろうは、いつもの緩い態度だが、それでも男への警戒心は隠さず〈精霊器〉リゾルバーもいつの間にか出現させて身構えている。


 確かに〈ワールドエンド〉は秘匿されていて、ミドガルズオルムと協力者以外でその存在を知る者はほとんどいないと聞いていた。


「詳しいはずさ……」


 口を開いたのは、ここまで何が起こっても……、それこそ娘の危機であっても眉一つ動かさなかった幽月ゆづきだ。


「他の皆は知っているだろうが、朽木君、君は疑問に思ったことはなかったかな?」


「疑問? そんなの、目が覚めてからこっち、そればっかりですよ……」


 昴達を拉致も同然で倉庫に連れてきたのが幽月の指示かもしれない可能性を考えていた昴は、どうしても捻くれた返事になってしまう。


 しかし幽月は苦笑しただけで話を続ける。


「たとえば『ミドガルズオルム』、たとえば『ユグドラシル』、たとえば君の『〈聖なる泉ミーミル〉』……」


 そう言いながら、幽月は〈聖なる泉〉を懐から取り出して見せる。


「〈精霊器〉もなんだが、これはほぼ現代で名付けられたものであるから除外するとして……。これらはドイツ語、主に北欧神話から引用されている」


「北欧神話……」


 ゲームやサブカルなどでは、確かにそのあたりから引用されているものが多い。


「日本の若者は、ドイツ語のネーミングを好むと聞いたことがあるが、別に伊達や酔狂で名付けているわけではない。ミドガルズオルムは、たった一人のドイツ人が創設したと言われている。不世出の天才、あるいは、奇人。あまりに不可思議な才能の持ち主のため魔法使いだなどという噂もあったが、いずれにしてもミドガルズオルムという組織は数百年前のドイツで産声を上げた」


 それが目の前の男とどういう関係があるかわからず焦れるが、昴は我慢して幽月の言葉を待った。


「組織の発祥の地であるドイツ支部は様々な分野で先を行く我々にとって聖地とも呼べる場所……。この男は、元はそのドイツ支部のメンバーだったのさ」


「そう。だから俺は、君達よりも様々なことをよく知っている。……しかし日本支部か。久しぶりだね幽月さん? そしてそちらにいるのは、なんと氷雨ひさめの妹の、冴香さえかかい? なんともはや偶然にも程がある顔ぶれじゃないか?」


 男は相変わらず名乗りもしない。


 最初は彼が誰なのかわかっていない様子だった冴香は、そのひと言ではっとなり、そして――赫怒した。


「キサマッ!? 貴様が鵺堂界李ぬえどう かいりかっ!」


 これまで見たどの動きよりも速く鋭く、〈精霊器〉を実体化させると、冴香は問答無用で男に向かって斬りかかる。


 だが斜に構えたまま嫌な笑みを浮かべた男――鵺堂界李は「フン」と鼻を鳴らしただけだった。


 直後、冴香が爆炎に飲み込まれた。


 まるでガソリンに火がついたかのように、離れた場所にいる昴の頬までじりじりと焼け焦げるかのような強烈な熱気が火球から放たれた。


「黒瀬っ!」


 あんなものに巻き込まれたら、ひと溜まりもない。


 思わず声を上げた昴の腕の中で、


「安心してください。何度も好き勝手にはさせません!」


 と水姫が囁き立ち上がった。


 爆炎が広がったのは一瞬。


 直後、虚空に吸い込まれるようにして炎と熱が消え去ったそこには、無傷の冴香が驚きで顔色を蒼白にして棒立ちになっていた。

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