しらたまの手
もうしばらく、優子とも会ってないな。けど、別に会わなくてもいいかな。
兄貴のことを、思い出すからさ。
優子と兄貴とあたしとの時間を、思い出しちゃうからさ。今、あたしは優子の父さんと母さんと暮らしてるんだ。何年か前に、大きな地震があった時、優子が『仕事』でいなかったからさ、母さんがあたしを引っ付かんで、連れてきたんだ。
それ以来、ここにいるんだよ。
優子の父さんと母さんが、るぱんじいちゃんを亡くしたあとだったことも、あるみたいだけど。
じいちゃん、一回会ったことがあったけど。なんかわかんないけど、勝手に怒っててさ。
兄貴に「この、若造が!」って怒鳴ってたから、あたしこっそり、じいちゃんの好物のカツオブシを食べてやった。
じいちゃん相手に「兄貴に何すんだ!」って掴みかかれなかったしね。けど、じいちゃんだから、もうすぐ死んじゃうんだって、あとで思ったらさ。
あたし、酷いことしちゃったなって思ったんだ。
連れてこられたときにはもう、じいちゃんいなくなってた。
じいちゃんがいなくなって、二人とも悲しいかもしれないなって思ったらさ。少しでも喜んでもらいたくて、優子の親父って呼ぶのをやめて、父さんって呼ぶようにしたんだよ。
あたしってさ、なんかいい子じゃないよね。素直になれなくってさ、意地悪とかいたずらしちゃったりさ。そんなこと考えてたらね、あたし、自分のことがどんどん嫌いになっちゃった。そりゃあ、あたしが、「兄貴を寂しくさせないで」ってお願いも叶わないよね。
兄貴……震えてないかな。大丈夫かな。嫌なことされてないかな。早く傍にいって守ってあげたいな。
でもさ、父さんと母さんが優しいから。二人が寂しくないように、もう少しここにいようと思うんだ。兄貴、許してくれるかな。まぁ兄貴なら、きっと許してくれるんだろうな。
あたしと違って、素直で、何よりとっても優しいから。
ついつい、考えちゃうな。兄貴のこと。優子も、兄貴のこと考えたりするのかな。優子、ひとりぼっちって、父さんと母さん言ってたし。
あたしが、『末っ子』ってやつなんだな。優子、気にしないで、あたしの妹か弟になる子を家に連れてきてあげてもいいのに。兄貴のことが大好きで忘れられないのかな。
それとも、あたしが傍にいなくなっちゃったからかな。
そういえば、優子が『保護』ってことしてきた、猫はどうなったかな。最初の子はすぐに新しい家族が見つかったけど。
次に家に来た子は兄弟みたいで『レモン』と『ライム』って呼ばれてたなぁ。三毛でかぎしっぽのあたしより、全身薄い色でむくむくもこもこで長くなりそうなしっぽをしてたから、見た目はよさそうだった。
なんか、やたら手がかかるから仕方なくあたしがお作法を教えてあげたわけよ。そしたら、優子が笑顔で「シナー!助けてくれてありがとうー!」って撫でてぎゅーってしてくれたんだった。そういえば、あの子達も新しい家族のところへ行ったんだった。
あぁ、また考えちゃった。やめやめ。
気晴らしに、父さんのパジャマでもかじろうかな。夢中で、かじかじしてると、気が紛れるんだ。
……あとで、怒られるんだけどね。
☆
なんか、最近ごはんがおいしくないやつに変えられちゃった。健康的なごはん、らしいけど。こんなまずいごはんなんか、食べてらんないよ。はぁ。
あ、知ってた?あたしたち、猫も人間でいう『ため息』ってやつ、するんだよ?ま、そんなことはいいか。
それでね、今度『引っ越し』っていうのするんだって。住むところを変えるんだって。あたし、もう優子の家から、父さんと母さんの家に来たから、『引っ越し』ってやつ、もうしたけど。またするんだね。別にいいけどね。
でもさ。よく聞いたら、とても寒いところに『引っ越し』するんだって。あたしの毛でも大丈夫かなぁ。短いからなぁ。ちょっとだけ、それが心配なんだ。
その寒いところには、何があるんだろうね。
優子も一緒かな。ひとりぼっちは寂しいもんね。
でも、その寒いところに行ったって、きっと父さんか母さんか、優子にくっついていたら、きっと暖かいはずだろうな。
どんなところ、パトロールできるのかな。みんなを守ってあげなきゃね。
まずいごはん、食べさせられなきゃいいな。
おいしいお魚がたべたいな。
☆
優子が久しぶりに家に来たんだよ。あたし、会いたかったけど、会いたくなかったから、ちょっと顔を見に行って。それから、すぐ別の部屋で寝ることにしたんだ。なんか、優子……変だったな。笑ってくれないし。どうしたのかな。ちょっと気になるな。やっぱり気になるから、見に行こう。
優子はあたしが近付くと、あたしの手をそっと握って、笑ってない顔で「シーナのおてては、しーらたま……」となんか変な歌?歌ったの。
あたしのこと触るといつも嬉しそうに笑ってたのに、笑ってくれないの。どうしたの?
