003 記憶を消す装置
「遂に……遂に装置が完成したぞ」
ある博士が長年の研究の末、長年の夢である装置を完成させた。ヘルメットの形をした部品から数本のコードが伸び、その先には何やらツマミやスイッチが十個程ついたボックスが一つつながっている。
博士が苦心して作ったこの装置は記憶を消すことが出来る装置なのだ。
記憶を消す、と言っても全ての記憶を消す訳ではない。自分の消したい記憶をピンポイントで消すことが出来るのだ。誰にだって忘れてしまいたい恥ずかしい記憶やなかったことにしたい黒歴史はある。その、起こってしまった事実を消し去ることは出来ないが自分の記憶からそっくり無くすことが出来ればこれ程素晴らしいことはないと博士は考えていた。ふと思い出すほろ苦い記憶から解放されれば、過去の記憶は全て未来の活力になることだろう、と。事実、博士にも思い出したくない記憶は沢山あった。小学校の時教室でおならをしてしまったこと、高校の時女の子にフラれたこと、大学を一浪したこと……事の大小あれど、未だにチクリと痛む記憶であることは間違いない。出来たばかりの装置をゆっくりと眺めながら博士は色々と思案していた。
「どの記憶から消してみようか? 幼稚園の時におしっこを漏らしたことにしようか。それともワシの彼女と親友が浮気していた高校時代の記憶にしようかのう。いや、酒に酔って店を出入り禁止になった記憶も捨てがたい……」
博士は色々と思案した結果、九日前の朝食の記憶を消すことにした。これは特に博士にとって忘れがたい嫌な記憶ではないのだが実験を兼ねてどうでもいい記憶を消してみることにしたのだ。博士は装置の性能に対し絶対の自信を持っていたが研究者の端くれとして万が一ということも考えていた。この装置を使い、記憶が消えなければ消えないで特に問題は発生しない。ただ、仮にも記憶が逆に増幅されたり思いもよらぬ記憶に改変される事態が起きればどうだろう。長い時が経ち、淡いモヤに纏われ輪郭もおぼろげになっていた苦い記憶が昨日のことのように鮮明に思い出されるようになってしまったら……博士は想像し、身震いした。仮にも脳に刺激を与える装置なのだ。ここはまず慎重にいかねば――博士はそう考え、おもむろにヘルメットをかぶった。
「まずは日付と時間を合わせ……起動ボタンを押して、消したい記憶を思い出す、と」
初めての実験だったので博士は操作方法を口に出しながらスイッチボックスをいじり、緑色に光る安定ランプを確認しながら朝食を思い出す。研究室で食べたコンビニのたまごサンドイッチ。変わり映えしないその記憶は博士にとって本当にどうでもいい記憶であった。
三十秒程経つと緑色のランプが消えた。博士はヘルメットを脱ぎ、机の上に置き、つぶやいた。
「遂に……遂に装置が完成したぞ」
そして暫く思案した後、十日前の朝にダイヤルを合わせ、博士は思い出しうる最後の朝食を思い浮かべたのだった。
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