にんじんの足

 もうどれぐらいかなぁ。

 ママ、元気かなぁ。


 ぼくは今、ペットショップというところにいるよ。

 もうね、昔みたいに小さくなくて、大きくなってきたんだよ。

 だから、ぼくのお部屋はみんなと違って、ちょっと大きい『ケージ』ってやつだよ。『ハンモック』っていうのもついてるよ。


 ぼくより小さな子が、どんどんいなくなる。

 ぼくはなんだか左足がちょっと痛いなぁって、思いながら……人間と嬉しそうにどこかへ行く子たちを、毎日見ていたんだ。


『ハンモック』でお昼寝してたら、じぃーっと人間の女の人が見てたんだ。

 でも、もっと小さい子を君もきっと選ぶんだ。

 ぼくはちょっと女の人を見たけど、すぐにまた丸くなって寝る。


 うとうと……

 急にガシャン!という音がするからびっくりしたよ。ご飯の時間はまだじゃないのかなぁ?むにゃむにゃと起き上がったら、ご飯をくれる人がわしっとぼくを掴んで、抱き上げた。


「この子をお願いします」

「かしこまりました、ではあちらで詳しいお話を……」


 なんだったのかな?なんかお話ししてるけど、まぁいいや。

 ぼくだけのお部屋に戻れたから、『ハンモック』によじよじ。

 ちょこっと毛並みが乱れちゃったから、ペロペロ整えて、またお昼寝。


「おまたせ~お家に帰ろう~!」と女の人が話しかけてきた。

 えっ、今ぼく、お昼寝してたんだよ?

 なんで起こすの?

 さっきから、なんでゆっくりさせてくれないの?


 うとうとしてたから、あんまりよくわかんないうちに、ペットショップってところから、お外に出た。


 暑くもなくて寒くもなくて。

 お外の葉っぱが生き生きしてる感じの日のことだった。


 なんだか知らないところに連れてこられたけど、ここはお家みたい。ドアがいっぱい並んでるなぁ。


「今日から私の家族だよ!」って、女の人は言ったんだ。ちょっと驚いたけど、嬉しかったから、聞いてみたよ。

「君のお名前なんていうの?」ぼくの言葉、ちゃんと伝わったかな?


「私の名前は、優子だよ!」


 ☆


 ぼくの名前は、『ミント』だって。

 お名前で呼ばれるなんて、初めてだよ。嬉しいよ。


 優子ちゃんは今、二十五歳で『お仕事』をしているんだって。


 人間の年齢とか、難しいことはわかんないけど、聞こえるからね。ところどころ、わかるよ。

 優子ちゃんのお姉さんとお兄さんは、猫と犬だったって。人間の兄弟はいないんだって。

 会ってみたかったなぁ。優子ちゃんの、お姉さんとお兄さん。ぼくにも、兄弟っていたのかな……覚えてないや。


 ここのところね、お部屋を歩いていると左足が痛いんだ。なんだろう。

 そういえば、ペットショップというところにいたときも、痛かったなぁ。


 お部屋で左足を庇うように歩いていたら、優子ちゃんがなんか変な顔してる。笑ってないんだよ。そうして、ぼくの左足を優しく触ったけど、ぼくは「痛いっ!」って言っちゃったんだ。

 優子ちゃんはすぐぼくを抱えて、お医者さんという人のところへ連れて行った。


「先天性のものではないですね。脱臼してます」

「えっ!?」

「ちょっと手術が必要ですね、最近の怪我ではないようですし」

「そんな……」

「手術できる病院、ご紹介しますよ」

「お、お願いします!」


 ぼくの左足は怪我をしてたんだって。いつしたのかな、覚えてないや。


 お医者さんのところから帰る途中で、優子ちゃんのパパとママが来て、ぼくを優しく撫でてくれた。

 そして、ペットショップというところに、連れて行ったんだ。


 ぼく……また、ひとりぼっちに……なるの?

 でも、仕方ないよね……ちゃんと歩けないんだもん……

 優子ちゃんがぼくを呼んでも……ゆっくりとしかお傍に行けないんだもん……


 ☆


 店員は感情がないかのように言い放った。

「返品も可能ですよ」


 何言ってるの?この人。

「領収書もお持ちですし、返品も可能です」


 私は、今にもこの店員を殴り倒してやりたいと思った。

 両親がいなかったら、すでに胸ぐらあたりを掴んでいたかもしれない。


「返品はしません。この子の足の治療費を、払ってください」

 落ち着け、落ち着け……いや、自分で返答したものの、「返品」って何よ。ミントはモノじゃない!


