宇野真の受難

『拝啓・お父さん、お母さん。僕、結婚してないのに子持ちになっちゃいました。テヘ(^^*)』



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「まーちゃんってさ、意外におバカだよね。」



寝不足でボーっとしていた真は突然の言葉に顔を上げた。

ファミレスの雑響が、改めて耳に入ってくる。



その目の前に、ニコニコして真の顔を見つめる女がいた。



「…うっせーな。第一、お前のせいでこんなめんどい事になったんだぞ?分かってんのかよ…!?」



「でもぉ、結局イっちゃったのゎ、まーちゃんの方だょ?」



さっきから終始こんな調子である。真は不機嫌そうに、飲みかけのアイスコーヒーをガチャガチャかき混ぜた。





コイツの名は、七海ジュン。

年齢、本名その他一切付き合いの長い俺さえ知らない謎の多い女だ。



外見は、ヒジョ~に悔しい事だが、俺のドストライクの超ド級・超絶美人である。



しかしながら、性格の方はハッキリ言って情のカケラさえ持ち合わせていない冷血女で、コイツに騙されてボロゾーキンのように捨てられた男はざっと千を超えるらしい。



しかも、たまに意味の分からん事を口走ったり、俺にいきなり仕事を押し付けたりする。



「まーちゃん、今アタシの悪口考えてるでしょぉ??」



「…はっ?な、何言ってやがる考えてねーよ。」



…しかもカンが異常に鋭い。

ハッキリ言って、恐ろしい女である。



「……それで?昨日は結局ソイツとヤったのかよ?」



真はストローで氷をつつきながら彼女に尋ねた。

ジュンは大袈裟に手を振り、ストローを口に加えた。



「ん~ん!ちょっとくわえたらすぐイっちゃったぁ❤」



そんな事を言いながら、飲みかけのカルピスソーダを一気に飲み干した。それを見て、真は露骨に頬を引きつらせた。



「でもねでもね~そしたらぁあのお兄さんねぇ、アタシにマンション買ってくれるって。儲けちゃたぁっ。」



世の男とは、何とおバカなのであろう。まぁしかし、この女に言い寄られたら、どんな男も騙されたくなるのかも知れない 。


「…お前なぁ、そうやって何人の男騙くらかしたんだよ?」


「ねえ、まーちゃんは、自分が今まで食べたパンの数を覚えてる?」


ニコニコ笑顔で片肘を立てるジュン。当たり前の様にこんな台詞が出るこの女は、本当に吸血鬼なのかもしれない。


「……お前なぁ、いくら漫画とか映画好きだからって、そんなセリフ吐くなよ。俺ぐらいしかわかんねーぞ?」


「いーの!まーちゃんがわかってくれればぁ。」


呆れ顔の真だったが、この手のネタが大好きなのであった。

真も意外に、というか普通におバカである。


「それにしてもぉ…まーちゃんに子どもがいたなんてショックだわぁ…」


真は思わず口に含んだジュースを吐き出した。


「ばっ、バカ言うなっ!!俺のガキのわけねぇだろがっ!?」


「えっ?違うのぉ?なんだてっきりまーちゃんの隠し子かと思ったのにぃ…^^;」


「お前……話聞いてたか…?」


「それでぇ?その子は今どうしてるのぉ?」


窓枠みたいにでかくて面倒くさいメニューを開きながら、ジュンは真に問いかけた。


「知らねーよ…。ウチ帰ったらあのガキ、ソッコー寝ちまって俺が夕方家出るまでずっと寝っぱなしだったからよ。」


「…かわいそー。よっぽど疲れてたんだね。」


メニューの上に走らせていた眼を上げて、雨に濡れる窓を眺めている。


その表情はどこか哀しく儚げで、美しくもあった。


真はそんなジュンに不覚にも見入ってしまった自分に気付き、首を振る。


「…かわいそーなもんか。あんなハナタレガキんちょを押し付けられた俺の身にもなれってんだ。」


「ねぇ、まーちゃん」


急に顔を近づけ、真の顔を覗き込むジュン。その甘い吐息が真の思考を一時停止させる。


「そのらいあちゃんって子の事絶対に幸せにしてあげてね?お願いまーちゃん。ジュンと今、約束してちょーだい?」


「…お、お前っ?急に何言ってんだよ?」


「まーちゃん!約束して?」


どうにもこうにも、コイツにマジな顔されると否とは言えない。何だかんだ言いながら、俺はいつもコイツに振り回されているんだ。

それに、何かいつも以上に真剣な眼差しだし……。


「…わかったよ。」


するとジュンはニンマリと笑って真の不機嫌な頬をつまんだ。


「ありがとうまーちゃん✨ご褒美に今度、いーーーっぱいシてあげるからねぇ💓💓」


「っせーよばーか…。」


「イイ子イイ子🎵それじゃあそろそろイコっ。らいあちゃん起きちゃってるかもよ~?」







ガヤガヤと騒がしい店内を抜けセカセカと動き回る店員を呼び止め、会計を頼む。

ジュンとメシを食いに行った時は、必ず多く食べた方が会計する暗黙のルールがある。


―今度こそお前の負けだな…!ジュン。


今日はクリームソーダ3杯にカルピスソーダ2杯飲んだ上に、ハンバーグカルビのディナーセットまで頼んだジュンがぶっちぎりで支払いのはずだ。


コイツと食いに行く時、俺は常に後に注文するようにしている。

そうすりゃ、後はジュンの注文よりも安くすればいいんだからな。ケケケ。


「何やってんのぉまーちゃん?早くお支払いしてよぉ?」


「はぁ?お前のが高く飲み食いしただろーがっ?」


勝ち誇ってそう言うと、ジュンはレシートを真の目の前に突きつけた。


「ざんねんでしたぁ~アタシはディナーセットフリードリンク付きだから、ハンバーグとポテト頼んだまーちゃんの方が高いんだよぉ~。」


「なっ、何ぃ?」


しまった…!フリードリンク付きのセットメニューがあったとはァァ……!!


「これでアタシの、982勝・8敗だねぇ?^^」


真は屈辱の涙を飲みながら、ぺったんこの財布から2600円を支払った。(因みにジュンの8敗は、真の誕生日に毎年ジュンがおごる口実を作るための出来レース)




「ありがとうございましたー」


より貧相になった財布を尻のポケットに押し込んで、2人は雨の降りしきる外へと出た。


「ねぇ、まーちゃん。あの人」


「げっ…!めんどくせーな…」


ジュンが指差した先に、紺色のやたら大きい傘を差してこちらに向かって手を振る男がいた。



「よぉ真にジュンじゃねえか。元気してたか?」


「す、鈴木のオヤッさん…。」


まっさらな雪を散らしたような白髪にベレー帽を乗せ、にこやかに微笑む初老の男。


一見すれば優しいお爺ちゃんのようだが、黒縁のドデカいメガネの奥から、時折人の心理まで見透かす視線が光る。


このオッサンは鈴木警部。こんなナリだが、一応刑事だ。付き合い(?)はジュン以上に長いが、名前は未だ知らない。


あれは忘れもしない、俺が今の仕事を本格的に始めた二十歳の誕生日前夜…

俺はこのオッサンに逮捕され、二十歳の誕生日を留置場で迎えるハメになったのだ…。


それから俺は、事あるごとにこのオッサンに捕まる事になった。まったく忌々しいっ!


しかし、他のヘボ警官など屁でもないが、このオッサンだけはどーも苦手だ。掴み所が無い。



つまり、このオッサン警部はこの天才・宇野真最大の天敵なのだっ…!!




「げーんさんっ⤴お久しぶりで~すっ✨」


急に抱き付いてきたジュンの白い肩を叩きながら、ドデカい傘をビニール袋にしまう。(ちなみに、げーんさんとは鈴木警部の名前ではない。ジュンが『それっぽい』って言う理由で勝手に呼んでいるだけである。)


すると真の視線に気付いたのか鈴木警部は、にこやかな笑みをこちらに向けた。


「最近どうだい真?噂じゃあ相当荒稼ぎしてるそうじゃあねぇか。」


「誰から聞いたんすか?そんなデマ…。」


「はは、デマかどうかお前さんの顔見ればすぐに分かるさ。まぁ例えばだ……。賭博カードに興じたり、」


ドキり。


「まさか幼女を誘拐したりっ!何て事も……?」


ドキドキっ!



「……な~~んてまさかな?さかさな?お前が誘拐なんぞアコギな真似しねぇって事は、俺も百も承知よぉ。」


鈴木警部はシワだらけの顔をしわくちゃにして、苦笑いする真の肩をバンバン叩く。


―このオッサン、全部分かった上で俺にカマかけてやがんのか


…と真が思うのも無理ない事であった。鈴木のカンの鋭さは、実際ハンパじゃない。


真はそれを知っているだけに、冷や汗かきながらもとりあえず笑っていた。


「…と、じゃあ俺は今からカリブ風セット食うから。ドリンクバー付きの。あんまり悪さすんじゃあねぇぞ、真にジュン。」


相変わらずニコニコしながら、2人の肩を叩き、鈴木警部はファミレスの中に入って行った


「バイバーイ源サン~。」


そう言って彼の背中に手を振るジュンを残し、真はさっさと雨の中に飛び出した。

とにかく、一刻も早くこの場を去りたかったからだ。


「あ、待ってよぉまーちゃん!」



降りしきる雨の中、真の愛車は謎の少女が待つ彼の家へと向かって行った。




***




真のアパートは、こじんまりとした住宅街の一角にある。


いわゆる、ワンLDK(だっけ?)のさもあれば一人で住むには少々広すぎる間取りとなっている。

都心にあり駅からも5分と近く、かなりの好条件なのだが、なんと家賃月一万という破格の値段である。


その理由は……まぁここではあえて触れないでおこう。



「ねぇねぇまーちゃん、らいあちゃんってどんな子ぉ?」


「知らねーよ、まだほとんど話してねぇんだから。」


「アタシ、気に入ってもらえるかなぁ?それにぃまーちゃんのお家久しぶりだしぃ……ドキドキしちゃう~....」


オートロックの入口から階段を登る途中、少し緊張してるのかジュンはいつも以上に饒舌になっていた。


コイツも緊張したりすんのか、無神経な真はそんな程度にしか考えていなかったが。



「あれ?カギ空いてやがる…」


はっ、として真は慌ててドアを開けた。

まさかあのガキ…逃げたんじゃないだろうか!?


「あっ~何かイイ匂いするー。」


ドアを開け放った瞬間、鼻腔をくすぐる食べ物の香りが漂った


付けっぱなしの明かりとテレビの音も同時に飛び込む。


「あっ、おかえりなさいー!!ウソつきオジちゃんっ。」


すると、キッチンから顔だけ出した少女が満面の笑みで声を上げた。


「ウソつきオジちゃんって…ウケるぅ~~~!!」


「うっせっ!」


拍子抜けしたのと同時に、指差して笑うジュンに舌を打つ。


そんな事はお構いなしにジュンはヒールを脱ぎ捨て、らいあのもとに駆け寄った。


「こんばんはぁ!アタシはぁジュンちゃんでぇす!よろしくねぇらいあちゃんっ!(*^^*)」


ジュンがそう言うと、らいあは弾ける笑顔を見せ、初々しくお辞儀した。


「はじめまして、らいあです。よろしくお願いしまぁすっ!」


愛くるしいその姿に、ジュンは思わず小さな少女を抱きしめた


「カワイイ~~~~っ✨❤ねぇ?本当にこの子、まーちゃんの子なのぉ?」


「俺の子じゃねぇっつうの!」



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謎の少女らいあとジュンは、いつの間にかすっかり仲良しになっていた。


家に女兄弟や娘がいる男性諸君には良くお分かりだろう。


女同士のノンストップ&エンドレスな会話を、端で聞かされる男の肩身の狭さを…。


女性諸君には語弊を招くかも知れないが、これって実は意外にツラいのだ。

(誤解のない様に言っておくが✋は常に女性に対して敬意と親愛の念を抱いております。怒った方はごめんなさい)


そして、今まさに真はその試練の時を迎えていた。


しかしながら真は慌てない。ちっともだ。

何故なら彼には、こういう危機的状況に対する免疫と裏打ちされた確かな体験があるからであるッッッ!!


遅まきながらこのお話の主人公『宇野真』について少し語ろう。


宇野真、28歳独身。職業については本人曰く、「広範囲且つ多岐に渡る、世間一般で言う所のビジネスコンサルタント」であると言う。(この言い分は発言の都度変わるのであてにはならない)


長ったらしく述べているが要は『詐欺師』である。本人はそう指摘されるのを嫌がっているが、これは紛れもない事実である。


何故彼がそのような反社会的な行為を生業としたのか、その件についてはいつか彼自身に話してもらうとしよう。


話を戻し、彼の家族構成についてだが、彼には両親と歳の近い一人の姉がいる。


『一姫二太郎』なんて言葉の通り、宇野家は誰から見ても微笑ましい仲の良い一般的な家庭であった。


少しばかり他の家と違っている所といえば、高名な戦国武将の末裔という出自を持つ偉大で破天荒な母と、その血を存分に引き継いだ奔放な姉の存在である。


結婚の際、名家の娘である真ママは、当然の如くパンピーである父との結婚を、やんごとなき両親に猛反対された。(しかもその時既に真姉を授かっていた)


真ママの父親などは家宝の薙刀を持ち出して、気弱な真パパを一刀両断にしようとさえしたらしい。


そこからがすごい。


何と真ママは妊娠中にもかかわらず、怯むどころか怒り狂う父親を組み伏せ、腰を抜かす真パパを担ぎ、まさに戦国武将の如く武装したお手伝いさん達の制止を薙ぎ払って、身一つ着のまま駆け落ちしたのだ。


そんな事があったので、宇野家では家族全員の命の恩人であり創造主たる母の発言が、絶対であり法であり神の声であった。


当然、その正統後継者たる姉の権力も絶大であった。宇野家を見ていれば、その内『女尊男卑』なんて造語が生まれてもおかしくないと言って良い。


エネルギッシュな二人と、そこからもたらされる幅広い人脈は、宇野家を日々昼となく夜となく、多くの黄色い嬌声で包み込んだ。


そこに男達の安息の地はなかった。

微塵も。


事情を知らない、愚かで無知な拓造やクラスメイトなどは、『美人の集まるパラダイスハウス』などとのたまい羨ましがっていたが、当の真からすればとんでもない話であった。


多感な思春期をこんな状況で迎えた事が、真の複雑な人格形成に少なからず影響を与えた事は間違いない。


しかしながら、そんな苦難の日々も決して無駄ではなかった。真はそう考える。


そう!今この瞬間こそ!今まで培った経験とノウハウが生かされる時なのだッッッ!!!



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真はどうすればこの状況を切り抜けられるか、聡明な頭をフル回転させて考えていた。


こういう状況を穏便に打破する方法は大きく分けて2つある。




どちらか一方が、お茶のお代わり又は手洗いに立った時を見計らってさり気なく話題をすり替える。これが、最もオーソドックスかつ自然な流れである。



そしてもう一つは、話しをこちらに振られた瞬間である。話しを振られれば、上手くいけば相手の興味を引き、話題の主導権を握る事が出来る。




しかし、②には危険がある。

注意しなければならないのは、その問いに対する回答である。


何故ならば、例え意見を求められようとも、的確に返さなければ『所詮男の考え』と鼻で笑われるのがオチだ。


最悪それが起爆剤となって更に話しが白熱し、更なるカオス…なんて事もある。


一瞬の隙も見逃せない。


楽しそうに談笑する2人を、真は注意深く観察し、精神を極限まで集中させ、神経を研ぎ澄ました。


「えっ?じゃあらいあちゃん、エロ島のとこに1ヶ月もいたって言うのぉ?」


ジュンはらいあの身の上話しを聞いて驚きの声を上げた。


「うん、あの黒いオジちゃんのお家にずっといたの。」


「えぇーヤダァ~~!?何かされなかったぁ?あの人、本っ当に変態さんなんだからぁ~!!」


その時、いつものようにBARで女を口説いていた川島が、大きなくしゃみをしたとかしないとか。


「ううん、あの黒いオジちゃんね、いっつもニコニコしてて優しかったよ!」


「へぇあの変態さんがねぇ~。でもじゃあさ、らいあちゃんはエロ島に誘拐されたって事?」


そう言うと、らいあは小さく首を横に振った。


「ううん…」


「違うのぉ?…じゃあじゃあ、らいあちゃんは、どこから来たの?お家の人きっと心配してるよぉ?」


「………。」


ジュンがそう言うと、らいあは悲しげに顔を伏せた。2人の会話に集中しきっていた真はそんな表情に気づきもしなかった。


人生経験豊富なジュンは、これ以上聞かない方がイイと考え、話題を真にそらした。


「そう言えばさぁまーちゃんのお家、スッゴいキレイになってなぁい?」


突然ジュンが、目を皿のようにして2人を観察していた真の方に振り返り言った。千載一遇のチャンス到来!



