009 至福の時間
俺がコンビニの外でタバコを吸っていると駐車場に一台の車が止まった。ゆっくりと開くドアから一人のじいさんが顔を覗かせる。そのじいさんはコンビニに入るでもなく俺のいる灰皿の方へ真っすぐ向かってきた。
おしゃれに顎髭を整え紺のアルペンハットを被った見るからに金持ちそうなじいさんは俺のそばまで来るとシルクの手袋をポケットにしまい、高級そうなライターを取り出した。
タバコを吸うのか、と思ってみていたのだがグレイのスーツのポケットをまさぐりながらも一向にタバコが出てこなかった。
「ああ、タバコを忘れてきてしまったか……」じいさんがぼやく。それを一部始終眺めていた俺はつい、じいさんと目が合ってしまった。
「おお、そこの方。タバコを一本恵んでくれんかの?」
ここはコンビニなんだから買って来いよと思いつつ無視を決め込む。
「ああ、コンビニで買って来いと思っておるんじゃろ? 生憎ワシが吸っとるタバコはコンビニでは売っておらんのじゃ。それに人からもらうタバコはとてもおいしいからの」じいさんはにい、と口角をあげた。じいさんのニカッと笑う口の中はその身なりに似合わずひどくボロボロだ。前歯も二本程ない。
「しかし、タダで吸わせてもらうわけにはいかんしの。……そうじゃ、一つ賭け事をせんか? ワシが勝ったらもちろんもらったタバコ一本でええ。お主が勝ったら……」じいさんはおもむろに駐車場の車を指さした。じいさんが乗ってきた外国産の高級車だ。
「あの車をあげよう」はっきりと、そう口にした。
いきなりの展開に俺も思わず口を開いてしまった。
「本当にあの車をくれるのか?」
「ええ、本当じゃとも」
「……で、勝負の方法は?」
「おお、のってくれるか。……勝負の方法はじゃの……そうじゃな、どちらがより長く一本のタバコを吸ってられるかにしようかの」
随分簡単な勝負事に肩透かしを食らう。でも、俺が勝負に負けてもタバコ一本で済むし、もし勝てれば車をもらえる。ローリスクハイリターンなのは間違いない。俺は勝負をすることにした。
勝負の方法はいたってシンプルだった。お互いタバコを一本口に加え、俺がスタートの合図をしたら相手のタバコに火をつける。うまく着火できなかったら相手が有利になる、というわけだ。また、スマホのタイマー機能を使い三十秒に一度は必ずタバコを吸わなければいけないルールとした。でなければタバコを一度も吸わないほうが火持ちがいいからだ。
俺らは互いにタバコを口に加え、スタートの合図をした。じいさんのライターは火の付きが良く一発で俺のタバコに火種が生まれる。かたや俺の百円ライターは一発で火が付かず、最初はじいさんにリードを許す形となった。
お互い火がついてからは徐々に俺が有利な展開となっていった。スタートのリードで余裕が出来たのかじいさんは俺よりも一度に多くの煙を肺に取り込んでいるようだ。段々と短くなるじいさんのタバコ。遂にじいさんはタバコを灰皿に捨てた。
「いやあ、ギリギリ負けてしまったわい。ちょっと慢心が過ぎたようじゃ。ほれ、あの車のカギじゃ」勝負に負けたじいさんは潔く俺に車のカギを渡した。キーレスのボタンを押し、本物のカギであることを確かめる。
「あれは本当にワシが乗ってきた車じゃよ。それにしても、至福の時間じゃった。ありがとう」
じいさんは金持ちらしく、すぐ迎えの車が来ると言っていた。俺は早速高級車に乗り込み、じいさんに手を振りその場を後にした。
それから数日間、俺は最高に幸せな時間を味わっていた。俺がどんだけ働いても手に入れることが出来ない高級車を精いっぱい愛で、みんなに自慢した。
事態が急変したのはそれから数日後だった。
車は盗難車だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます