~ 第二幕 ~ ●鉾下之儀○

  ~ 第二幕 ~


 ●鉾下之儀ほこおろしのぎ


 縁が葛城たちから小古呂プロジェクト・八百万についての説明を受けてから。

 一方で円香が美哉からのトクメイを引き付けてから。

 その三日後。

 小古呂神社の八尋殿の広間にて、いよいよ真人しんじんである縁がその妻・真女しんおんなを選ぶ儀式である鉾下之儀ほこおろしのぎが始まろうとしていた。

 八尋殿は神社の中心にある本殿・拝殿のすぐ右隣に建てられている。一般に神社のお参りで参拝客が目にするのは拝殿である。拝殿の入り口正面に賽銭箱があり、その上からは鈴を鳴らす縄が垂れ下がっているのが一般的だ。本殿は拝殿の奥。ご神体が安置されている建物となる。これらは小古呂神社に限らず、どこの神社でも間違いなく参拝客が見ることになる建物である。八尋殿はそれとは違い、小古呂神社で神事を行うための場所として特別に建てられたものである。かつては祭りのために使用された由緒ある建物だったが、長年使われることなくなっていたのだが、鉾下之儀ほこおろしのぎの場所としてこれほどふさわしい場所はない、との葛城をはじめとしたプロジェクトの面々の意見により、数十年ぶりに日の目を見ることになったのである。

鉾下之儀ほこおろしのぎ』『八尋殿』というキーワードはすべて古くから伝わる神話に由来するものだ。

『小古呂』という地名と同じで、伊邪那岐イザナギ命、伊邪那美イザナミ命による国土誕生のエピソードにそれらの言葉が見え、いずれも神社、いや神道のアイデンティティに関わる重要なキーワードである。しかし、そこまで重要なキーワードが目白押しでありながら、小古呂神社が現在それほど知名度もなくここまで落ちぶれてしまったのはどういうことなのか、とかつて縁は疑問に思ったことがあり、自分なりに調べたのだが、すぐに結論は出た。どうもこの神社の開祖――つまり小古呂神社を建てた宇津見家のご先祖様――が、勝手に『ここにはこれこれこういう神様がおられるのだ』と決めただけのことで、特に時の権力者だとかに認められていたわけではなかったようなのである。

 小古呂神社の祭神は先の伊邪那岐イザナギ命・伊邪那美イザナミ命の夫婦だけでなく、そのペアの神様よりもさらに以前、神話の始まりの三神である天之御中主アマノミナカノヌシ神、高御産巣日タカミムスヒ神、神産巣日カミムスヒ神も祭っており、ずいぶんとご立派な神社であるように思われる。これら三神はかつては伊勢に、明治には伊勢から東京に移されて祀られた神々で、夫婦神である伊邪那岐イザナギ伊邪那美イザナミと同じように、縁結びの神としては非常にポピュラーな存在である。ご先祖様は、どうもこの神社を高いご利益がある場所として盛大にアピールしたくてこれらの神々を看板として選んだにすぎないようなのだ。縁がこの神社と、父の隆行に対してどうにも真剣に向き合うことができなくなっていったのも、このときに知った事実が原因なのかもしれないが、それだけではないかもしれない。

 ともかく、その怪しい由来から大仰に名付けられた八尋殿で、これまた大仰な鉾下之儀ほこおろしのぎという名目で行われるのは、ぶっちゃけてしまえば単なるミスコンのようなものである。しかしたとえ実態がそうだったとしても、飾り方によってはまったく違ったものに見えるもので、

「エニィは身内すぎるから、自分がいいものを持ってるってことがわからなくなってるんだよ。ま、それはエニィだけの話だけじゃないけどねー。小古呂神社だってその由緒を外からの目で調べてみればいろいろと面白いところはたくさんあるし、小古呂町だってそうだよ。そういう内側にいると当たり前になって見逃してしまうものを、一つ一つ見栄え良く見せていくんだよ」

 との葛城の言葉どおり、単なる古臭くカビくさいだけの建物だと思っていた八尋殿が、むしろその古さが厳かな非日常の空気を纏わせて、今まさに、古来からの儀礼をよみがえらせようとしているのだ、という気分にさせてくれるのだった。

 縁もまた衣装を着せられて、婚礼の儀を演出するのに一役買っている。というかこの儀式の主役なのだから、一役買って当然ではあるのだが。頭には冠、手に笏、上下に袍と袴を纏った正装である。神職が神事でこの姿でしている場合、普通は斎主といって神事を進行させる役であるため、儀礼の参列者たちの前に向かって立つ位置にいるものだが、今回、縁は真人しんじんという役回りであるため、同じ参列者の真女しんおんなの候補者たちと向かい合って正座している。斎主は禰宜ねぎの森村が行うことになった。

 縁と向き合って正座をしている真女しんおんなの候補となる女性は四人。四人とも、この儀に参列するにあたってみそぎを済ませて女性の神職が身に着けている衣装を纏っている。頭に釵子さいし、上下は唐衣に袴の、こちらも縁と同じく正装だ。縁が纏う袍も普段着る白の浄衣と違って青紫の浄衣であり目を引く出で立ちだが、それ以上に真女しんおんなたちの赤をベースに複雑な文様が描かれた唐衣が、場に華やかな印象を与えている。

