~ 第一幕 ~ ○四季丞 円香○
○四季丞 円香○
「最近はさぁ、パワースポットなんつったってどこもネタ切れでしょ? 結局お伊勢さんやら熊野やら、昔からド定番の神社とか霊験スポットとかと、なんも変わりがないじゃん」
「まあ、ね。昔からあるものに違うラベル貼り付けて売り出してみるって感じで、どこの業界でもやってる商法でしょ。誰が仕掛けたのか知らないけど、まあ寿命は短かったよね」
「歴女とか、山ガールだか森ガールだとか、便乗できそうなワードがごろごろ出てる時期だったしね。なんか古いものとか、自然だとか、回帰ブームっていうの? そんな雰囲気かな」
ガラス張りの会議室で、企画のメンバーが思うままに発言をしている。机には自社・他社問わず各社のお出かけ情報雑誌やムックや単行本やらが開いたままに置かれている。開いたページにも、そうでないページにも、大量の付箋紙が貼られていて、結局どこが重要ページなのかが張った本人でなければわからないような状態になっている。
人気ブログなどのWebサイトのプリントもあれば、クリップなどのステーショナリー系の小物も飛散し、混沌を生み出している。各人手元に置いたタンブラーやらマグカップやらがどうにも危なっかしいが、誰も気にする様子はない。
四季丞円香は、他のメンバーがあれこれと発言している中で黙って一人、1mmメンソールを加えながらその様子を見ていた。火はつけていない。この時勢にしてはめずらしく、ここの会議室は喫煙可だったが、それでも煙がNGという子が一人でも側にいる場所では堂々と煙を出すのはためらわれる。
「今はむしろ地元ブームでしょ。いろんな商品が大手の安定した既製品よりも、中小の当たりはずれはあっても個性が見えるものにシフトしてるじゃん。外出もそうだって。テレビでもさ、地元志向強いじゃん? 近所の穴場を紹介する感じのさ」
「切り口を絞ってみるのはどう? 一口にパワースポットって言ってもどんなパワーが得られるか、って場所によっていろいろあるんじゃない? なんでもかんてもカタログっぽく紹介するんじゃなくってさ、何かテーマを絞って深く突っ込んでみるとか」
「パワースポットだけで引っ張るのがそもそも無理あるって。そこの地元のグルメとか、遊びスポットとかと結びつけないと。あとオシャレ! 自然の中でも女の子らしさは忘れない、的な」
「えーそれむしろあざとくない? 今はむしろ本格志向だって。カワイイばっかじゃ見向きされないよ」
「ちょっとアキ、批判はアウト」
今やっているのはブレスト。略さずに言うところのブレインストーミングによるアイディア出しだ。集団でとにかくアイディアを出す。短時間で量を出すのが狙いだ。どんなアイディアでもいい。発言は自由だ。しかし、誰かのアイディアを批判することはルール違反となる。
「エン、エンってば」
「んー?」
社内ではみな、円香のことをそのままの名前で呼ばない。エン、エンと皆がそう呼ぶ。
呼ばれた円香は、口からメンソールを離さずに答える。のどを震わせて唸るだけの声だったが、ハスキーさが印象強い中性的な声音である。
「エンは何かないの?」
ヒロミが円香に呼びかけたことで、会議室の全員の視線が円香に向く。
これだ。いつもこれなのだ。期待の目。
だから発言を避けているというのに。もっとも、皆が口を忙しく動かしている女子ばかりの会議室内で、一人黙ってタバコを加えてむっつりとした表情を浮かべていれば、黙っていたって目立つことくらい容易に想像がつきそうなものだが、円香はそんな自分が目立つ存在である自覚がまるでない。そもそも円香はその風貌が、周囲の同性たちとはずいぶんと違っていた。
いつもスーツはグレー。スカートは絶対に履かず、パンツのみ。細見で、ぶっちゃけてあまり出るところは出ていないし、そういう場所を強調する気はさらさらない。