「はっ?あっ?」


だが2人の話しに聞き入り、完璧に不意を突かれた真はしどろもどろになって言葉に詰まってしまった。


―しまった…絶好のチャンスを!



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ここで読者諸氏には、先程長々と述べた真の、『こういう危機的状況に対する免疫と裏打ちされた確かな体験』が丸々無駄になってしまった事をここにお詫びしたい。


実際の所、真は家でも母と姉に振り回されっぱなしで、先程述べた2つの対策とやらも実践の伴わない机上の空論なのであった。




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「もしかしてぇらいあちゃんがお掃除したのぉ?」


「うんっ。オジちゃんのお部屋すっごく汚かったから、らいあがキレイにしたんだよっ!」


うなだれていた真はその言葉に首だけ回して部屋を見渡す。


なるほど、話しに集中していて気が付かなかったが、川越祭りの後の本川越駅前のように散らかっていた部屋が綺麗になってる。


「偉いねぇらいあちゃん^^¥まーちゃんはお掃除へたくそだもんねぇ?(笑)」


ジュンの意地悪い笑みに、舌を打つ。


「あっ、そうだオジちゃん。これなあに?」


そう言うと、らいあは真の寝室に入って、何やら見覚えのある段ボールをズルズル引きずって来た。


その大きな段ボールを見た瞬間真の表情はみるみるうちに青ざめていった。


―そ…その箱はァァッ!?


「この本、女の人のハダカがいーっぱいのってるのっ!ねぇオジちゃん、これなあに??」


無邪気な顔で問い掛けるその右手に持ち上げた本から、真お気に入りの形の良いボインが零れた。


「バババッ!バッカヤろうッ!それはクソガキの読むもんじゃねぇッ!!…こらッ!取り出して読むな~ッ!!」


慌てながらそれを無垢な少女の手から引ったくった。ジュンは必死に笑いをこらえて口を両手で抑えて肩を震わしている。


らいあは首を傾げながら、尚も純粋という名の凶器で真を追いつめる。


「ねぇっ!教えてよ~?」


穢れない瞳に迫られ、進退ここに極まった。仕方なく真はコホンと咳をして、改まった調子で言った。


「いいからいあちゃん、実はなオジちゃん絵描きさんなんだ」


真面目な顔した真の隣で、ジュンは堪えきれなくなって吹き出した。


「その女の人の裸を見ながら、絵を描くのが俺の仕事なのさ…だからいっぱい持ってるの!」


「へぇ~~~っ!スっゴい~!オジちゃん絵描きさんなんだっ!スゴいスゴい~~!」


「あ、ああ…スゴいだろ?」


もうジュンは、発狂寸前で床にのたうち回って笑い転げた。今すぐにでもこのバカ女の首締めて真っ青にしてやりたい。


怒りに青筋をピクピク脈打たせ詐欺師らしからぬ苦し紛れの嘘をつく真。


―いや無理だろそれは……!