 修祓、献饌、祝詞奏上、参列者の拝礼と、基本の神事は森村によってつつがなく、恭しく進行していた。

 いよいよここからは真女しんおんな候補者が一人ずつ出自を述べ、真女しんおんなとしての決意を述べる真女之宣しんおんなののりに入る。自己紹介、志望動機と自己PRの時間である。縁から向かって左に座る順で行われるのだが、実のところ、縁にとって、一人目のその女性は説明不要な人物である。また、四人の中でも異色の存在であることが一目瞭然であり、縁としては自己紹介などはさておいて、「なぜあなたが真女しんおんなを志望するんですか?」という志望動機の部分を是非聞きたいというのが今の縁の心境である。もっとも動機を聞いたところで納得できるかは別であるが……。

「田所多恵。八十六です……ようよう、この日を待っとったで。縁さん、立派な姿で見違えたわ。わたしゃ嬉しい」

 と言い出すなり、およおよと声を上げで泣き出したのは、今、本人の口から名乗った通り、お多恵さんである。

 縁はもちろんのこと、ほかの真女しんおんな候補者の三人も、やはり一人だけ高齢のお多恵さんが気にならないはずはなく、ここまで必死に気にしないと堪えてきたのだったが、さすがにお多恵さんが泣き出しては、三人ともぎょっとしてお多恵さんのほうを凝視した。その三人のうち、お多恵さんの右隣りの背の高い女性が、懐から派手な柄のハンカチを取り出した。

「お婆ちゃんは真人しんじんさんのお知り合い? この町にずっと住んでいるのかしら?」

 ハンカチをお多恵さんの手に渡そうと近寄りつつ、そんなことを聞こうとすると、お多恵さんはハンカチを払いのけるようにして、

「婆あだと馬鹿にしよって。優しくして良いところを見せようなんて甘いことしたって、通用せんよ」などと、先ほどの涙などどこへいったのか、という厳しく睨み付ける表情で言い放った。

 女性も最初は驚いていたが、すぐに落ち着いた表情に戻って「あら、別にそんなつもりはなかったんだけれど。すでに戦いは始まっているって言いたいのかしら? 戦う相手に同情は不要ってことね。余計なことしてごめんなさい、お・ば・あちゃん」と勝ち気な笑みをお多恵さんに向けた。

 一瞬、互いの視線がぶつかり合って火花を散らす勢いでにらみ合ったが、すぐに二人とも縁の方を向いて笑顔になった。

 その笑顔につられて笑顔になる縁だが、その顔を血の気がなくて青ざめ、脇の下が冷たい汗がじっとりと濡れるのがわかった。しかし縁はそんな彼女たちを審査し、一人だけを選ぶ立場、審査する相手の気迫の飲まれているわけにはいかないと、自分の気を引き締めた。これまでのようにのらりくらりと物事をかわしているわけにもいかなければ、このプロジェクトの荒唐無稽なまでの大がかりさに気圧されてばかりもいられないのだから、と。

「お多恵さん、落ち着いたなら、続けてください」

 縁は穏やかさに満ちた表情と声色を努めて出すようにして、お多恵さんにそう言った。

「はい、はい。なんでわしみたいな婆あがこうしとりますかというのはね、縁さんが心配で心配でしょうがなかった、というのもありますがね、わしが小古呂の町を愛しとるのがどれだけ本気かぁゆうもんを見せにゃあいかんて、そう思ったから、それだけだわ」

 お多恵さんはいつものようにしわがれた、それでいながらはっきりとした調子で言う。

「毎日毎日縁さんには耳にタコができるくらいおんなじことばっか言うとったかもしれんがね。ボケた婆あが昨日何を言うたのかも忘れて繰り返し愚痴を言うとるのとは違うんだて。ほんとによう、小古呂さんとこの町を盛り上げたいんだて。ほんでもわし一人でできることはしれとるで、せめてがんばっとるところ見せて、婆あでもあんだけ元気なら、うちらもがんばらりゃあ、て、だれかが思ってくれるようにせんと。わしができるのはそれくらいだて」

 お多恵さんは一言一言ゆっくりと、しかし言葉を切ることなくそう言った。

「何も本気で真女しんおんなさなれるなんておもっとらんよ。でもこの年でまさか、もう一度、真女しんおんなに立候補できるなんておもっとらんかったし、嬉かったで。昔はもっとたくさんの娘が真女しんおんなに立候補してな……」と昔話が始まったが、持ち時間は10分と決めてあったので、ほどほどのところで縁はその話を打ち切った。

「細かい話は、この場でなくて、また今度、うちのほうで聞きましょう」

「はいはい。まあ、真女しんおんなは譲りますけどね、縁さんとの仲は誰にも譲りませんでね。ほほほほ」

 そう言うお多恵さんは冗談抜きでそう言っているようだった。次の女性を含め、真女しんおんなの候補者たちへ言い聞かせているようでもある。

 他の候補者たちの手前、「仕方のないお婆ちゃんだなあ」というニュアンスを醸し出しておかないと、と思い、包容力のあるスマイルを心がける縁。しかし、

「でも、もし縁さんが本気でわしを真女しんおんなに選んでくれるなら、わしゃ拒まんよ」

 そう言って縁に向かってウインクまでしてきたときは、さすがに少々のけぞってしまうのが隠せなかった。笑顔のキープはできていたはずだが、引きつっていたかもしれない。

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