~ 第一幕 ~ ●役人・野並淳●
●役人・野並淳●
小古呂神社、社務所の応接室。
「小古呂町役場より参りました、地域振興課の野並と申します。縁さん、今後ともよろしくお願いいたします」
そう名乗った四十くらいだろうか。縁よりは一回り年上だろうその男性は、縁とその隣の森村に対して、深く頭を下げた。
「あ、こちらこそ、よろしくお願いします」
縁は野並につられる形で頭を下げる。こういうやりとりに縁はいまだに慣れない。
野並はネクタイを締めたYシャツの上に茶色のベストを着て、七三分けのやや薄い髪を乗せた顔には大きなフレームのメガネをしている。小柄で、縁の隣に座る森村と比較すると、巨人と小人、とさえ思える差がある。
「すでに森村さんより伺っているかもしれませんが、本件は縁さんのお父さん、隆行さんとともにもう足かけ6年にもわたって準備してきたプロジェクトでありまして、それが最終段階で隆行さんの体調不良により、中断の憂き目にあっていたわけです」
「そうらしいですね。恥ずかしい話ですが、森村さんに聞いて、初めて知りました」
「隆行さんは意図的に本件のことを縁さんにはお伝えしなかったようですね」
森村と同じことを野並も口にする。父の真意はどんなものだったのか。不出来な息子を関わらせなかっただけではないのか……という思いが一瞬よぎる。
「こうした町興し事業というものは早くからさまざまな方面に働きかけて協力を仰ぐものというのがセオリーとなっていますし、現在では事業の成功事例も多く資料や書籍化されていて、行政や民間の垣根もなくして多くの人を巻き込んでいく手法はもはや常識ともされています。しかし、我々が動き出したころは、まだまだそのような動きは表には現れず、各地方自治体が水面下で動いていた。つまり我々と同じく、人知れず試行錯誤をしていた、というわけです」
野並は縁が役人、つまりは公務員という種類の人間に対して描くイメージ通りに、真面目で、しかし固く、回りくどいと思える言葉で淡々と話す。
「暗中模索。本当にこの事業は先へ進むことができるのか。そもそも目指すべき方向も見えない。そんな中で我々も隆行さんもこの事業を容易に関係者以外に話すことはできませんでした。行政が関わる事業というだけでデリケートなものでしたので。それも今では大分、風向きも変わってきていますが……肉親である縁さんにも話しづらい事柄であったのには違いありません」
縁は野並の丁寧な説明に対して、そうですかという言葉しか出てこない。どんな説明を聞いても、縁には父との溝が埋まるとも思えないし、その父がやってきたことが急にその溝を超えて自分に関わってきているという事実に対しても、まるで実感が持てそうにない。
「それで、そんなややこしい話をどうして今になって僕が引き継ぐことになったんですか?」
縁は自分の中のわだかまりとともにある疑問を、そのまま野並にぶつけた。
縁にとっては苛立ち交じりで、相手に不快に思われるのではと思いながらの質問だったが、野並は特に表情を変えることなくその質問に答える。
「引き継ぐという形になったのは、実を言うと結果的にそうなったにすぎません」
「結果的に? どういうことですか?」
「この事業計画を進めていくにつれて、我々は一つの結論に行き着きました。我々のような古い人間だけでは事業を成功させることはできない、という結論です。アイディアは出ます。先ほどセオリーという言葉を出しましたが、何事にもある程度の決まり事や作法というものはありますので、そこからはみ出さずにいれば、ある程度それっぽい形は出来上がります。実際、行政が動くには十分な企画書はすでに作成しています。でもそれではダメだ、と隆行さんは首を縦に振られませんでした」
そういう野並さんは、別にそのことが残念そうではない。むしろ縁のほうが、
「なぜ、ダメだったんですか……?」
と不安げに聞くかたちになる。
「血が通っていない。生きていないとおっしゃられました」
「血、ですか」
「町興しとは地域の再生です。古いものは淘汰され、新しいものに入れ替わる……活性化というのはそういうものだと、隆行さんとも結論づけました。人間でも、町でも、それは変わらない、と。そこで我々が欲したのは、若さです」
「若さ……」
「はい。固定観念に縛られた老人だけでは結局は閉塞していくしかないと。そのときから、この事業の中核にはいずれ縁さんを就けることになる、と決定していたのです」
「つまり、父が倒れていなくても、結局僕はこうしてこの事業に呼ばれていた、ということですか」