自分でもそう思っていたが、どうやらそんな陳腐な嘘を少女は信じてしまったようだ。


それも彼の、『華麗なる嘘つき』としてのプライドを深く傷つけた。


まあ、エロ本見つかってる時点でプライドもクソもないのだが。


何やら腑に落ちないが、兎に角この修羅場(?)を収めた。その安心感に、真はそっとため息をついた。


「おいジュン、お前明日の朝ヒマか?」


ようやく笑いを収めて呼吸を整えるジュンを冷たく見下ろす。

彼女は涙を拭きながら、笑いすぎで痛む腹をさすっている。


「…明日はヒマじゃないなぁ。どうかしたのぉ?」


「いや、ちょっとヤボ用でな。拓造んとこ行かなきゃなんないんだよ。その間、コイツ1人っきりになっちまうからさ…」


逃げないように見張っててくれ―


そう言いかけて、真は言葉を呑み込んだ。


「大丈夫だよオジちゃん。らいあ、1人でお留守番できるもん。」


何も知らない少女は、無邪気な笑顔を見せる。


「しっかり者だなぁ。らいあちゃんは^^¥」


うんうんと感心して頷くジュンは、そう言うとおもむろに立ち上がった。


人の気も知らないで…

真は忌々しげにジュンを睨む。


「じゃあまーちゃん、アタシそろそろ帰るね~。明日朝早いからさぁー。」


「夜行性のお前が、朝から何の用事だよ?」


「ん、大した用じゃないよ。まーちゃんとおんなじヤボ用。」


そう言ったジュンの笑顔が一瞬曇ったのに真は気づいた。気になりはしたが、あえてそれを聞こうとは思わなかった。


「じゃまたねー、らいあちゃん!今度いっしょに遊ぼーね!」


「うんっ!!また来てね、ジュンちゃんっ!」


ジュンはらいあの少し赤みがかった髪を撫でると、そっと真に歩み寄って耳打ちした。


「…エロ本の隠し場所、5年前から変わってないね。」

「…はよ帰れっ!!」


イタズラな笑みを真に向け2人に手を振ると、妖艶な香水の香りを残し、ジュンは部屋を出て行った。




後に残った2人の間に気まずい沈黙が流れた。いや、少なくとも真はそう思っていた。


突然押し付けられた正体不明の少女、加えてその少女によるいきなりのエロ本発掘。正直この展開にはついていけない。


そうとも知らずに、らいあはいそいそと、カップと茶菓子を片付けている。


その背を複雑な心境で見つめる真の視線に気づいたのか、らいあはニコリと笑って見せた


「ねぇおじちゃん、あのジュンってお姉ちゃん、すっごくカワイイね。」


「ん…あ、ああそうか?」


真は不意の言葉に我に帰った。座ったまま彼は頭をかく。


面倒だが聞かなければならない事がある。ちゃっちゃと終わらしてしまおう。


「なぁ、らいあ…。お前マジでどっから来たんだ?」


その言葉にらいあは反応せず、キッチンでコップを洗っている。シンクを叩く水音だけが返ってくるばかりだ。


「パパとママが心配してんだろ?お家に返してあげるから教えてくれよ。」


川島はらいあを引き取った後は何をしてもいいと言った。それならば家に返すのだって別に構わないはずだ。


正直、ウチに置いておくのは面倒だし、かと言ってほっぱり出すのも気が引ける。


何より、先程の美味い料理といい、真コレクションを嗅ぎつけた嗅覚といい、9歳という年齢にそぐわない振る舞いが、何ともなく薄気味悪かったのだ。


らいあはそれでも何も答えずコップを片付けると、フキンでこしこしと手を拭いて、ちょこんと真の前に腰掛けた。


そのまま俯いてしばらく黙っていたが、少しして上目遣いで真を見た。


「……おじちゃん、らいあね…『きおくそーしつ』なの。」


「…あっ?記憶喪失だって?」


小さな少女は、また眼を伏せて小さく頷いた。


「らいあ、川島のおじちゃんと会う前のこと、覚えてないの。」


少女の小さな手が小刻みに震えている。これが演技だったのなら、この年にして大した役者である。


真は呆れてため息ついた。


「おいおい嘘つくなよ。映画じゃあるまいし、そんな都合の良い記憶喪失ある訳ないだろ。何か言えない訳でもあるのか。」


「…本当だよ?」


今にも泣き出しそうな上目遣いで訴えかけるらいあ。


大抵の大人なら情に流されてしまうだろう。


事情は知らないが、恐らくこの可憐で薄幸な美少女の必死な嘘を、これ以上追求しようとする人間もそういないだろう。


だがしかし、生憎俺も『ヒガシの帝王』と呼ばれた男。容赦はしない。


「あのなぁいい加減にしろよ!?優しくしてりゃツケ上がりやがってッ!!叩き出すぞクソガキャあ!!」


真の凄まじい剣幕にたじろいだらいあは、俯いて肩を震わせた。『豹変』というのは非常に有効な脅迫のテクニックだ。


子供相手に使うのは少々エグい気もするが、こんなガキは一回脅して泣かせちまえば後はどうにでもなる。


突然らいあは俯きながら、大きく息を吸い込み始めた。そしてか細い声で一言、


「……本当だもん。」


どうせ泣き出すだろうと思っていたらいあは、意外にもしっかりとした口調で呟いた。


よーし、そっちがその気なら何度でも言ってやる。


「テメェ!まだ…」

「本当だもん!本当だもん!!本当だもん!!!本当だもん!!!!

本当だもん本当だもん本当だもん本当だもん!!!!!(以下同文×32回)」


その拡声器を通した断末魔の様な凄まじい大騒音に、真はイスごと後ろにひっくり返った。


しくしくと泣き出すかと思っていた少女はそれ所か、机を、窓を、そして真を吹き飛ばさんばかりの勢いで叫び散らした。まるで衝撃波だ。


「…ば、バカ!そんなに騒ぐと…!」


その時、背後のドアかららいあの叫びと同じぐらいけたたましいノックの音が鳴り響いた…。


らいあの叫びと凄まじいノックに挟まれ心臓が早鐘を打つ。来訪者が誰であるのか、真には既に分かっていた。



―ヤバい…ヤバい!



