002 呪い

 深夜二時、神社の裏にある大きな木の前に一人の男が立っていた。右手には金づちを持ち、左手には五寸釘の刺さった藁人形を携えたその男は先ほどから数分その場に立ちすくんでいた。木の表面をよく見れば釘で出来たであろう穴が無数にあり、釘からもらい受けた赤錆のせいで傷口から血を滲み出しているようにも見えた。その穴々をじいと見つめていた男は震える左手を上げ藁人形を木に押し付けた。


「部長……お前が悪いんだからな」


 軽く上擦いた声で男は藁人形に話しかけた。数秒間を置き、緊張で乱れた息を整える。ふうふう、と漏らしていた音は次第に鳴りを潜めていく。そして深い深呼吸をした後、大きく金づちを振り上げた。


「死ね!」


 金づちが正確に釘の頭を捉える。細々と聞こえてくる虫の囁きをかき消すように金属を叩きつける音が何度も辺りに響き渡った。



 翌朝、男はいつもよりも早く会社に出社した。昨日の呪いの効果を確認するためだ。対象者の髪の毛を藁人形に入れ、深夜二時に誰にも見つからずご神木に五寸釘で打ち込む――簡単な方法で失敗の余地などないのだが、それでも男は呪いの成功をこの目で確かめずにはいられなかった。というのもこの呪いは、もし失敗でもすれば術者に呪いが跳ね返ってしまうからだ。跳ね返る、と言っても術者のかけた呪いがそのまま戻ってくるわけではない。対象者が抱えている負の感情が降りかかるのだ。部長がどんな妬み辛みを持っているのかは男には分からない。部長が他人を蹴落としたいと思っていれば会社での地位を失う可能性もあるし、若い女を抱きたいと思っていればもしかしたら性犯罪者として落ちぶれる可能性もある。それが、例えば人を殺したいと思っていれば殺人者として犯罪に手を染めてしまう可能性も、逆に誰かから殺される可能性もある。男はうずく頭を掻きながら足早に会社へと向かった。


 会社の玄関に立ち、ズボンのポケットからカギを取り出す。一番早く出社するなど久しくなかった男だがカギは常に持ち歩いている。始業の一時間前なので誰も来ていないはずだ――そう思い鍵穴に差したカギを回すとロックが外れる感触もなくスルリと空転する。誰かが先に来ているようだ。男はそのまま会社に入る。


 自分の机に荷物を置き、事務所内を見渡した。社員は二十人程しかおらずワンフロアに全員の机があるので誰が出社しているかは直ぐにわかる。じい、と見渡しある社員の机に目をやった男は一瞬の間硬直してしまった。――先に来ていたのは部長だった。この場にはいないが机の上に無造作にビジネスバッグが置いてある。機能を停止させたように一瞬静まった心臓が途端激しく脈を打ち始めた。指先まで血が激しく回り、脳に流れる血がドクンドクンと音を立てる。――昨日の呪いは完ぺきだったはずだ! 何で部長が来てるんだ! おかしい――男は受け入れられない現実に激しく動揺し髪を掻きむしった。


 事務所のトイレでは部長が鼻歌を歌っていた。朝一番に出社する彼は必ずトイレの鏡で身だしなみのチェックをする。部長たるものネクタイの曲がりや髭の剃り残しなどあってはならない、鼻毛などもっての他だ――そう思いながら部長は違和感に気付いた。


「あれ? 曲がってるなぁ」


そうつぶやくと部長は頭に手をやり、慣れた手つきでずれていたカツラを調整し始めた。素人目には何が変わったのか分からないが使用者には使用者なりのこだわりがあるのだろう。セットを終えると鏡を見ながらため息まじりにポツリとつぶやいた。


「はぁ、ハゲが誰かに伝染んねぇかな」

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