「そうです。縁さんに小古呂神社を継ぐ意思を持っていただき、それなりに神職として落ち着いた、というタイミングで、お声をかけさせていただくことになっていました」
全部、初めから予定されていた。
フィクションの世界を本気でやっているのか、と縁は関心してしまった。すべては父と役所の企み通りという事実に驚きもせず、怒りもなく、ただただ素直に関心してしまう。そのような陰謀じみたことを本気でやれてしまうのが、父や野並のような世代の人間で、だからこそそれをフィクションとしても描くことができる。それが彼らのような人々なのか、と縁は思考だけが一人歩きしてしまう。
「縁さん?」
「あ、はい」
野並に声をかけられて、縁はまた自分が意識の内側にこもっていたことに気付く。
慌てて現状に意識を戻す。すると、縁のすぐ横にいて一度も発言をせずに黙ったままの森村のことが気になった。
「森村さんも全部知ってた……んですよね」
「そうです。お父上や野並さんとともに、縁さんを見守っておりました」
森村は表情を変えずそう言う。
「なんだか、寂しいですね」
縁は自然とそんなことを言った。特にどうということのない言葉だと自分では思った。しかし、
「縁さん、寂しかったのは私たちのほうですよ」
森村の口からは思ってもいない言葉が返ってきた。
「え?」
「え? ではありません。縁さんがこれまで私たちのほうをまったく見向きもしてくれなかったことが、寂しくなくて何だというのですか。縁さんは一人で謀られた、とお思いになっているのかもしれませんが、それはおおいに勘違いをなされている」
「森村さん……」
「ようやくです。ようやく、私たちの思いが縁さんにも受け止めていただける。待って待って、ようやく先日、そう確信が持てたから、あのとき私は縁さんと話をし、今日この場を設けることができました。私たちがあなたを一人ぼっちにしていたのではありません。縁さん、あなたが、私たちから遠ざかって、一人になっていたんです」
いつも大きく構えて動じる様子を見せたことのない森村が、感情を前面に出して、熱量を込めて語っている。
受け取るこちらの体も熱くさせる、強い気持ち。
しかし、その強さ、熱さゆえに、縁は自分の胸が、頭が焦がされるような感覚に襲われる。耳まで赤くなっていることがわかる。やってきたのは羞恥心だった。その羞恥心が、縁から素直な気持ちを奪い、負の感情に転換される。
「でも、でも、僕は……」
縁は喉につまるような声で、言葉にならない思いを絞りだすことしかできないでいる。
言葉が続かない縁に、森村は、
「今は、納得できないかもしれません。無理もありません。徐々に受け止めていただければよいのです。私たちは待てます。我々老人は、若者に思いが届かないことなど日常茶飯事、とうに慣れておりますので」
森村らしい慰め、というのかわからないが、縁はあっという間に毒気を抜かれてしまい、
「え、いや、そう言われると、ううん」
と困っているところに、
「なので、細かい感情論は抜きにして、とにかくこの事業を進めていただく。それでよいのです」
森村が一気に話を詰めに来る。
「いや、でも、それとこれとは」
「まずいのですか?」
縁の苦し紛れの抵抗など、森村には赤子の駄々に等しい。
「いやー……まあ、別に」
いつもの事なかれ主義が顔を出して、その場をとにかく流そうとしているのが自分でわかる。
しかし、今回ばかりはそれでもいいのかもしれない。
と思えるのは、先ほどの森村の言葉が単なる言いくるめではないように思えたからだった。だったのだが。
「やりますか、やりませんか。ここは二つに一つ、はっきりと答えていただきましょう」
森村の巨体がどんどん大きくなっていく錯覚に縁は陥る。いや、実際に迫ってきているのだった。
これはやはり脅迫ではないのか。直前の自分の判断は間違いではなかったのかと、縁は手のひらを返した。
迫る森村を視界から避けようとちらりと野並のほうを横目に見る。すると彼は今も黙って表情を変えずに二人のやりとりを見守っていた。だが、彼の眼鏡の奥の瞳は心なしか輝きを増しているように見えて、縁はその目からも目を逸らしたくなってしまう。
「や、やります!」
言ってしまった。情けない。結局、大人たちの迫力に圧されてしまっただけじゃないか、と思えてくる。自分とは、宇津見縁とはいったい何なのか。こんな縁をどうにかしようという森村の荒療治がずっと続いていくのか、と縁は自分を嘆くばかりだった。
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