第54話

 ゴブリンというモンスターは弱い。


 誰もがそう思っているし、実際そんなに強いモンスターじゃないことも事実だ。

 背丈は人族でいえば十歳ぐらいの子供とあまり変わらず、したがって腕力や体力もそこまで脅威にならないレベル。

 知能もそれほど高いとは言えない。

 しかし、実際にゴブリンに遭遇しヤツらと戦ったことの有る人なら、誰もが最初は必ず感じるのが『怖い』とか『恐ろしい』といった感想だと思う。

 それはそうだろう。

 普通に生活していれば感じることの無い、ありありとした殺気とでも言うべき何か。

 を人型の生き物からハッキリと向けられる恐怖は、実際かなりのものだった。

 ボクの場合は、ゴブリンの前にファングラビットという異常に牙の発達したウサギ型モンスターと何回か戦った後だから、冷静に対処できただけだと思う。

 普通なら最初はまともに戦えないだろう。


 それなのに……ブリジットは違った。


 ひときわ背の高い草の茂みをかき分けて現れた三体のゴブリンに向かって、そのガサガサという音を聞きつけてすぐに抜き放っていた曲刀でいきなり斬りかかっていく。

 狙いは一番最初にこちらに気付いたゴブリン。

 サラ師範に最近ずっと教わっていた突き技が綺麗に決まった。


 突然、仲間を突き殺された二体目のゴブリンは酷く混乱している。

 そこにブリジットの曲刀が素早く振り下ろされたのだから堪らない。

 先に眉間を突かれて倒れた仲間の遺体に折り重なるように倒れ伏す。

 三体目のゴブリンはボクが魔法で仕留め、あっという間にボク達パーティの初戦闘は終了した。


 ゴブリンの討伐証明部位は、その尖った耳だ。

 ブリジットには武器の手入れを優先させて、その間にボクがゴブリンの耳を切り取り、専用の袋に入れる。

 この袋は父さんからのプレゼントで、父さんが冒険者時代にダンジョンで見付けたっていう、ちょっとした魔法の品だ。

 ボクが十三歳になったお祝いという話だったけれど、これは素直に嬉しかった。

 見た目よりも多く物が入るマジックアイテムは貴重品で、そうそう手に入らないらしいし。


 いきなり凄惨な場面を見せられたマリアは、さすがに青ざめていた。

 対してブリジットは、落ち着きはらっている。

 ブリジットは、初めてカール先生に連れられてモンスターと戦い始めた頃のボクより、よっぽど覚悟が出来ていたらしい。


「運が良かったな。初戦闘が、こうした形になってさ」


 ボクの視線に気付いたブリジットが、少し照れたように言う。


「狙ったワケじゃないけど、結果的にボク達が奇襲したみたいになったしね」

「いや、それもそうなんだけどさ……ジャンはビギナーズフリーズって聞いたこと無い?」

「それは聞いたこと無いなぁ」

「そっか。モンスターと初めて戦う冒険者によくある話らしいんだけどね。敵意を向けられるのに慣れていないせいで、怖くて固まっちゃうんだって」

「なるほどね。今回はゴブリンに敵意を向けられる前にブリジットが攻撃してたから、それは起こりようが無かったワケだ」

「そういうこと。ちょっと手は震えたけど、突きが急所を外れなくて良かったよ」


 ……手が震えてた?

 それは全く気付かなかった。

 ハタから見てる分には、いつも通りの見事な突きにしか見えなかったけど。


「ブリジットは凄いね。お兄ちゃんも……」

「マリア、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」

「うん……大丈夫。ゴメンね、お兄ちゃん。ちょっとビックリしちゃっただけ」

「慣れるまで無理はしなくて良いからな」

「うん。でも次は大丈夫」


 気丈に頷くマリアだけど、やっぱりまだ少し青白い顔をしている。

 ブリジットは平気そうだけど、場合によっては早めに引き返すことも視野に入れておいた方が良さそうだ。


「ジャン。アレって、もしかして?」


 ブリジットが指差す方向に居るのは、どうやら野生の鹿のようだ。

 さっきのゴブリンは、もしかしたらあの鹿の痕跡を追っていたのかもしれない。

 野生動物が全て魔物と化すワケでは無いという話はサンダース先生の授業で聞いていたから知ってたつもりだったけど、こうして実際に野生の鹿を目にすると、ちょっと感慨深いものがある。


