街の噂~表通り編~
丸尾坂下
001 アラバスターの壺
エジプト旅行中おもしろいものを拾った。アラバスターの古い壺だ。私は椅子に腰かけテーブルに置いた壺を右手に取る。掌に乗るほどの小さな壺でアラバスター特有の縞目がとても美しい。胴の曲線は洋ナシのように滑らかであり、首から口縁へと続くくびれは女性のそれを想像させる。装飾などは全くないが淡い黄味を帯びた静かな色合いが数千年の時を感じさせた。
私は色々な角度からその壺を眺めた後厚手のカウンタークロスで表面を軽く磨くことにした。アラバスターは大変柔らかい石材で細かな傷や汚れが付着しやすいからだ。左手に壺を持ち替え、カウンタークロスをそっと当て表面を優しく撫で始めた。
途端壺の中から白い煙が立ち昇り始める。煙は視界を覆い尽くすほどに膨れ上がったかと思うと見る間に集束し一人の大柄な男に変化した。ターバンを巻き、髭を蓄えたその男の様相はアラビアンナイトのランプの精霊そのものだった。
驚き固まっていた私だったが、目の前の不思議な現象に心を躍らせ始めていた。そんな私を尻目に彼は二、三聞きなれない言語を発した後、私に視線を合わせ声を発した。
「これで言葉は通じるか?」
「あっ、はい」
「私を呼び起こしたのはお前か?」
「えっ、ああ、呼び起こしたっていいますか……壺を磨いていただけで……」流暢な日本語に一瞬動転してしまい、言葉がしどろもどろになってしまう。「あなたは、精霊なんですか?」
「いかにも」精霊は腕を組み、鼻をならしながら答えた。「そうか、私の壺を磨いておったのか。いい心がけだ。礼として一つ願い事を叶えてやろう」
「願い事ですか? 何でもいいんですか?」想像通りの展開に胸が高鳴る。
「まあ、何でもという訳にはいかない。不死や不老など世の摂理に反するような事は不可能だ」
「じゃあ……お金が欲しいです」
「金か? そんなもの朝飯前だ」精霊はそう言うとテーブルの少し上に両手をかざし、呪文らしきものを唱え始めた。時間にして三秒程、テーブルの上にはあっという間にコインの山が出現した。その一つを手に取って見てみる。軽く歪んだ円盤に王らしき人物の横顔が刻まれており、かなり古い時代の鋳造貨幣なのは容易に知れた。恐らくは精霊が知っている時代の貨幣なのだろう。
「いや、違うんです。こういうお金ではないんです」手に取ったコインを山に戻しながら答えた。「今の時代のお金が欲しいんです」
精霊は腕を組みなおし、胸を張りながら鼻をならした。
「ふん。久しぶりの人界だ。確かに文化文明もだいぶ変わっているのだろう。宜しい。現物を見せてくれれば造作もない事だ」言い終わると精霊は右手をコインの山にかざし、二、三言葉を発した。コインは音も立てず煙へと変わった。
私は急いでカバンの中から財布を取り出した。中には数枚の小銭と一万円札が一枚、千円札が三枚入っていた。その中から一万円札を抜き取り精霊に渡す。
「これです。これと同じものをお願いします」
「ふむ、当世のお金はパピルス紙で出来ているのか。それにしても細々たる線描だ。私の時代にはこんなものは存在しなかった」
お札をまじまじと見つめる精霊に私は問いかけた。
「……これと同じものを作れるんですか?」
「ふん。私を甘く見るな。描かれる線の一本、絡み合った繊維の一本まで全く同じものを作ってやるわ」
そう言い切ると精霊はテーブルに手をかざし呪文を唱えた。見る間にテーブル上には大量の一万円札が出現していく。
「すっ、すごいぞ! 精霊! 頼む! もっとだ! もっと出してくれ!」
ああ、これで俺は大金持ちだ――
「で、それが偽札を大量に所持していた理由なのかい?」
向かいに座る刑事がつまらなそうに声を発した。
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