第89話 ネルソン伯爵
「みなの者、よく聞け! 余はシップランドを攻めることにした! あの地は長年、主君たるバート王国に反抗しており、自分たちのみ貿易の利を独占して多くの民たちを貧困に追いやっている! これは聖戦なのだ!」
突然王城に呼ばれたと思ったら、陛下がシップランド攻めを宣言した。
集まった貴族たちの反応は、陛下に近しい者や彼に引き立てられた者たちは、陛下の決断を英断だと言って褒め讃えている。
陛下に反抗してきた、今もしている大物貴族たちはなんとも言えない表情を浮かべていた。
表立って反対したいのであろうが、それをすると陛下のシンパたちによって袋叩きにされるのがわかっているからだ。
「陛下、船のあてはあるのでしょうか?」
その中で、陛下にも近しくなく、大物貴族たちにも組していないネルソン伯爵が陛下に声をあげた。
彼は、貴族だからという理由のみでどんな無能でも高い地位を得られるこの国において、派閥を作らず、陛下にも媚びず、孤高を貫きながら砂流船の確保、建造、運航に関する仕事を取り扱う『船舶管理局』の長をしている。
この世界において、砂流船を用いた流通網は人間の血管のようなものだ。
貴族の領地だろうが、直轄地だろうが、独立都市だろうが。
船が来なければ生活が成り立たない。
水が出て農・畜産生産量があれば、鎖国状態でも最低限の暮らしはできるが、砂流船が運ぶ物資がなければ、かなり原始的な暮らしを強いられることになる。
シップランドのように多くの住民を抱える都市では、そのオアシスのみの食料生産量では全住民を養えないような所も多い。
砂流船の定期運航がなければ餓死者が出る領地や都市もあるのに、ここでシップランドを攻めるという陛下。
ネルソン伯爵が反対して当たり前であった。
それに、シップランドは建前上はバート王国に従属している。
かの地を治めるシップランド家は子爵の爵位を持っていた。
そこを攻めるとなれば、それなりの大義名分も必要なのだが……。
「反対だというのか? ネルソン伯爵」
「はい」
誰に憚ることなくシップランド攻めを反対だと断言するネルソン伯爵。
謁見の間に集まった貴族たちが騒然としてきた。
「ネルソン伯爵! 王国の臣である貴殿が、陛下の命令に逆らうというのですか?」
「これは、陛下に……いやバート王国に対する反逆ですぞ!」
「反対ならば、砂流船を管理する船舶管理局長を辞めればいいのだ! シップランド攻めの聖戦を妨害するなど、バート王国貴族として決して許されないことなのだから」
陛下に取り立てられた連中が、一斉にネルソン伯爵を非難し始めた。
彼らは、既得権益を持つ大貴族たちに対抗する政治勢力として陛下が作り上げたものだ。
ゆえに、陛下の方策に反対などと口が裂けても言えない。
もしそれを言えば、仲間たちに袋叩きにされて派閥内での地位を落としてしまうからだ。
そんな彼らは、自分たちの派閥に属さない貴族に容赦なかった。
大貴族たちは攻撃されても、同じ派閥の仲間がいるから対抗はできる。
こうなると、能力のみで船舶管理局長の地位にあり、孤高を貫くネルソン伯爵は不利だな。
彼を追い落とし、自分こそが次の船舶管理局長だ、と考える者たちも多いからだ。
「そうだな。攻めるにしても、船腹量の確保という大切な問題もある」
「この前のウォーターシティー攻め。あの小規模な出兵でも、補給の負担が大きかった」
「シップランドを攻めるために、各オアシス間の輸送量が減れば、最悪餓死者を出しかねないのだから」
陛下の対抗勢力である大貴族たちも、今回ばかりは仲間ではないはずのネルソン伯爵を庇った。
それもそうであろう。
もし彼以外の人物が次の船舶管理局長になり、その結果砂流船の運航に支障が出た場合、大貴族たちも大きなダメージを受けるからだ。
船舶管理局長を追い落とすなどあり得ない。
手を出さなければ、ネルソン伯爵も真面目に船舶管理局長の仕事をこなす。
そういう暗黙のルールがあったからだ。
今、陛下とそのシンパたちがそれを破ろうとしているのだけど……。
「陛下、お尋ねしたきことがあります」
「聞こう」
陛下はああ見えて気が短いし、自分の方針に逆らう者が大嫌いだ。
それでも一度は話を聞く器量ある王様というフリをしなければならないと思っている節があるようで、ネルソン伯爵にシップランド出兵に反対する理由を尋ねた。
「ご歴々の仰るとおりでして、ウォーターシティーの占領が負担なのです。あそこは赤字ばかり垂れ流しますからな」
「っ!」
またも、貴族たちの間に戦慄が走った。
陛下の肝いりで行われた、突然枯れてしまった中央海の真ん中にあるウォーターシティーの占領。
海が枯れた中継港都市を占領する意味は、経済的に言えば皆無である。
むしろ、統治コストを考えれば大赤字だ。
