第90話 悩み

「ネルソン伯爵、どうしてそんなところに?」


「シュタイン男爵か。仕事は忙しいのかな?」


「いえ、そうでもないですけど……」


「陛下の取り巻き連中じゃないから、そうでもないのか」


「船の準備ですよね?」


「いい船だろう?」


 翌日、仕事の都合で港に出張したのだが、なぜかそこに大型の砂流船を整備するネルソン伯爵の姿があった。

 パーウッド子爵への引き継ぎ業務は終わったのであろうか?


「彼が、私の言うことなんて聞くわけがないじゃないか。引継ぎは向こうが断ったのさ」


「大丈夫なのですか?」


 船舶管理局の長はとても大変な仕事だ。

 引継ぎを拒否するなんて、パーウッド子爵は……。


「本人がそう言っているので、私からはなんとも言えないな。なにかあっても責任は彼が取るしかないのだから。そんなわけで無役になったのでね。伯爵といえど法衣貴族なので、色々と厳しいから交易をすることにしたのだ」


「そうなのですか?」


 無役になったとはいえ、伯爵が交易?

 しかも自らが。

 普通は、御用商人に任せるのが普通なのだが……。


「無役の法衣貴族なんてのは、要は一年に一度ここに年金を取りに来ればいい。うちは子供も多いので、稼がないといけないのだよ」


 そういえば、ネルソン伯爵には八人の男の子がいたな。

 今、船の整備を何人かで手伝っているようだけど。


「まあ、あのまま船舶管理局長を続けていてもな。潮時だったな。クビにされたようなものだが、命があるだけ幸運だろう」


「ちょっと大げさでは?」


「パーウッド子爵も可哀想に。慕いに慕っている陛下に殺されるかもしれないのにな」


「彼がですか? どうしてです?」


 パーウッド子爵は、初期の頃から陛下に従っていた子飼い中の子飼いだというのに……。

 ネルソン伯爵の後任としてシップランド侵攻作戦の準備を始めるも、失敗の責任を取らされて処刑されるというのか?


「いや、侵攻作戦が成功しても彼の死は避けられないだろうな」


「成功してもですか?」


「今の船腹量で、ウォーターシティーの維持、シップランド侵攻作戦の補給、国民の生活レベルを今のままで保つなんてできるものか。子供にでもわかる話だ。どこかで破綻するから、成功なんてあり得ないんだよ」


 シップランド占領を狙う軍勢への補給と、国威維持のためウォーターシティーは放棄できない。

 つまりパーウッド子爵は、困窮する国民たちに対するスケープゴートとして処罰されるわけか……。


「しかし、そんなことをしたら他の陛下に近い貴族たちが……」


「離れるというのか? それはないな。なぜなら、あいつらはもうすでに大貴族たちと対立状態にあるのだから」


 今さら大貴族たちの派閥に入れてもらうなどできず、私のように中立になることも難しい。

 彼らは、陛下のために働くしかないのか。


「最古参に近いパーウッド子爵が失脚すれば、次は自分の出番だと思う貴族が大半だ。特に、このところ陛下に従うようになった連中はな」


 あの陛下。

 なんという冷酷な男なのであろう。


「パーウッド子爵は陛下が即位した直後、今よりも大貴族たちに抑えられてた頃からの子飼いで、陛下の右腕に等しい存在だったはず……」


「シュタイン男爵、一つ聞いていいか?」


「なんでしょう?」


「貴殿の右腕はどこにある? 私には貴殿の体についているように見えるがな。私も当然そうだ。陛下の右腕も、私には陛下の体についていたように見えたぞ。少なくとも、パーウッド子爵ではないな」


「……」


 それはわかっているが……。

 陛下はこの国を変えたいのであろう。

 それはわかるが、とにかく情がない。

 国の統治に情はいらないという意見もあるが、私は最低限必要だと思っている。

 こんなことなら、ララベル様が女王に即位した方がよかった……言っても仕方のないことか……。


「あの陛下の改革とやらが成功するかはわからんが、私は死にたくないのでね。だから、船舶管理局長を辞めたのだ」


「そこまで読んでいたのですか?」


 この人は……同じ陛下に近しい貴族たちからも、古い大貴族たちからも無視され、中立を標榜している私など比べものにならないほど有能だ。

 残念ながら、私ではネルソン伯爵の足元にも及ばない。


「シュタイン男爵、貴殿は自分の能力を低く見すぎだ。貴殿に一つだけ足りないものがある」


「一つだけですか?」


「そうだ。変わることだ。状況が変われば、これまでのやり方は通用しない。私が船舶管理局長の職に拘っていたら、陛下から死を賜っていたさ。貴殿も今のままの立ち位置を保てば必ず安全だなんて思わないことだな」


 陛下は、私を処分するというのか?


「どちらにも所属しないということには、そういうリスクもあるのだ。誰も助けてくれないので、男爵の爵位と今の役職を子飼いに与えたいと陛下が考えた時……そうなる前に動くことだな。貴殿ならば、環境が変化してもやっていけるだろう。じゃあ、私はこれで」


 ネルソン伯爵は、実はバート王国でもかなり古い方の貴族であった。

 そんな彼だが、自分で手に入れた大型砂流船で本当に交易を始めてしまった。

 しかも、彼の家族や家臣たちも参加しており、名門伯爵家の当主が自ら商売をするなど……と多くの貴族たちや陛下からも笑われるようになった。

 なるほど。

 こうすることで、彼は陛下の猜疑心の標的にならないようにしているのだと。


「ネルソン伯爵の柔軟さが羨ましい」


 私は、彼ほど決断力もない。

 ただ仕事をこなして日々を過ごすのみだ。

 陛下が提案した策に関する仕事や書類も増えていたが、はたして陛下の軍事作戦は成功するのであろうか?

 少なくとも、あと数ヵ月は軍勢を出せそうにないのは事実であったけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る