「お、おいクソガキ…!お前ちょっと黙れ…!」


「らいあウソなんかついてないもん!!ホントだもんっ!!ホントだもんっ!!ホントだもんっ!!」


収まりそうにないらいあの主張。そして更に激しさをますノックの音。


「オイッッッ宇野貴様ァゴラァ!!とっと出てこいやオラーッッッ!!!」


怒声がドアの先から響く。真の顔がみるみる青くなっていく。


あのドスの効いた声はお隣の鬼頭さん、真が恐れる恐怖の隣人である。


わめき散らすらいあには目もくれず、慌てふためいて立ち上がり玄関に走る。


焦りは人を迂闊にする。焦れば普段気を付けている事を怠り、思わぬトラブルを招く事が非常に多い。


例えば真は自宅のドア、鉄筋造りのそのドアの開閉、特に家から外に出る時の何でもない所作に異様なまでに気を払っていた。


以前、仕事の約束に寝坊して慌てて出掛ける際に、勢いよく開け放ったその押し開きのドアが、世にも恐ろしい隣人・鬼頭さんの巨躯を豪快に吹き飛ばしてしまった事があった。


それからというもの、真は自宅のドアの開閉に細心の注意を払う様になった。


どんなに急いでいる時も徹底的に、或いは病的なまでに、である。


しかしながら今回は少しばかり勝手が違った。


謎の少女らいあの予想外の反撃に、真は大いに混乱していた。とにかく一刻も早くドアの先にいる恐怖の隣人の怒りを静めなければならない。


さもなくば、以前の様に派手にブチのめされる事になる。


そんな彼の焦りが、皮肉にも再び彼らに悲劇を呼んだ。



「すいません鬼頭さんッッッ!」


ゴーン!とマンションの廊下に鳴り響く小気味良い金属音に、のけ反っていく隣人の巨体。あっ、何かデジャブ…なんて呑気な事を真は思った。


そのまま鬼頭さんはひっくり返ってノビてしまった。


マンションの廊下でノビるオッサンと、それを見下げて固まる男。何ともシュールな絵面であった。



―さて、この後どうするか。ダッシュで逃げるか、このままどっかに埋めちまおうか。



幸い、今の所マンションの他の住人の眼はない。


とりあえず真は、現実逃避を試みてみる。


「オジちゃん、どうしたの?大丈夫?」


後ろからの声に振り返ると、先程までの大騒ぎはどこへやら、らいあがキョトンとした表情でこちらを見上げていた。


「…何でもねえよ、いいからお前はとっとと帰る支度しろ!」


「ねえねえ、あのオジちゃんどうしてあそこで寝てるの?」


…無視ですかそうですか。


真のイライラが再燃してきたのをよそに、心底不思議そうに倒れ伏す鬼頭さんを指差す。コイツ、見掛けによらず図太いな。


「ん~あんなとこで寝てたらカゼひいちゃうよ。ねえオジちゃん、起こしてあげようよ。」


どうやら本気で心配してるようだ。潤んだ瞳に小さな手で、グイグイ真の袖を引っ張る。そんならいあの様子を見て、なんだか怒るのもバカバカしくなってしまった。


すると呻き声と共に、ノビていた鬼頭さんがのそりと起き上がった。恐るべき殺気を含んだ視線を真に向けて。


「オイ…!!宇野テメエ……」

「き、鬼頭さん…ちちち違うんですこれは…」


本気で生命の危機を感じた。この人はやると言ったら殺る人だ。


スキンヘッドでイカつい強面に無数の傷。ウソかホントか、かつて外国の傭兵部隊に所属していたとか、夜な夜な血まみれの生首片手に公園を徘徊していたとか、ご近所でも噂になっているそうだ。


「違うだぁ…!?何が違うってんだラァ!!!」


「いや!ホントすんませんでした!またドアぶつけちゃって…」


「んな事ァどうだっていいんだよボゲェ!!」


…えっ、いいんすか?じゃあ何に怒ってんだこの人?


よく分からないが怒り狂っているのだろう、イカつい顔を真っ赤に紅潮させている。ゆでダコ、と表現すればいいだろうか。


「テ、テ、テッメェはこんな時間に幼物ポルノ大音量で鑑賞しやがってッッッ!!人の迷惑考えろやー!!」


え、何それ幼物って?初めて聞いたんですが?何言ってんだこの人。


「…なんの話でしょうか鬼頭さん。そんなの観てないですよ。」


「嘘を付けッ!!貴様一人暮らしだろう!??何故にそこから幼女の喘ぎ声にも似た絶叫が聞こえてくるじゃあ!!?」


「あんた何とんでもない事言ってんですか!?」


ドアに頭ぶつけておかしくなったんじゃないか、と思う程トチ狂った発言に仰天した。


どうやら鬼頭さんは、先程のらいあの叫び声を幼物(?)ポルノと勘違いして怒鳴り込んできたらしい。


「今度という今度は勘弁ならねぇ!!ちょっとウチ来いや…!!」


「エッ!いやだから違いますって!」


「問答無用だボゲェ!!」


まだ肌寒い春先の時分に不似合いなタンクトップから伸びるぶっとい腕で、胸ぐらをガッシリと鷲掴みにされる。


そのままショベルカーが軽々と重たい瓦礫を持ち上げるかの様に、真の体は地面から浮き上がった。


やばい、殺られる!このまま連れて行かれたら確実に抹消される…!


「オジちゃん、寒くないの?」


突然、2人の背後から声がした。


先程からのやり取りを真の影から覗いていたらいあが、いつのまにか前に出て鬼頭さんのタンクトップを引っ張っている。


―バ、バカ野郎!何やってんだクソガキ!殺されるぞッ!


「アアッッ!?なんだとキサ…マ…!?」


ああ、終わった。このまま俺はあのクソガキのせいで短い生涯を終えるのだ。思えば儚い人生だった…ってあれ?


気付けば真の両足は地面についていた。


らいあを見た瞬間、怒り満面の鬼頭さんの表情がみるみる内にユルユルになっていく。なんかすごく気持ち悪い顔に。


「オジちゃんカゼひいちゃうよ、大丈夫?」


大の大人でも恐れおののく様な鬼頭さんに向かって、物怖じしないどころか気遣っている少女。


怖い物知らずの子供ゆえの対応だとは思うが、その姿は何ともなく普通の子供と同じという感じではなかった。うまくは言えないのだが。


「…オイッッ!!貴様ァ!!この娘は一体なんだァ!?」


いきなり鬼頭さんが掴み掛ってくる。また顔をゆでダコにして。


「貴様まさかこんな幼女を誘拐して…あんな事やこんな事をしているノカァッッッ!!そんなうらやま…破廉恥な事をしているノカァァァァァァ!!!」


「おぃぃい!いい加減にしろよアンタ!」


ヤバイ、この人本当にヤバイ人だったんだいろんな意味で!