癖っけの強い髪もそのままにしている。昔はそれがコンプレックスでストパーをかけたりもしていたが、それも学生のうちだけのことで今はもうほったらかしにしてある。メイクも極力やらない。気を付けているのは、不潔にならないようにしておく程度のこと。
これらも、円香からすれば、できる限りありのままにして目立つことをせずにいようという姿勢のつもりなのだが、自分の風貌を気にかけないというのは、女性社会の中にあってはむしろ大いに目立つ。それだけありのままの自分に自信があるのか、と受け取られさえする。
今のこの部署に転属してすぐの頃は、同性のベテランから嫌味もずいぶんと言われた(「元が綺麗だから何もしなくていいってわけ?」)し、マナーができていない(「社会に出るのなら、自分が見られているという意識をもって、自分の姿を整えるのがマナーというものですよ。鏡は見ていますか、云々」)と注意されたこともある。でも、円香はこのやり方を変えなかったし、今も変えていない。結果、それは間違いではなかったと思っている。少なくとも、それが理由で仕事を失うことはなかった。
それより問題なのは、そういうネガティブな反応よりも、
「あのさあ、困ったときだけこっちにふるの、やめようよ」
なぜか円香のそんなところが、同性からは「頼もしい」「カッコいい」とポジティブに受け取られて、何かというとすぐに人から頼られることだ。
「別にそんなつもりじゃなくって、エンの発言がないから、聞いておきたいだけだって。ブレストだよ、ブレスト」
「わたしにこんなことで意見しろったって、無理だっての、わかってるでしょうに」
元々、円香は別の部署でゴシップ系の週刊誌を担当していた。はっきり言って下世話で低俗な話題ばかりの三流紙だった。その手の話題は今やWebやフリーペーパーなどでも大量に手に入り、もはや旧態依然とした紙メディアである週刊誌が存続し続ける理由はない。ましてや大手でもなく、都心に本社を構えているわけでもないここイン・ゲイジ株式会社では、部数が全盛期の半数を割った雑誌を発行している余力などなかった。担当する雑誌がなくなった円香だが、そのままクビにならなかっただけでもイン・ゲイジの中では好待遇と言えた。
今ではこの会社は媒体をWebにシフトした女性向けの情報誌を専門としている。
女性のオシャレだとか流行だとか。そういうものにまるでついていけない円香が得意とするジャンルではない。今はこうして慣れない女子の世界に身を置いているが、いつまでもこんなところでくすぶっている気もない、というのが正直なところだ。
「やっぱ、辞めるか」
状況を無視して、口に出してみる。
「え?」
ヒロミも、アキも、皆がいぶかしげな顔を円香に向ける。
「いや、意見。まとまらない企画なら、辞めるか、って。わたしの意見」
「えー、発展性ないじゃん」
ヒロミがすねる。
「批判はアウト」円香がぴしゃりというが、ヒロミのブーイングは止まらない。
「いや、やめるってありかも」
サツキが言い出しっぺの円香が思いもしなかったことを言い出す。
「だから、ありきたりなパワースポットなんて、もうやめよう、って企画。アンチパワースポット、っていうの。あえて反抗してみるの」
「あ、いいかもそれ。なんか新しい」
「人から紹介されたパワースポットじゃなくて、自分だけの元気が出る場所を探そう、なんてのもいいんじゃない?」
「いい、いい」
言い出した円香を置いてきぼりにして周囲が盛り上がっていく。そんなつもりはなかったが、煮詰まっていたムードに水を差した態度がかえってよい刺激になったというところだろうか。
まあ、結果オーライか。雰囲気がよくなったのを幸いに円香は会議室を出ることにした。どちらにしろ、そろそろ会議の時間も終わる。あとは自分なしでも回るだろう、との判断だ。どのみち円香にはもうこの会社に自分の居場所を見つけられないでいるのだから、どう評価されたって構わない。
○