「そうですか、ただ当社としても治療費をお支払するということは……」してないってことね。察する。


「この子はもう大事な家族です。お返しはしません。でも、この子の怪我は私が家に連れて帰る前に出来たものです。先天性のものでもないと、診断書をもらってあります!」


 私は、パシンと少し手荒にテーブルに、その書類を置いた。

「少々お待ち下さい」店員は書類を預かり店舗の裏に引っ込んでいった。


 ミントが不安そうに縮こまっている。

 ──大丈夫、大丈夫よ。私がついているわ。


 しばらくすると、店長らしき人物が出て来て、

「この度はご迷惑をお掛けして大変申し訳ございません」と頭を下げた。


 何!?頭下げたって、ミントは返さないわよ!

 でもね!怪我させた責任は、とってもらうわよ!


 私は心のなかで息巻く。


 店長は言った。

「治療費をお支払することは出来かねますので、全額返金させていただきます。あと、お迎えいれを決めていただいた際に、保険に入っていらっしゃるようですので、そちらの手続きのお手伝いをさせてください」


 両親もほっとした顔をした。

「返金の件は、もうどちらでも構わないのですけれど」

「保険のお手続きだけはしっかり手伝いをしていただけるとこちらとしても安心です」


 私にはそんな風に冷静に話できないわ。

 よかった、お父さんとお母さん、来てくれて。


 今も腸が煮えくり返って仕方がない。六ヶ月もこの場所で、家族を待ってたミント。メインクーンという大型猫種だから、数ヵ月で大きくなってしまって、子猫らしさがなかったミント。

 血統書を見たら、名前の欄に『アレキサンダー』って書いてあったけど、どうしても柔らかなクリーム色の毛をしてオドオドしていた様子を見たら、『アレキサンダー』なんて強そうな名前はしっくり来なくて。


 連れて帰った日に、五月の風が爽やかだったから。

 ミントって名前にしたの。


 ミント。絶対にもう寂しい想いはさせないからね。


 ☆


 ぼくは気が付いたら、よくわからないところにいた。ペットショップというところでも、優子ちゃんのお家でもなくて、ちょっと小さなお部屋。


 お隣も見えないけど、他の猫さんとか犬さんとかがいるみたい。お空が暗いから、『夜』なんだな。


 ちょっと伸びをしようかなって思ったら、左足がなにかでぐるぐるまきにされてる!全然動かせない!

 びっくりしてオロオロした。


 でも、誰もいないから……仕方なく中途半端に伸びをしてみて、寝ちゃおうって丸くなったけど。

 左足がぐるぐるまきにされてるから、左足だけピーンとしてしまって、上手に丸くなれなかった。


 それで寝てたら、お外が明るくなって、お医者さんが来て、『学生』って人達も来た。

 ご飯を食べさせてくれた。おいしいな、お腹空いてたんだ!


 そうして一眠りしたらね、『学生』って人がぼくを優しくだっこして、お部屋の外に出してくれたんだよ。

「ミント!!!」

 優子ちゃんだ!優子ちゃん!優子ちゃん!会いたかったよ!上手に動けないから、少ししっぽを振ってみたよ。


 優子ちゃんはぼくを抱き締めてくれて、何度も頬擦りする。ぼくの毛、気持ちいい?ちょっと自慢なんだよ、ふわふわの長めの毛。

 優子ちゃんのパパとママも一緒だ。

「ミント~がんばったね~!」

 って、何度も撫でてくれたんだ。


 そして、三人とも笑ったんだよ。ぼくのぐるぐる巻きになってる左足。


「オレンジの包帯なんて、にんじんみたい~!」


 ぼく、よくわからなかった。


『にんじん』って、なぁに?


 ☆


 何日も何日も、優子ちゃんのお家には帰れなかった。


 でも毎日毎日、優子ちゃんのママが来てくれた。

 優子ちゃんは『お仕事』があるから、毎日は来れないんだって。

 優子ちゃんのパパも毎日じゃないけど来てくれる。


 ぼく、大丈夫だよ。優子ちゃんのママ、とっても優しい。優子ちゃんのパパも、とっても優しい。でもやっぱり『お休み』の日に、優子ちゃんが来てくれるのが、一番嬉しかった。そうしてね、いつもいつも、ぼくは「大丈夫だよ、我慢できるよ」ってしっぽを少し振るんだよ。


 そうしたら、ついに優子ちゃんのお家に帰ることができるようになったんだ!


 いつもはね、優子ちゃんとぼくだけで暮らしてるけどね。お家に帰った日はね、優子ちゃんとぼくと……優子ちゃんのパパとママ。

 みんなでご飯を食べたんだ!


「もう、にんじんの足じゃなくなったね!」

 って、三人とも笑うんだよ。


 まだぼくにはわからないんだ。


『にんじん』って、なぁに?


 今はもう、左足はぜんぜん痛くないよ。


「ミント~?」


 あ、優子ちゃんがぼくを呼んでる!行かなくちゃ!


 トトトトトッ。


 ぼく、もう走れるんだよ。

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