第30話 二人のセカイ


 急に午後の授業がなくなった日の夜、担任の教師が言っていた通りに警察や教育委員会との協議の結果が連絡網で回ってきた。


 その結果は、涼音すずねが予想していたよりも深刻なものだった。


 霧見沢市きりみさわし周辺の学校は、一週間の休校となる。


 その後は、状況次第で休校の延長もあるというものだ。


 一日経ち、二日経ち……。


 意外にも、街は平穏が保たれていた。


 不思議なことにニュースなど、正式な情報は流れてこない。通り魔事件の続報はもちろん、学校が休校していることも報じられていない。


 それでも昼間でもパトカーがサイレンを鳴らしっぱなしで頻繁に走り回り、噂のレベルではまた通り魔事件の被害が出たという話を、母親などが外で聞いてくる。


 ネットでは無責任な書き込みが面白おかしく広がりはじめているが、媒体が媒体だけに、まだ都市伝説の域を出ない状況だ。


 むしろ正式なニュースで何も発表がないだけに、本当の状況がわからず、人々は息を潜める結果となっているようだった。


 学校が休みになったせいですばるとも会えないが、以前アドレスを交換していたのでメールや電話で連絡を取り合っていた。


 街の様子についての話はほとんどしない。


 おそらく涼音を心配させないように気を遣っているのだろうが、昴がその話題を避けている気がしたからだ。


 何より、他愛ない昔話ばかりが口から飛び出して止まらなくなる。


 この世界で、二人しか知らない世界の話。


 街も、人も、こことほとんど変わらないが、ここは昴と涼音が生きていた場所とは違う――のだそうだ。


 実感はない。


 ここが、フィクションのお話しに出てくるパラレル・ワールドだと聞かされてから意識して街を見ても、違うところなど見つけられない。


 時折、「あれ?」とざわつく感覚があったとしても「気のせい」のひと言で片づけられるような小さな違和感でしかなかった。


 だというのに、決して目を背けられない特大の違和感が、涼音を逃さないとばかりにすぐ近くに突きつけられている。


 幼馴染みの咲良さくらが生きているのは嬉しい。


 一人っ子の涼音はずっと妹のように思っていたから、本当は涙が出てくるほど嬉しくて、懐かしい。


 それでもその咲良が姉のように慕ってくれる涼音はきっと「私」ではないのだろう。


 だからやはりここには、涼音と昴だけしかいないのだ。


 他愛のない子どもの頃の思い出話が次々出てくる。


 だが、現実につながる話は出てこない。


 友達のことも、ドラマや、音楽、映画、今も続いているものの話題には、触れそうになると勢いがなくなり別の話に入れ替わる。


 それらは、こちらの世界の今に続いているからだ。


 事実から少しでも目を背けたいのかもしれない。


 二人きり、閉じた輪の中で、たゆたい続けたいのかもしれない。


 でも、と思う。


 涼音の体は、こちらの世界の涼音のもので、彼女の心が今どこにあるのかはわからないが、自分が占領し続けることに後ろめたさを感じていた。


 彼女がいないことに、誰も気付いていない。


 自分が彼女のいた場所に立っているからだ。おそらく、誰よりも上手く「梓川涼音」を演じられる。


 だとしても、である。


 昴を心配させたくはないので、そうした後ろめたさを表に出すことはない。


 唯一の例外は、昴がどんな状況で暮らしているのか。


 安全なのか、不自由はないのか、涼音に手助けできることはないのかが気になったので、思い切って一度だけ「現在」の話題に触れてみた。


 昴は今、彼をこの世界へ救出した人達の元に身を寄せているらしい。


 そこではレヴェナントにも対抗する人達がいるらしいが、その人達も苦戦をしていると言っていた。


 だから涼音は、少しでも昴が心配しなくてもいいように、今よりもさらに上手く「梓川涼音」を演じようと決めるのだ。


               ◆◆◆


 三日目の昼。


 基本的には家で閉じこもっていたが、それも限界に達したので涼音は愛犬であるキンタロウの散歩のため外出した。


 両親は共働きで二人ともこんな状況でも遅くまで帰らないので涼音しか散歩に連れて行ってやれる者がいないのだ。


 母親は、可哀想だけれど我慢させていいと言っていたが、涼音の顔を見る度に尻尾を大きく振る愛犬への愛情に負けたのである。


 キンタロウの散歩コースは二つあって、一つは昴と再会した河川敷だが、さすがに人通りが少ないと危ないのでもう一つに向かう。


 こちらは街中の、比較的歩道が広い場所ばかりを選んだコースだ。


 歩道が広いと言っても人とすれ違うことはあるため日中は利用しなかったのだが、通り魔騒ぎのせいで街中に人の姿は少なく、気兼ねせずキンタロウを散歩させることができた。


 学生や主婦の姿はなく、仕事中らしいスーツ姿の男女や警察官が行き交う。


 誰もが緊張感を帯びていた。


 いまだに通り魔の正体が誰なのかわからない以上、隣にいる誰かが恐ろしい犯罪者かも知れないからだろう。


 昴から、レヴェナントは明らかに普通の人間とは違うと教えられているので不必要に他人を恐れることはないが、それでも注意深く散歩を進めていく。


 やがて、市役所など霧見沢市の公共機関が集まる区画に辿り着く。


 消防署や病院もここにあるのだが、その病院の前に差しかかったところで涼音は予想外の人物の姿を目撃する。


「昴……?」


 病院の正面にある車寄せにタクシーが停まり、そこから朽木昴が降りてきたのだ。


 予想外の遭遇に、涼音は駆け寄ろうとしたのだが、数歩進んだところで足を止めることになった。


 何故なら、タクシーからもう一人、同年代の少女が昴に手を引かれて降りてきたからだ。


「――朽木君?」


 念のため、こちらの涼音の振る舞いに切り替えながらさらに進む。


 キンタロウは気になったが、病院の建物内にさえ入らなければ問題はないだろう。


「すず――梓川?」


 涼音の声で昴は驚いて振り返った。


『おぴゃっ!?』


 と、同時に、変な悲鳴が聞こえて遠ざかっていく。


「な、なに、今の?」


 驚いて慌ててあたりを見回すが、それらしい生き物の姿はなかった。


「い、いや、気にしないでいいよ。きっと、猫かなんかじゃない?」


 そうは聞こえなかったが、耳をそばだてていたわけでもないので、言われると自信がなくなる。


 キンタロウは、音が遠ざかっていった方を見て、「ワフワフ」と鳴いていたが、咆えるという感じではないのでさしあたって危ないものではないのだろう。


 今は、そんなことよりも目の前の人物だ。


 昴と一緒にタクシーから降りてきた少女――艶やかな黒髪の、お淑やかな雰囲気の美少女だ。


 同性の涼音の目から見ても、その透明感に溜息が出そうになる。


 しかも、いまだに昴の手を握っていた。気にならない方がおかしい。


 彼女が誰なのかわからない。突然現れた闖入者に対して驚いた様子だったが、視線の方向が少しおかしい。


 視線というより、涼音に対して耳を傾けるように少し斜めを向いている。


 目が不自由なのかもしれない。


「朽木君、こちらの方は?」


「え、ああ。こちらは御子神水姫みこがみ みずき。僕がお世話になっている家の娘さん」


「お世話になっているということは、一緒に住んでいるの……!?」


 驚きで思わず声が大きくなる。


「はい、昴様のお世話をさせていただいております」


 水姫という名前らしい少女は、涼音に向かって礼儀正しく頭を下げる。


 品がある魅力的な少女で、どこかの令嬢と言われても納得してしまいそうだ。


「さ、さすがに他にも一緒に住んでいる人はいるって!」


 昴が慌てて取り繕うようにそう言った。


「う、うん。水姫さんていうお名前なの? 朽木君のお世話……?」


「はい。……あ、お世話をすると言いながら、今日は病院に付き添っていただいているのですが。……目を悪くしたもので」


 いや、聞きたいのはそこではない。


 そこではないのだが、外では、というか第三者がいるところでは昴と涼音が幼馴染みで向こうの世界の人間だと知られてはいけない。


 だから……、と咄嗟に頭の中で、それぞれの演じるべき役回りを確認して支障が出ない言葉を選んでいく。


 普通のクラスメイト。


 しかも昴は転校してきたばかりで涼音とはさして親しいわけでもない――それが涼音と昴の役回りであるのなら、この場でかけられる言葉がほとんどないのに気づいて、口をパクパクさせることしかできなかった。


(えっと、これ以上、踏み込んだ話を聞くのも変だし……。え、でも、一緒に住んでる……? お世話って、昴、何をさせてるのよ! でもここで問い詰めるのなんておかしいし。嫉妬してるみたいだし……)


 などと、頭の中でグルグルと聞きたいことと、聞いてよさそうなことと、態度に出しては問題がありそうなことがせめぎ合った結果――、


「そ、そうですか。あの、お大事に。朽木君、また学校でね」


 早口でそれだけを告げると、涼音は踵を返した。


 このままここに留まっていると、「設定」を忘れて昴を問い詰めてしまいそうだったからだ。


「あ、うん。梓川も気をつけて!」


 ぎこちない挨拶を背中越しに聞きながら、涼音は足早に病院を立ち去った。


               ◆◆◆


 ずっと早足で歩き続けて、そのせいだけではなく動悸が激しく打つ。


 あの場に留まっていることができず、挨拶もそこそこに、逃げるようにここまで来てしまった。


 あの水姫という少女に変な女の子だと思われなかっただろうか。


 昴は気を悪くしなかっただろうか。


 自分は失敗をしでかさなかっただろうか。


 もっと、二人がどういう関係か、聞くことはできなかったのだろうか。


(どうして昴は、あの子のことを言ってくれなかったんだろう。秘密にしてた……? ううん、今のことは避けていたから、だから――だよね……?)


 昴達から離れれば落ち着くと思っていたのだが、離れれば離れるほど、不思議なほど気持ちが乱れていく。


 今からでもとって返して、思い切って二人の関係を聞いてみたいほどだった。


 何か、普通のクラスメイトとして二人のことをもっと聞く、うまい言葉はないかと無意識に探しているほどだ。


(私、動揺してる……)


 自分でも驚くほど心が乱されていた。


 昴は再会を喜んでくれた。


 しかし二人は、恋人同士というわけではない。


 もしかすると――と想像が膨らんでいく。


 昴は既にこの世界で新しい生活基盤を築いているのではないだろうか。ひょっとすると、あの水姫という少女は恋人なのではないだろうか。


 そう考えた瞬間、さらに動悸が激しく、息苦しさが高まっていった。


 過去にこだわっているのは自分だけなのではないだろうか。


 二人の間で閉じていると思っていた小さな世界にいるのは、実は涼音一人だったのではないだろうか。


 自分はただの邪魔者か、厄介者でしかないのではないだろうか。


 昴の優しい笑みを思い出して、勘違いだと自分に言い聞かせようとする。


 昴だって、元の世界のことを忘れてはいない。


 毎晩のように電話越しに話しているのだから間違いないはずだ。


 そうは思うが、不安は際限なくかき立てられていくのだった。

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