第63話

 しばらくは二人ずつ並んで歩けるぐらい広い所を進んでいたボク達だったが、次第に道の起伏が激しくなってきた。

 今までは湿った岩の部分が多かった地面も、だんだんと土……というか泥に覆われた場所が増えてきている。

 それがかえって滑りやすさを助長していて、ボク達の進むペースは僅かに遅くなりはじめていた。

 たまにゴブリンの残した足跡が残っているから、ここをヤツらが通っていたのは間違いないのだと思う。

 よく人族の子供程度と言われるゴブリンの身体能力だが、持久力や身の軽さではゴブリンの方が優れている気がしてならない。

 ボクがゴブリンぐらいの背丈だった頃にここの洞窟内で活動出来たかと言われると、かなり自信が無いし……。


「……行き止まり?」


 ボクの隣を進んでいたブリジットが疑問の声をあげた。

 確かに目の前には無機質な岩肌が水に濡れて光源の魔法から発せられる光を反射していて、これ以上は進めないように見える。


「いや、多分ここが例の第二の難所だと思うよ。ほら……」

「うわ、ここを登るの? ほとんど垂直じゃないか」

「想像してた以上だね。ま、ここはボクに任せてよ」

「いくらお兄ちゃんでも、これは大変じゃない?」


 マリアも上を見上げて絶句していた。

 カール先生はボクの言葉を聞くと、すぐに微笑を浮かべて頷いている。

 当のカール先生から習った魔法を使うつもりなのだから、それも当たり前かもしれないけど。

 その魔法とは他でもない。

 浮遊の魔法のことだ。

 浮遊の魔法を初めて見るマリアとブリジットは、ボクの身体がほんの僅かに浮かび上がったのを見て、素直に驚いている。


「まだ教わりたてだけどね。これで、もし途中で滑って落ちても大丈夫。二人にも同じ魔法を掛けるから、安心して良いよ」

「あれ? ジャン君、ボクには掛けてくれないの?」

「先生はご自身でお願いします。保有魔力量で言えば、それこそドラゴンとゴブリンぐらい違うんですから」

「それはちょっと買いかぶり過ぎだよ。まぁ、さすがに今はまだ、ジャン君よりボクの方が魔力が多いのは事実だね。ボクは自分で魔法を使うから気にしなくて良いよ」


 そう言うなり、あっという間に自前で同じ魔法を掛けるカール先生。

 カール先生の身体能力なら、そもそも浮遊の魔法なんか掛けなくても登れる気がするけど、マリアやブリジットに変な気を使わせたくないのかもしれない。


「じゃあ、最初はボクが登るよ」


 滑りやすい壁面に取り付き、両手両足を駆使してどうにか最初の一番キツそうな部分を登る。

 いくらか登ると、ギリギリ向かい側の壁面にも足が届くようになった。

 ここからは滑落しないように注意しながら、壁と壁との間に自分を挟むような形で登っていく。

 徐々にその間隔は狭くなっていき、登ること自体は楽になったけれど、今度はその狭さのせいで身体の向きを何度も変えながら登る必要に迫られる。

 またブリジットが大変かもしれないけど、最初はむしろマリアの方が苦戦しそうだ。


 それなりに苦労しながら登っていたボクだったが、不意に猛烈な嫌な予感に襲われた。

 この感覚は、アレックさんがダンジョンで待ち構えていたアンノウンに奇襲されそうになった時に感じたものに酷似している。

 すぐに視線を上に向けると、今まさにゴブリンが粗末な弓に矢をつがえてボクを狙っているところで……慌てて使い慣れた水弾の魔法を放ち、ギリギリのところで先にゴブリンの顔面に魔法を命中させることが出来た。

 仰向けに倒れていくゴブリン。

 さらなる奇襲を警戒したが、結局そのゴブリンがドサリと地面に倒れる音がした以外は、何も起こらなかった。

 再び登り始めたボクは、ほどなく崖を登りきることに成功。

 ホッと一息といったところだ。


 ……今のは本当に危なかった。

 もし勘が働かなかったら、当たりどころによっては命を落としていたかもしれない。

 急所は外れていたとしても、滑落は避けられなかっただろうし、あのタイミングで気付けたのは本当に運が良かったと思う。

 それに、ゴブリンが一体しか居なかったのも幸いした。

 さすがに両手両足がろくに使えない状態で、一度に大量のゴブリンを相手にすることは出来ない。

 もちろん剣で立ち向かうのは不可能だし、魔法も範囲攻撃魔法は発動までの時間が長いから、単体攻撃魔法に頼ることになるが、今のボクでは同時に撃てる魔法は、どんなに頑張っても三発が限度だ。

