第二章 吸血鬼はネット通販がお好き 6

 東京の寒さは、兄弟の故郷の東北とは質が違う。

 それでも寒さが本格的になってきた頃の身を切るような風の冷たさは、いつもあの身の凍るような恐怖を思い出させるのだ。

「このところ、あの時俺も一緒に吸血鬼になってりゃあこんな心配せずに済んだのにと、夜眠る度に思うよ」

「バカ言うな。そんなことがあったら、二人ともとっくに野垂れ死んでたさ」

「ああ、そうだな。その方が良かった、と言うには俺も年食って色々経験しすぎた」

「ああそうだ。きみさんには俺も世話になったし、それによしあき君だって、立派になったじゃないか。ちゃんとこの長男、リトルリーグでピッチャーになったって嬉しそうに言ってただろ? 俺と一緒に吸血鬼になってたら、そんな幸せも無かったんだぞ。と言うか、そうじゃなきゃ俺が命張った意味がなくなる」

「だからこそ兄貴にも、同じような幸せがあったんじゃないかって思うんだ。自分が幸せであればあるほど、な」

とらの実の弟、とららくが吐く溜め息は、たばこの煙よりも重く、白く、そして軽く、早朝の空に消えた。

 冬の寒さは、あの日を思い出させる。

 この世ならざる妖(あやかし)に、未来を翻弄された、兄と弟の、無力だった子供の姿を。

「オコノギカジロウ、だったか」

 らくは新しいタバコに火をつけ、話題を変えた。

「あれからすぐに良明が調べてくれた。長いこと二課が追ってた特殊詐欺犯だそうだ」

「そうだったのか」

「だが妙だとも言っていた。公安と警備部にも同じ名前でマークされてる奴がいたそうだ。同一人物かどうかは確証がないが、まぁ珍しい名前だからな」

 らくが懐から出したメモ帳には『此木このぎろう』と書かれていた。

「古めかしい字の組み合わせだな」

「記録を遡ると、何十年も前に東欧で同じ名前で行方不明になった日本人がいた。兄貴が見たそいつは、何歳くらいだった」

「多分、三十前後だったと思うが」

「ベルリンの壁崩壊寸前に此木このぎろうは東欧で消息を絶った。そのとき三十歳。それから香港で指名手配されたのが、返還前年の一九九六年だ」

「八九年に三十歳で行方不明になったのが俺が会った此木このぎなら、吸血鬼になって三十年以上か。そんなに強い感じはしなかったが……」

「バックがあるのか、単に故郷に帰ってきただけなのかは調査中だ。吸血鬼が海を渡るのは大仕事だからな。そいつの情報を兄貴に教えたのは、さっきの娘だな。何者だ?」

やみじゆう騎士団、と言ってた。聖十字教会に、そういう会派があるんだとさ。闇だなんて、随分かぶれてるとは思ったが」

こう騎士団やぎんわしばね騎士団なんて邦訳されてる騎士団もいる。俺も初耳だが、調べておく。いや……」

「どうした?」

「調べなくても、そのうち情報の方から呼び出されるかもな。兄貴がうっかり灰になって、『血の刻印』をそのままにしちまったから」

「……あ」

 とららくが言う情報に思い当たるものがあり、顔を顰める。

「何か言ってきてるのか」

「今のところは何も言われてないが、俺がその趣味の悪い首飾りを届けた理由を考えろ。そう遠くないうちに、何か言ってくることは間違いない」

 らくはそう言うと、とらの部屋の窓を見やった。

「必要以上に面倒事を抱え込みたくないなら、あの子とは早めに別れておけ」

「そのつもりだ……って、別れておけとかいうなよ。特別な関係みたいじゃないか」

「彼女は兄貴相手なら普通に話せるんだろ。何か理由がなきゃ、そうはならない」

「俺が吸血鬼だかららしいぞ。いざとなれば殺せばいいからって」

「逆に心配になるな。あんな調子で『吸血鬼を殺す』なんて仕事が務まるのかどうか」

 わずかな時間しか接していないらくでも、同じ感想を抱いたらしい。

「逆にあれが作ったものなら大したもんだ。もしかして、灰になった兄貴を集めたのも?」

「慣れてるんだと」

「金の草鞋わらじ案件かもしれん」

「勘弁しろ。いつから近所に見合いを斡旋するババアみたいなこと言うようになったんだ」

「年取ったからな。若者の行く末に、必要以上に気をまわしちまうんだ」

 らくは二本目のタバコを半分吸ったところで灰皿に収めてしまう。

「チェーンスモーカーの吸い方だぞ。そろそろタバコやめたらどうだ」

「今更やめても大して変わらん」

 らくはそう言って笑った。

「長話しすぎたな。もう夜明けだ。次はもう少しゆっくりな」

「ああ。良明君によろしく」

 らくは身を翻し、軽く手を振ってから朝焼け迫るぞうの街角に消えた。

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