「この子俺の姪っ子なんすよ!姉がウチにちょっと預けてるだけなんす!」


万が一誰かにらいあの存在を知られた時のために考えておいた言い訳だ。


まさかこんなに早く使う事になるだろうとは思いもしなかったが。


「姪…っ…子…だと…?」鬼頭さんは放心した表情で繰り返す。


「そうです。それでさっき好物のプリンを僕が1個多く食べてしまったので、それで怒って泣き喚いていたんです。」


「え?らいあプリンなんか食べてないよ?」


「黙ってろガキ。」


首を傾げるらいあを制す。とにかくこのまま押し切るしかない。


「そういう事なんでうるさくしてすみませんでした。コイツには後で騒がない様にキツく言っときますんで。それじゃ失礼します。」


これ以上余計なトラブルは避けたい。らいあが作った鬼頭さんの隙を利用してさっさと逃げなければ。


しかし、そこでまたらいあが横から余計な口を挟んできた。


「オジちゃんもしかしてお洋服ないの?らいあのお洋服かしてあげようか?」


そう言って昨日から着ていたピンクのパーカーを脱いで鬼頭さんに手渡した。


「エッ!?いいのかい…?」


鬼頭さんはそれを受け取ると、愛おしそうに胸に抱いて涙ぐんだ。ホント何なのこの人。


「うん、いいよ。」


ニッコリ微笑むらいあ。


「じゃ、じゃあ僕らはこれで…」


らいあの手を引いてそそくさと部屋に戻ろうとする。


「オイ!ちょっと待てや…!」


再びドスの効いた声で呼び止められる。恐る恐る振り返ると、凄まじい迫力の顔面がすぐ目の前にあった。


「…なんでしょう…か?」


改めて近くで見ると本当にヤクザ顔負けの迫力である。嫌な汗が背中を伝う。


「この娘、いつまでいるんだ?」


「いや、特に決まってないですが…。」


「では俺がこの服を返すまではこの娘を預かっておけよ。いいな…?」


真は黙って何度も頷いた。この状態で『明日帰します。』などと言おうものなら、本当に殺られると思った。もはや脅迫である。


「ヨシ!約束だぞ…!!」


先程より一層殺気をはらんだ眼で真をねめつける。


「それじゃあらいあちゃーん~。お洋服ありがとう。ちゃーんと洗って返すからねぇ!またねぇ!」


一転して、今まで見た事もないような満面の笑みを浮かべ鬼頭さんはらいあに向かって手を振った。キャラ変わりすぎだろこのオッサン。


「うん!またね~。」ニコニコと手を振り返すらいあ。


鬼頭さんが部屋に戻ったのを確認すると、真はらいあを強引に部屋に引き入れて素早くドアを閉じた。


「…お前、どういうつもりだ。」


開口一番、真はらいあを問い詰めた。


「えっ、なにオジちゃん?」


きょとんとして真を見上げる。


「なに?じゃねえよ…!記憶喪失だのなんだの騒ぎやがって…おかげでエライ目にあったじゃねえか!」


「だってホントだもん。」


悪びれる様子もなく言う。


あくまでしらを切るつもりらしい。真は舌打った。


まあしかし、とりあえずこの件はこれ以上問い詰めない方がいいだろう。

もうあんな綱渡りはしたくない。


―どちらにしても、このままこのガキをどっかにやってしまう事は出来なくなった。何しろ俺の命に関わるからな…。全くもってメンドくさい。


だが、このガキは使える。このガキがいれば、あの恐ろしい隣人も俺に手を出せなくなる。


つーかむしろこのガキ、あのロリコンヤクザに預けちまえばいいんじゃね?とも思った。


しかしながら、それは真のなけなしの良心によって憚られた。


あの様子は普通じゃない。おそらくあのパーカーも、洗っても2度と落ちない汚れがつくであろう。


仕方ない。真は腹をくくった。


「なあ、らいあ。お前ホントに記憶喪失なんだな?」


「うん。」大きく頷く。


「よしわかった。じゃあ今からお前は俺の姪っ子だ。」


「めいっこ?」今度は首を横に傾げた。


「そうだ。お前は俺の姉の一人娘で、海外出張している両親の代わりに俺が預かっているんだ。」


「それほんとう?」


「ちげーよ、そういう設定だ。」


「せっていってなに?」


はあー、と溜息をつく。


らいあは大きな瞳をまたたかせながら、尚も首を傾げる。


「つまり嘘をつけって事だよ。」


「オジちゃん!ウソついたらダメなんだよ!ウソつくのわるいことだもん!」


「お前だって嘘ついてんじゃねーか!」


「らいあウソなんてついてないもん!」


らいあは頬を膨らませて主張する。


―このクソガキナメやがって…!


しかしこのままでは埒があかん。仕方がない、言いくるめるか。


「いいからいあ、世の中にはな、『ついて良い嘘』と『悪い嘘』があるんだ。」


らいあは小首を傾げた。


「『イイウソ』と『ワルイウソ』?」


「そうだ。例えば俺がお前に嘘をついたとする。それでお前が悲しくなったり傷ついたりしたらそれは『悪い嘘』だ。だけど、俺がついた嘘でお前が喜んだり幸せになったとしたらそれは『良い嘘』だ。分かるか?」