実際、バート王国が陛下の命令で占領したウォーターシティーだが、その維持コストを考えると大幅な赤字であった。
枯れた海の真ん中にある都市を占領・統治するためには、外部から多くの食料や物資を補給しなければらない。
中央海が枯れる前は、中継港の利点を生かして各国から輸入すればよかった。
輸入するものを一ヵ国に偏らせなければ、各国が勝手に牽制し合ってウォーターシティーの安全も確保できる。
ところが海が枯れてしまった現在、ウォーターシティーは五百名ほどの警備兵たちが占領・維持しているだけのお飾りと成り果てた。
住民たちはすべて逃げ出しており、これまで繁栄していた中継港湾都市なので建造物やインフラは豪華なのだが、それも船が沢山来てこそ維持できる代物。
交易もできず、住民はすべて逃げ出し、最後にウォーターシティーほどの大都市を占領すれば得られる戦利品もほぼ皆無だった。
逃げ出した住民がすべて持ち出すなんて物理的に不可能なはずで、その報告を聞いた陛下は攻略軍指揮官のネコババを疑ったそうだが、調査したら穀物一袋すら残っていなかったそうだ。
不思議なこともあるが、戦利品がないのも事実。
攻略に参加した兵たちへの褒美も王国負担となり、一度占領したウォーターシティーを赤字だからと手放すこともできず……なぜなら自国の領地が広がったからであり、そのことでバート王国の平民たちは陛下を支持していたからだ。
その前に増税があったのだが……領地が広がったので、そのうち減税があるかも?と思っている。
大きな港と、豪華な建造物のみが残るウォーターシティーに移住する者など皆無で、かといって今さら放棄もできず、警備隊が常駐すれば補給で大きな負担がある。
屯田兵みたいなことをさせており、水源はあるが、人はパンと水のみで生きるにあらずだ。
駐屯する兵士たちは家族の元にも戻れず、孤立した島でインフラや家屋を維持しながら農作業をしなければならない。
酒などの嗜好品は、多めに供給しなければならないだろう。
そして、それらの品は海が枯れたので船では運べない。
海が枯れた場所に砂はないので、砂流船も使えず、なんとラクダで運ぶそうだ。
中央海に面していたバート王国の港町リススから、ウォーターシティーまで凡そ三百キロをラクダで運ぶ。
輸送コストを考えると眩暈がしてくるが、まさかウォーターシティーを放棄するわけにいかない。
増税までして占領した都市なので、これを放棄すれば大赤字を作ったという事実しか残らないからだ。
リスス自体が漁業と海運業が壊滅して不景気の真っ最中なので、彼らに仕事を与えるという意味もあった。
そんなことがあり、最近とくに負担が大きいネルソン伯爵としては、シップランド占領作戦などふざけるなと言いたいわけだ。
「中央海の海運がなくなり、各国との交易をすべて砂流船に切り替える仕事で私は目が回るような忙しさです。加えて、ただ多額の国家予算を垂れ流すシップランドの維持と、採算性のクソもないラクダ輸送便の構築。陛下は、この国を破産させるつもりですか?」
ネルソン伯爵は……これはもう、完全に陛下に喧嘩を売っているな。
同じくどちらの派閥からも無視されている身だが、私にはネルソン伯爵ほどの度胸はない。
羨ましい限りだ。
「ネルソン伯爵! 貴殿は陛下の方針に逆らうというのですか?」
「無礼な!」
「お前など、すぐに斬れるのだぞ!」
途端に騒ぎ始める陛下に忠実な貴族たち。
彼らは、既得権益を持ち王権を制限してきた大貴族たちの派閥に対抗するため、陛下自らが抜擢し、これを重用してきた。
ゆえに彼らは、陛下が間違ったことをしても止められない。
もしネルソン伯爵と意見を共にすれば、同じ派閥の仲間たちに潰されてしまうからだ。
国威は増し、民衆の支持は多かったウォーターシティー占領以降、うだつの上がらない貴族たちは陛下に抜擢されようと、彼に媚びる者たちが増えてきた。
彼らと首を挿げ替えられては堪らないので、陛下の方針に異を唱えられないというわけだ。
「シップランドを占領すれば、中継貿易の利を独占できるではないか」
「独占できても、得られる利は大幅に減りますけどね。シップランドの特殊性を陛下はご存じないのですか?」
シップランドが中継貿易地として栄えているのは、そこを支配するシップランド子爵家が名ばかり王国貴族で、その実態は独立領主だからだ。
いまだ南西部には王国に属していないオアシスの主たちも多く、彼らはシップランド経由なら王国から『臣下に入れ』と言われずに済むから、シップランドを利用している。
もしシップランドが完全に王国の影響下に入ってしまえば、彼ら独立領主たちは、利用すれば臣下になることを強制されるであろうシップランドを利用しなくなる。
新しい中継貿易地……オールドタウンか?
いやしかし、バート王国の次の攻略目標がオールドタウンなのは誰が見てもあきらかだ。
中継貿易地が南西に移動するだけだな。
シップランドが中継貿易地なのは、立地条件もなくもないが、一番大切なのはシップランドを支配しているシップランド子爵家と、その親戚でシップランド一の豪商ガルシア商会のおかげなのだから。
「腹立たしい現実ではありますが、シップランドを王国が直接支配する利などないのです。むしろマイナスになってしまいます」
『あんたは、そんなことも知らなかったのか?』と、ネルソン伯爵の目が語っていた。
「利はある! 今こそ、バート王国は自称するすべての領地を完全に支配し、他国よりも一歩先に出るのだ!」
バート王国のみならず、他国も自称領土の半分も実際には支配していない。
大半が砂漠で、そこに点在する小さなオアシスを統治する貴族たちを全員家臣にするなど不可能だからだ。
オールドタウンやウォーターシティーみたいに、商人たちが自治を行う統治形態もあって、これを王政国家に組み込むのは難しく……要は放置されているのだ。
利益はともかく、国威で言えば、バート王国はすでにウォーターシティーを占領して支配領域を広げている。
元は海の底で、塩辛い岩場ばかりの土地の支配権があってもなんになるという指摘は、とりあえず無視するにしてもだ。
これに加えて、シップランドも完全に支配下に置く……なにも知らない平民たちは喜びそうだ。
商人たちは、一部の政商を除いて頭を抱えるだろうけど。
「シップランドを攻めるとして、ならばウォーターシティーを放棄するのですか?」
「するわけがない! 我が国が得た土地だぞ!」
「しかしながら、ウォーターシティーを維持しながら、シップランドを攻め落とせる戦力を送り、同時に国内の流通と交通も維持しなければならない。まず不可能ですよ」
どう考えても船腹量が足りない。
大軍を遠征に出して補給を維持しつつ、国民たちの生活レベルを落とさず、陸の孤島ウォーターシティーを維持する。
まず無理だな……。
「無理だと?」
「どう計算しても無理です」
「商人たちから船と魔法箱を徴収し、それで補給船団を組織する。シップランドを完全に占領するまでは贅沢は敵だ! シップランドが落ちたら元に戻せばいい。戦時なのだ! 今は!」
「それはまた、随分と平民たちにご無体な策ですな」
「シップランドが落ちれば、自然と景気もよくなって平民たちの不満も消えるさ」
「それで次はオールドタウンですか? キリがありませんな。また平民たちに困窮を強いますか?」
「(おいおい、ネルソン伯爵……)」
普段は彼を無視しているはずの、大物貴族の一人がそっと小声で釘を刺した。
いくら陛下の方策が間違っていようと、これ以上の諌言は命を落とすと。
これが、大物貴族たちの駄目なところなのだ。
一緒に反対するくらいすればいいのに、結局陛下に押されてしまう。
そして、陛下の成果から利権なりポストを奪おうと画策する。
そういうところが平民たちに嫌われているというのに……。
なにもできない私が、他人のことは言えないか。
「ほほう、ネルソン伯爵は船舶管理局長の任に耐えられないというのか」
正論を述べた家臣を斬るのは、さすがの陛下も躊躇われたようだ。
暗に、船舶管理局長の辞職を促してきた。
「私には、陛下の策を実行できる能力はありませんな。新しい船舶管理局長ならわかりませんが」
「よかろう。ご苦労であった。パーウッド子爵!」
「はっ!」
「次の船舶管理局長に命じる。わかっておるな?」
「はい! 必ずや任を果たしてご覧に入れましょう。お任せください」
ネルソン伯爵は船舶管理局長の職を辞し、代わりに陛下が気に入っているパーウッド子爵がその後継となった。
彼がその任をまっとうできることを祈り……ネルソン伯爵が無理と言えば無理なのだが、若いというのは素晴らしいことだな。
それでも、シップランドが落とせればまだ……。
失敗する可能性もあるのだが、陛下と彼の支持者たちはそれについては考えていないのであろう。
この国はおかしくなりつつある。
先に逃げ出したサンダー少佐の方が正しかったのかもしれないな。
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