 現れたゴブリン全てに対処しきる前に攻撃を受けるか、登り直すことを覚悟のうえで敢えて自分から飛び降りるかしかなかったと思う。


「ジャン君、大丈夫?」

「カール先生! あ……飛行の魔法ですね。大丈夫です」

「いきなり魔法を撃つから、慌てて飛んで来たんだよ。ゴブリンかい?」

「はい。危うく弓で射られるところでしたが、ギリギリ対処が間に合いました」

「そっか、無事で何よりだよ。ん? それは何だい?」

「え?」

「ジャン君が、お尻の下に敷いてるソレだよ」


 間抜けなことに、カール先生に指摘されて初めてボクが何かの上に乗っていることに気付いた。

 気が動転していたにしても、笑えないザマだ。

 これは……ロープ?

 いや、いつかカルロスが作ったモノとは比較にもならない雑な造りだけど、どうやら縄ばしごのようだ。


「縄ばしごみたいだね。なるほど……さすがのゴブリンも、ここは登れないか。昔、ここを調査した冒険者が置き忘れたのかな?」

「そうかもしれませんが……それにしては新しいような気がします。造りも職人が作成したものとは思えませんし」

「どれどれ? あ、確かにコレは粗悪品だね。それでもゴブリンがコレを造ったとなると、最上級品って扱いになるだろうけどさ」

「せっかくだから、使わせてもらいましょうか。二人が登るのを助けるには充分ですし」

「まぁ、そうだね」


 縄ばしごを垂らし、しばらく待つと最初に登って来たのは意外なことにマリアだった。

 手を貸して引っ張りあげてやると、嬉しそうに笑う。


「お兄ちゃん、ありがと。縄ばしごなんて持って来てたんだね。まさかコレ、自分で作ったの?」

「いや、ゴブリン達が使ってたヤツみたいだ。ブリジットが先に登って来るかと思ったけど、マリアが先だったんだな」

「ブリジットは、ほら……つっかえちゃうかもしれないからって。もし、そうなると私だけ下で待つことになるしさ」

「あ、そっか。確かにすごく狭いところが有ったもんな」

「あとは一応、念のため。お兄ちゃん、その様子だと、ケガはしてないんだよね?」

「うん、何とかね。もしかして、それを心配して先にマリアが来たのか?」

「まぁね。心配して損しちゃった。でも私より先にお兄ちゃんがケガしてるかもって慌ててたのはブリジットなんだよ。早く行ってやれって、そりゃもう大騒ぎだったんだから」

「そっか、それはブリジットにもマリアにも悪いことをしたね。ありがとう。心配してくれて」

「ううん。お兄ちゃんが無事で良かったよ」


 そんな話をしている間に、ブリジットも登って来た。

 ボクと目が合うと、どうやら安心したみたいで表情をゆるめる。

 

「ジャン、良かった。怪我はして無いみたいだね」

「うん、大丈夫。ゴブリンが待ち構えてたけど、たった一体だったし」

「そっか。ん? たった一体? 何で?」

「何でだろうね。奇襲が目的なら、もっとたくさん居てもおかしくない場所だから、もしかしたら見張りだったのかもしれない」

「見張り? 何の?」

「縄ばしごかな。コレ、実は前からゴブリン達が使ってたヤツみたいなんだ」

「そうなると連中は、私達が追ってくるのを想定してなかったことになるかもね」

「うん、それはボクも思ってた。やけに不用心だよね」

「さんざん足を引っ張ってる私が言えた義理じゃないけど、ちょっとペースを上げてみる? もしかしたら、油断してるかもしれない。幸い私も今日は革鎧だしさ」

「逆に奇襲するチャンスってワケか。カール先生、どう思われます?」

「昼間は連中にとっての真夜中だしね。アジトに帰って来た安心感から油断しきっているとすれば、グースカ寝てる連中も多いかもしれないよ。悪い考えじゃないと思う。キミ達さえ良ければ、ボクもペースアップすることに異論は無いよ」

「よし、それじゃあ少しペースを上げてみます。マリア、疲れてない?」

「うん、まだ平気」

「それじゃあ決まりだね。ジャン、急ごう」


 再び進み始めたボク達。

 もちろん警戒はしながらだけど、可能な限り足を早める。


 ◆


 何度も待ち伏せに向いていそうな場所を通ったのに、ゴブリンの奇襲は一度も無かった。

 代わりにボク達の前に立ちはだかったのは、自然に形成されたであろう難所の数々。

 苦労しながらそれらを乗り越えたボク達はついに、狭い洞窟を踏破し地底湖前に広がるスペースを目にすることになる。


 そこには…………

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