長ったらしい嘘の講釈にらいあは小首を傾げた。その眼が、『何コイツ?意味分かんない』と訴えている。


それでいいんだガキ。それが狙いなんだから。


「お前が俺の姪っ子だと嘘をつけば、俺は嬉しい。つまり『良い嘘』だ。誰も傷つかないで皆ハッピーだ。」


「…そうなの?」


「そうだとも。」よし、もう一息だ。


「だからお前は悪くない。何故なら、嘘は嘘でもお前がつくのは『良い嘘』だからだ。分かったな?」


「でも…」


それでもらいあは納得しかねる様子だ。

ここで少し方向性を変える。


「らいあ、お前、俺と一緒に暮らしたいか?」


「うん!だってオジちゃんウソつきだけど優しいもん。」


ぱあ、とにこやかな表情になる。

そこで俺はこう突き放す。


「もしお前が嘘をつかなかったら、俺はお前と一緒にいられない。」


「え……なんで…なんで…?」


一転、泣きそうな顔になる。

コロコロ表情が変わって面白いなコイツ。


「とにかく、お前が嘘をつかないと俺達は一緒に暮らせない。嘘がバレたらここから出てってもらう。出来るな?」


「………」


そんな泣きそうな眼で見てきても無駄だ。沈黙は肯定と見なすぜ。


「よし、良い子だ。」


冷たいと思われるかもしれないが、こういう事は始めが肝心だ。俺に逆らえないと言う事を分からせないといけない。


「それじゃあ、風呂入ってさっさと寝ろ。俺は明日早いからもう寝るぞ。」


「あっオジちゃん。」


俯いていたらいあが顔を上げて、真を呼んだ。


「なんだ?」


「あのね、らいあがねるとこなんだけど」


「ああ、昨日と同じそこの押入れだ。」


有無を言わさず真が指差したのは、彼の寝室にある小さな押入だった。


昨日深夜、車の中で眠ったらいあを真は自宅の押入れに押し込んでいた。


いたいけな9歳の少女に対して鬼畜の所業と言えよう。


しかし彼の肩を少しばかり持つのならば、それは一応真なりの気遣いなのであった。



つまり、


仮にも女の子であるらいあをまさか同じ部屋で寝かす訳にはいかない→しかし代わりの布団を敷くのもめんどくさい→じゃあ押入れじゃん!


と、こういう訳だ。まさに人間のクズである。



―いいんだよ別に!ほらガキってああいう狭いとこ好きだし、秘密基地とかってやるし、ドラえもんっていう前例もあるし。


「えっいいの!?わーい!」


ほーれ見ろ、この喜びよう。


泣きそうだったりはしゃいだり、忙しいヤツだなこのガキは。


しかしこのガキ、そんなに押入れで寝たかったのか。


「さっきおしいれの中に、オジちゃんの宝物がいっぱいかくしてあるって聞いたからさがすんだ~!」

「ちょっと待てッッッ!!」


聞き捨てならないセリフが飛び出した。俺の…宝物……だと!!


真の『宝物』、それは彼が中坊の時に書き溜めていた小説の事である。

タイトルは『Trick Star ~羊達の動哭~』(全十三巻)。


ある詐欺師が己の才能と度胸で、世界を股にかける天才詐欺師に昇りつめるまでを描いた一大叙情詩である。今の真のルーツになった作品であったと言っていい。

当時あまり友人のいなかった真は、結構マジで書いていた。


一度ジュンに読まれて爆笑されてからというもの、押入れの地中深くに埋めて保管していた。そんな黒歴史さっさと捨ててしまえばいいのだが、どうにもそれはできなかった。それも真にとっての大事な青春の1ページだったのだ…。


かなり恥ずかしい青春ではあるが。



「おいこらクソガキ……お前何故その事を……はっ!?」


「ジュンちゃんが言ってたんだよ~。」


―ですよね~。畜生、あんのクソアマぐわぁ~!!何で隠し場所知ってんだよ!

今度会ったら即強制レ○プ決定だ!絶対吐かせてやる!!


「いいからいあ、押入れは絶対に開けるな。いいか絶対だぞ!」


必死すぎて、何だか下手な振りみたいになってしまった。


「え~なんで~?」


「…なんででもだ。仕方ないからここに布団敷いてやる。ありがたく思え。」


「えっ、オジちゃんと一緒にねていいの?わ~いっ!」


らいあは無邪気に飛び跳ねている。

なんつー現金なヤツだ。


しかし、このガキに感じてた違和感の正体が何となく掴めてきた。


このガキには、全くといっていい程警戒心というものがないのだ。


普通の子供なら、見ず知らずの大人の家に急に住まわされる事になったら、警戒したり怖がったりするのが当然だ。


先程の鬼頭さんにしても、普通なら泣き出してしまう様な場面だったはずである。子供ゆえの怖い物知らず、と言う事では説明できない。


つまり普通じゃないのだ、このガキは。


大人を恐れるでもなく、媚びるでもなく、ただ自分の感情をそのままに剥き出している。


…まあその方が手が掛からないで楽だからいいんだが。


なんか無駄に懐かれてるみたいだし、これなら逃げられる心配もないだろう。


深く考えるのは止めよう、真はそう思った。


「じゃあオジちゃん、らいあお風呂入ってくるね~。」


何も知らないらいあはトコトコと浴室に向かっていった。


やがてシャワーの音が聞こえ始めた頃、真はゴロリとベッドに横たわった。


明日は朝から拓造に付き添って、件の意中の相手との仲を取り持ってやらなければならない。もう何度もこなしているが、非常に面倒くさい仕事だ。


相手は小学校教師だったか。

拓造の話じゃ相当の美人の様だが、アイツの顔面測定器は昔から全く機能してないからな。期待はしていない。


らいあは、あの調子なら置いていっても問題ないだろう。


…そう言えばあのガキ、学校とかどうすんだろうな。9歳なら小学3年か。義務教育とか大丈夫なのか。


まあ、俺が気にする事じゃない。俺には関係ない。


何か今日は疲れたな…寝るか…。



まどろみの中で真は、昼間のファミレスでジュンが言った意味深な言葉をふと、思い出していた。




―まーちゃん、そのらいあちゃんって子の事、絶対に幸せにしてあげてね?―








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