第68話
アンノウンが待ち構えていると想定して踏み込んだアレックさんを襲ったのは、やけに粗末な矢が一本きりだった。
放ったのは単なるゴブリンアーチャー。
弓矢をそれなりに使えるという以外は、普通のゴブリンと大して変わりない。
特に避けるでもなく腕のガントレットで矢を弾いたアレックさん。
次の瞬間、ゴブリンアーチャーの首は宙に舞っていた。
ボクが気付いた時には、既にサラ師範が剣を振り切っていたから、とんでもない速度でそれが行われたことだけは確かだ。
こうも距離が近いと、まだまだ眼で追いきれていない。
同じ速さでも、もう少し距離が有ればアリシア師範やサラ師範の動きさえ、かなり眼で追えていたのだから、以前のボクよりは確実にマシになっているのは間違いないんだろうけど。
「……妙だね。今さらゴブリンアーチャーが一体だけ?」
アネットさんが訝しがるのも無理はない。
ここにボク達のターゲットが居るのなら『建物』に入る時にどうしても生じる隙を、アンノウンが狙わないハズは無いのだ。
つまり……
「アネットさん、急いで中を調べましょう。もしかしたら逃げられたかもしれません」
「私達がここに来るのを読まれてたってこと?」
「いや、そうとも限りませんけどね。ボク達の排除した大群は例の異常個体への援軍では無く、最初から本命を逃がすための足止めだった可能性は有ります」
「坊主、そりゃマジかよ? いや、いい。かなり有り得そうな話だ。アレック!」
「分かってるよ、セルジオ。サラさん、急ごう」
アレックさんには悪いが改めて盾の役割を徹底してもらい、サラ師範とセルジオさんがそれに続く形で、どんどん『建物』の中を捜索していく。
後方の警戒はボクとアネットさんがセルジオさんの代わりに行い、ブリジットにはマリアとミオさんを護衛してもらっている。
野生の鹿や猪のモノと思われる骨や、何に使うのかも分からないようなガラクタは見付かったものの、ターゲットの姿は無い。
内部はやはり既に、もぬけの殻だった。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」
「アレ、何だろう?」
「どれのこと?」
「あそこ、ちょっと黒ずんでない?」
マリアが見付けたのは床面の、ほんの僅かな変色だった。
全てが内臓のような色合いだからこそ多少は目につくけど、普通なら見逃していてもおかしくない些細な違いだ。
「マリアちゃん、ナイス! セルジオ、お願い」
「おう!」
セルジオさんは腰から下げていた袋から、ブラシを二本と灰色がかった小石を取り出し、まず指先で小石を粉砕。
そうしてパラパラと床面に落ちた粉末を大きい方のブラシで、マリアが見付けた変色部に丹念に広げていく。
それから小さい方のブラシで広げた粉末を掃いたり、また戻したりしている。
それが何らかの基準の下で行われている作業なのは恐らく間違いないと思うんだけど、どんな基準なのかまではボクじゃ分からない。
アネットさん達はセルジオさんを信頼しきっているような表情で見守っているし、サラ師範とマリアは興味津々といった顔で見詰めている。
ブリジットはあまり作業内容に興味が無いのか、それとも全員の視線がセルジオさんの手元に集中することを危険だと判断したのか、背を向けて今ボク達が通ってきたばかりの方向を見ていた。
「……有ったぜ。マリアの嬢ちゃん、よく見付けたな」
セルジオさんに誉められたマリアは嬉しそうにしている。
初対面(エルを逃がした時……)の印象が最悪だった割には、この二人は今やすっかり打ち解けていた。
何故か相性が良いみたいだ。
「多分、隠し通路か階段だと思う。罠は仕掛けられてないみてぇだな。アネット、このままこじ開けて良いか?」
「もちろん」
「了解。ちっと待ってろよ…………うし、開いたぜ」
「階段かぁ。岩を削って造られたみたいだけど、まだあんまりアンノウンの色に染まってないね」
「また僕が先頭で降りるかい?」
「そうだね。アレックが先頭。サラは引き続きアレックの支援を。セルジオはその後ろ。ジャン君、マリアちゃん、それからミオは、セルジオと充分に距離を開けて追随。私とブリジットちゃんが、念のためこの場で待機。ジャン君、何か有ったら大声で呼んで」
それぞれに了承の声を上げながら行動を開始したボク達は、しかしすぐにアネットさんを呼ぶことになった。
「坊主、こりゃどういうこった?」
「いや、ボクに聞かれても……」
長い階段を降りた先には水が満ちていて、これ以上は進めそうに無かったのだ。
アネットさんとブリジットが来た代わりに、サラ師範とミオさんは隠し階段の入り口を確保すべく引き返している。
これが罠である可能性は極めて低いハズだけど、安全確保には念を入れるべきだろう。
全員で地下に降りた瞬間に閉じ込められては堪らないし、そこにもし目の前の水がせり上がって来たら溺れ死んでしまうだろうし……。
「ゴブリンって泳げたっけ?」
「いや、ここらのは泳げねぇハズだけどな」
「そうですね。この付近のゴブリンは、厳密に言えばグラスゴブリンという種類だったと思います。水浴びぐらいならともかく、水の中で行動するのは不得意なハズです」
「草原ゴブリン……ね。いかにも泳ぎなんてしなさそうな名前だこと。それじゃ、思わせぶりな階段だったのに空振りかな?」
「いや、それはねぇな」
「どうして?」
「カールの旦那のガーゴイル。アレの破片だ。連中の身体のどっかにくっついてたんだろ」
良く見れば、セルジオさんの言う通りガラス質の黒い石の小さな破片が、水面に幾つか浮いている。
さすがにこの特徴は見間違うワケも無い。
わざわざ捨てに来たんで無ければ、ヤツらが通過した何よりの証拠のハズだ。
「ゴブリンシャーマンの仕業じゃないでしょうか? たしか精霊魔法には、水中呼吸の魔法が有りましたよね?」
「なるほど……って言いたいところだけど、ジャン君。多分それは無いと思う。水中呼吸の魔法って実はかなり難度が高い魔法なの。少なくとも私は使えない」
「ハーフエルフのアネットさんに無理なら、ゴブリンシャーマン程度には使えるワケは無いってことですね。たとえ泳げなくても、水中を歩くことならゴブリンにも可能だと思ったんですけど」
「なぁ、アネット」
「何? アレック。何か思い付いたなら言ってみて」
「アンノウンならどうだろう? 連中の世界の魔法は僕らの世界のそれとは全くの別モノだろ?」
「そっか。たしかにそうだね。可能性としては低くないと思う。セルジオ、悪いけどサラを呼んで来て。サラなら水中呼吸の魔法を、アリシア師範から習っているかもしれない」
「おう、ちっと待ってな」
すぐに駆け出していくセルジオさん。
「もしサラが使えなかったら追跡は諦めるしか無さそうだね。実は私も泳げないしさ」
「奇遇だね。僕もあんまり泳げないよ」
「……私も無理です」
「実は私もあんまり」
見事に皆、泳げないのか。
これじゃあ、ゴブリンを笑えないな。
「ん? ジャン君は泳げるの?」
もちろん答えは決まっている。
「いえ、全く泳げません」
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