円香は目の前のモニタを見ながら、その実、そこに映っているものはまったく頭に入ってきていなかった。まだ春もこれからというこの時期に、すでに夏はおろか秋の流行色がどうのこうの、といった話題の記事を書かなければならない。チーフのオーダーに応えて担当しているだけで、円香には何の思い入れもない話題だ。質のよいページになるわけがない。季節ごとの定番の、誰かが作り上げて発信している流行情報を、体裁を整えて載せるだけ。だけ、といいつつ侮っていい仕事ではないことくらい、編集者として賃金を得てやっている以上は心構えとして持っている。それでも、いやだからこそ、いい加減さが表に出てしまうかもしれない仕事をいつまでも続けているわけにはいかない、というのが円香の結論だ。
とにかく、終わらせてしまおう。そう思って気を取り直し、目の焦点をモニタに合わせたところで、会議室から先ほどの面々が各々自分のデスクに戻ってきた。
「あ、ちょっとエン」
ヒロミが、自分の席に着く前に声をかけてきた。
「ありがと。さっきはごめんね。やっぱりエンってすごいよ」
円香も、そう言われて悪い気はしない。
「……うん、そうかな。まあ、さっきはごめん」
気まずさと照れが混じって顔が少々赤くなる。やれやれ、みっともない、と円香は思う。
「あのさ……、ちょっといい?」
ヒロミは、視線と首の振りで、廊下へ出ないか、と円香に言ってくる。その雰囲気から、ヒロミが廊下で何を言いたいのか、なんとなく察しはついた。円香の苦手な話題になりそうだが、断る理由も見つからず、いいよ、と言って席を立った。
○
「エンさ、仕事、辞めるの?」
予想通りの話題に円香は内心溜息をつきたい気分になったが、目の前のヒロミの心配そうな視線は本気なもので、円香は相応と態度で接するしかないとあきらめた。
「なんで? さっき、辞めるなんて言ったから?」
「うん」
ヒロミは泣きそうになっている。
ああ、こういう場面も初めてじゃないなあ、と円香は昔を思い返した。学生のころ、バレー部を辞めたときのことだった。リベロの、小柄で、当時バレーをやっている子にはめずらしく、というのは失礼だが、同じ女である円香が見てもかわいいと思えるタイプの子だった。
そんな回想を円香がしているとは思いもしないだろうヒロミは話を続けている。
「エンがいづらいんだろうなあ、っていうのは、あたしだけじゃなくって、みんな気付いてるんだよ。だけどさ、みんな、どうすればいいのかわからなくって」
「いや、まあ、いいんじゃない? 別にわたしがどんなだって。別にケンカしてるわけじゃないし、ここ職場なんだしさ」
お友達ごっこする場所じゃないんだし、という言葉は飲み込む。今のヒロミには少々刺激が強すぎるかもしれないから。それにヒロミはまだ若い。無邪気だ。先輩・後輩という意識も薄いと円香には感じられる。運動部を経験していないのか、たまたまそういう場所に長くいたのだろうか。
「そうだけど、でも、あの、あたしたち、エンには辞めてほしくない。だって、仲間だって、思うから」
円香は自分の顔を強烈に発熱しているのがわかる。笑ってしまいそうになるのを懸命にこらえる。
「いや、ヒロミさあ……あー、なんだ、その。うん、ちょっと、ごめん。ヒロミの言いたいことはわかった」
「ほんと?」
「わかったから、ちょっと考える時間、くれないかな?」
「……うん」
「続きは、定時の後でもいい?」
「わかった」
「じゃ、仕事に戻ろう」
後ろを向いて廊下から編集室に戻りかけたが、
「エン」
「ん?」
円香は振り返る。
「こういうこと言うの、あたしだって恥ずかしいし、勇気がいるんだよ」
「……そうだね」
すぐに顔を戻して、席に戻った。
ヒロミ、あんたは勇気がある。そのとおりだ。わたしは姑息に逃げているかもしれない。わたしがここにいられない理由は、その違いかもしれないな、とも思った。ヒロミたちばかりを責めてはいられない。しかし自分を悔いる気も、円香にはなかった。
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