優子が帰ったあとで、父さんと母さんが話をしているのを、あたしは近くでそっと聞いてた。優子が『心の病気』だって。なんなの!?それは。
『心の病気』って、なんなのかだれか教えて!だれか……!
あたし、一生懸命叫んでみたけど……父さんにも母さんにも、あたしの言葉はもちろん伝わらないし。だれも、だれも、いないのよ……教えてくれるひと……『心の病気』……まさか、兄貴みたいになったりしないよね?でも、心配で不安になってきた。
でも、あたし、それを詳しく知る前に、急になにも考えれなくなっちゃって、倒れてしまったの。
──あのまずいごはん、ちゃんと食べなかったからかな……
──優子。あたし、優子に笑ってほしいのに……
目が覚めたら、あたし、知らない小さなお部屋にいたの。ここはどこなの?『引っ越し』したの?そしたら、前に見た医者ってやつがね「おはよう」って、あたしを撫でたり、なんか色々見てた。それで気づいたの、病院にいるんだって。
なんか、あっそ。ってどうでもよくなってね、あたしくるんと丸くなって寝ちゃったの。うとうとしてたら、小さなお部屋にいるあたしを、どこを見てるのかわからない目で優子が見てることに気が付いた。
あたしは起きて、うーんって伸びて、優子をもう一回見た。顔はなんともなってないのに、目に涙だけいっぱい!
どうしたの!?優子!なんでそんな顔してるの!?優子のそんな顔、見たことないよ!泣くときは顔がくしゃってなるはずなのに……この顔はどういうこと?
出してちょうだい!いますぐここから、出してちょうだい!
あたしが行かないで誰が行くのよ。誰が優子に寄り添ってあげるの?誰が優子を守ってあげるの?
あたし、兄貴の代わりに、皆の代わりに、優子の傍にいなくちゃいけないんだ!優子!泣かないでよ!
ううん、泣いてもいいよ!すぐ行くから!
兄貴の代わりに、ううん、兄貴たちの代わりに、あたしが傍にいるから!
ちゃんとお薬も飲むよ、まずいごはんもがまんして食べるよ。
なんでもするよ!いたずらもしないから!
だから……だから……
今すぐ出してちょうだいよ!
はやく出してちょうだいよ!
優子が泣いてしまうじゃない!
そのとき、カチャッって扉が空いたのよ。
あたしが、叫び続けるから医者が開けてくれた。
勢いよく飛び出して、優子に抱きついたんだ!
優子!優子!もう大丈夫!
泣いてもいいよ!
あたし、ずっと傍にいるから!
ごめんね、ごめんね。ひとりぼっちにして。
寂しかったよね。
ひとりぼっちは寂しいって知ってたのに。
あたしの、しらたまの手を、
優子の手に乗せるから。
体が小さくても、あたしの体のなかには、優子のお姉さんにお兄さんに、兄貴とじいちゃんがいるからね。
もう泣いても大丈夫!
あたし、兄貴たちの分も、傍にいる!
兄貴たちの分も、優子を守ってあげるから!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます