第二章 吸血鬼はネット通販がお好き 7

 とらも、間近に迫る太陽に追われるように部屋に入ると、アイリスが出て行ったままの姿でとらを待っていた。

「お祖父様、怒ってなかった?」

「いいや。大丈夫。また来るってさ」

「そ、そう……できるだけ、次は失礼の無いように頑張るわ」

「次に来るまでうちにいる前提なのかよ」

 一瞬流しそうになったが、一応突っ込む。

「まぁいいや。俺はそろそろ寝る。あと十分で日の出だ」

「ええ、分かったわ……そう言えばユラ、気になってたことが……」

「ああそう言えばアイリス、風呂はもう入ったか?」

「この部屋、棺桶が……え? お風呂? シャワーなら昨夜借りたし言われた通りきちんと掃除もしたけど、どうして?」

「俺が風呂場で寝るからだよ。今日の夜まで風呂使えなくなるから、確認しておかないと」

「は?」

 アイリスは目を丸くする。

「ああ、分かってるだろうけどうち風呂トイレ別だから、トイレの心配はいらないぞ」

「いえ、そうじゃなくて、お風呂で、寝る?」

「俺が灰になったときのメモにも、風呂場に置いておいてくれって書いてあっただろ?」

「あれは部屋や棺桶を、灰で汚さないようにするためじゃなかったの?」

「はぁ? 棺桶?」

「だって、吸血鬼って棺桶で寝るものでしょ?」

 アイリスが尋ねると、とらは小馬鹿にするように肩を竦めて見せた。

「あーなるほど。アイリス、棺桶で寝たことないんだな」

「ある人間の方が少ないわよ」

「あんな寝にくいもんで寝る奴がいるかよ。動かないホトケさんを納めるんだから、寝返り打てる構造じゃないのは分かるだろ? うっかり手でも動かせば簡単に蓋開くしな」

 吸血鬼の口からホトケさんときたものだ。

「棺桶の蓋って開かないようにできているものでしょ」

「誰かが外から閉じてくれればな」

「あ」

「洋風のなんかもっと悪い。日本で買える洋風の棺桶は多分あれ飾りつけのオブジェ用じゃないかと思うんだ。日本じゃ基本的に土葬できないしな。大体は蝶番の所に隙間があるんだ」

 仏式にしろ洋式にしろとらが棺桶で寝た経験があるということもおかしいが、アイリスが一番驚いたのは、

「棺桶ってそんなに簡単に買えるの?」

「最近はネット通販でも買えるぞ。値段もピンキリ」

 買おうと思えば棺桶を簡単に買えるという事実だった。

「で、行きついた結論がこれだ。透けない材質のドアのある窓の無い風呂場で、隙間を布で詰めて、仕上げにドアに遮光カーテン。ちなみにバスタブじゃなくて洗い場の方で寝たほうが多少ゆったりできる。吸血鬼的には、若干ひんやりした空気もいい感じだ」

「想像しただけで体中の関節が砕けそうな寝方ね」

 アイリスの、偽らざる感想だった。

「もう慣れたし、うちの風呂場はこのタイプのマンションにしちゃ広い。むしろこの風呂があったから洗面所が無い不便に目を瞑ってこの部屋に決めたんだ。男の一人暮らしだし」

 とらは言外にアイリスに出て行ってほしい気持ちを込めて男の一人暮らしを強調したが、アイリスは吸血鬼がマンションの風呂場で寝ていることに驚きすぎたのか、全然気が付いていなかった。

「てわけでそろそろ俺は寝る。今日は色々あって本当に疲れた」

 とらはそう言うと、アイリスが泊まった部屋の隣の部屋に入り、ひも付きビニール袋に入った円筒状の柔らかそうなものを取り出してきた。

「何それ。枕?」

「エアマット。アウトドア用の。流石に風呂の床に直接寝たら俺だってしんどい。凄いんだぞ。手で空気が入れられて、水洗いできて、しかも安い。昔は寝袋使ったり、無理やり布団やクッション敷き詰めたりしてたんだが、結局これがトータルで満足度が高いんだ」

「……へぇ」

 吸血鬼のライフハックを聞かされても、アイリスとしてはそうとしか答えられないだろう。

「それじゃあな。あー……あれだ。メシは、あるもの何か適当に食ってくれ」

 本当は、今日中に出ていく準備をしろと言ってやりたかった。

 だが、むらおかの前で言葉が出ずにレジで立ち尽くしていたのに、とらの家族のらくに対しては、必死で自分自身と戦って紅茶を淹れてみせた。

 その心意気に免じて、あと一日、二日くらいは面倒見てやってもいいかと考える吸血鬼の仏心だった。

「ありがとう。おやすみなさい」

「ん……ああ。おやすみ」

 とらが風呂場の扉の向こうに消え、少し厳重に風呂場の扉が閉められ、ついでに施錠される音がする。

 アイリスを警戒しているわけではなく、単純に誤って開くことを警戒してのことだろう。

 入ってすぐに寝るのかと思いきや、シュコシュコと空気を入れる音が聞こえてきた。

 広げたときのサイズ感は分からないが、成人男性が寝ころべるようなエアーマットに手だけで空気を入れるのは結構難儀ではなかろうか。

 結局そのまま三十分くらい空気入れの音を聞いたアイリスは、その音がしなくなってようやくとらが眠りに入ったことを理解する。

「ブッディストの即身仏みたいね」

 即身仏、僧形のの作り方は、生きている僧が即身仏用の穴倉にこもり鐘を叩き続け、その音が聞こえなくなると見事入滅、というなかなかに恐ろしいメソッドだ。

 アイリスもまさか吸血鬼がエアーマットに空気を入れる音を聞きながら、世界の宗教雑学を思い出すことになるとは思わなかった。

「……」

 面倒をかけているのは自覚している。

 今も、きっととらは何か言いたかったはずだが、それを呑み込んでくれた気配がした。

 できるだけ早く、自立できるように身辺を整理しなくては。

 アイリスがそう一人で奮い立ったそのときだった。

「あれ?」

 どこかで、携帯電話のバイブレーションが鳴っている。

 とらの睡眠の妨げになってはいけないと慌てて音の発信源を探ると、借りている部屋にひっかけた修道服から聞こえていた。

「いけない!」

 騎士団の業務用のスリムフォンだ。

 慌てて取り出すと、専用アプリを介してのメッセージを着信していた。

 メッセージの表題は『日本支部着任手続きについて』。

 要するに、やみじゆう騎士団日本支部の『東京駐屯地』に着任の挨拶に行く日取りが決まったのだ。

 送られてきたメッセージを読み進め、日本支部の場所を示す地図が添付されているのを見て、アイリスはほっと胸を撫でおろす。

 もちろん予め場所は指示されていたが、アイリスは既に、支部のあるその建物をその目で見ている。

 知っている場所、しかも事によれば今いるこのとらの家から歩いて行ける場所なのだから、さすがに今度は宇都宮に行ってしまうこともない。

「サンシャイン60。さすがに迷いようはない……わよね」

 アイリスの独り言からは、彼女自身が自分自身を全く信じていないことがまざまざと感じ取れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る