「うん。野生の鹿みたいだね」

「残念だな……」

「ん?」

「弓矢を持って来ていないのもだけど……もし仕留めても、さすがにアレは持ち帰れないもんなぁ」


 そう言うブリジットの視線は、ボクの腰にくくりつけられた魔法の収納袋に向けられている。

 ……ブリジットは思っていたよりずっと逞しい女の子だったらしい。


「えーと、そうだね。またの機会にしようか」

「あぁ。マリアも少し落ち着いたみたいだし、そろそろ先を急ごう」


 目指す林はまだ先だ。

 気を取り直して進もう。


 ◆


 結局、林に到達するまでの間に遭遇したモンスターは、さっきのゴブリンぐらいだった。

 町の南側は平坦で起伏の少ない地形が続いているだけのこともあって、生息しているモンスターが少ないみたいだ。

 一度だけ遠くの方にいるゴブリンを見掛けたけれど、あちらは二体でこちらは三人。

 近づく前に逃げられてしまっていた。

 これがダンジョンの中の話だったら、ゴブリンも果敢に襲い掛かってきていたかもしれないけど、普通はこんなものらしい。

 ゴブリンの頭はそんなに良くないというけれど、かといって決してバカでもないみたいだ。

 不利を承知で向かって来るほど、好戦的でも無いのだろう。


 そんなゴブリンが、この林に入ってからは頻繁に襲い掛かって来ている。

 一度に同時に現れる数も多い。

 木の上から粗末な弓で、ボクらを狙って矢を放ってくるヤツまでいた。

 矢の先端には錆の浮いた金属だったり、尖った石の矢じりが取り付けられていて、当たれば無傷とまではいかなそうだ。


 それにしても……おかしい。


 この林に生息しているというモンスターはゴブリンばかりでは無いハズなのに、さっきからゴブリン以外の姿を見ていない。


「ジャン、これはちょっとおかしくないか?」

「そうだね。明らかにゴブリンが多すぎる。これは、もしかしたらこの先に有るっていう村にも異変が起きているかもしれないぞ」

「お兄ちゃん、異変って何?」

「考えたくないけど……やられちゃってるかもしれない」

「え! だって、そうした農村には領主様が派遣した騎士団の人が居るんでしょ?」

「そうなんだけどさ。一口にゴブリンって言っても色々と居るらしいし、中には魔法を使いこなす上位個体も生まれることが有るって話だ。他にも……っと、危ない!」


 マリアがこちらを向いている隙を狙ったのか、木の上に息を潜めて隠れていたらしいゴブリンから矢が放たれた。

 咄嗟にマリアの腕を取って抱き寄せ飛来する矢から守ると、さっきまでマリアが立っていた場所の近くの地面に矢が突きたつ。

 何もしなくても当たらなかったかもしれないが、そんなことはどうでも良かった。

 カウンターで水弾の魔法を放ってゴブリンの頭に大きな穴を開けつつ、周りを改めて見回す。

 どうやら珍しく単体で仕掛けて来たらしい。


「ありがと、お兄ちゃん。もう大丈夫だから離して……」

「あ、ゴメン」


 思わずギュッと抱き締めてしまっていた。

 ちょっとマリアの顔が赤い。

 苦しかったのかもしれないな。


「相変わらず仲が良いな。それはそうと……もしそんな上位個体が居るとしたら、私達だけじゃ手に余るんじゃないか?」

「そうだね。さっき言ってたゴブリンシャーマンやゴブリンメイジみたいな魔法を使うゴブリンもだけど、もっと厄介なのはゴブリンの群れを統率するタイプの連中だ。個体の強さはともかく、数だけは多いゴブリンがきちんと連携してくるとなると……」

「かなりマズいね、それは。どうする、ジャン?」

「そうだね。まだ憶測の域を出ないけど、騎士にも勝てるほどのゴブリンが居るとなると、さすがにちょっとキツいと思う。今すぐ引き返すか、このまま進んで村の状況を確認してからギルドに報告するか、そのどちらかかな」

「だったら……ここは進むべきじゃないかな? 同じ引き返すんでも、ギルドに報告することの出来る情報の精度がまるで違う。もちろん、それが危険を伴うことなのは承知しているから、ジャンが今すぐ引き返すって言うんなら従うけどさ」

「私は……今すぐ引き返す方が良いと思う。明らかに変だってことだけは事実なんでしょ? それだけ分かってたら、今は充分なんじゃない?」


 ブリジットの意見も、マリアの意見も、どちらも理解出来るし間違ってはいないと思う。

 見事に二人の性格の違いが反映されている。

 結局のところ、こうして二人の意見が違っていた場合に、ボクの意見が最終的に採用されてしまいそうなのは、これからも変わらないのかもしれない。


「よし、決めた!」

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