第50話

 あれから数日。

 アネットさん達は毎日のように神聖王国に通っている。

 ボクは……色々だ。

 私塾、道場、カール先生のアトリエ。

 アネットさん達と行動を共にするのは、毎日のことでは無い。


 今日はマリアの十二歳の誕生日。

 食卓は普段よりも豪勢なもので、マリアの好物が多く並んだ。

 父さんも仕事から早く帰って来ていて家族全員でマリアを祝った。


「お兄ちゃん……私ね、気付いちゃったんだ」


 食事の後……マリアが話が有るというから部屋を訪ねたんだけど、ボクが部屋に入るなり真剣な顔でそう告げたマリアの表情を見て、ボクはついにこの日が来たんだなと、どこか他人事のように思ってしまう。


 ボクとマリアは同い年だ。

 生まれた日は違う。

 つまり双子というワケでは無い。

 たまたま同じ年のうちに生まれた兄妹……そうだったら、どんなに良かっただろう。

 ボク達の誕生日は、そう離れていない。

 エルの一件が起こる少し前に十二歳になったボク。

 それから、今日でちょうど百五十日。

 一部の獣人族を除いて、普通の人はそんなに早く次の子供を産めない。

 だいたい三百日以上は、お腹の中にいる種族の方が多いらしい。


 つまり……ボクとマリアは本当の兄妹では無いということになる。


 ボクがこのことに気付いたのは、けっこう前。

 サンダース先生の私塾に通い始めてすぐだったから、今から三年近く前の話だ。

 ちょうどトーマスに、年の離れた弟が生まれたのがきっかけだった。

 トーマスには他にも弟や妹がたくさん居て、彼らの誕生日をトーマスに尋ねたことで見えてきたことがある。

 彼らの中には、いわゆる年子の子達もいたことだし……。


 もしかしたら意外に思われるかもしれないけれど、私塾でこういったことは習わない。

 だけれどサンダース先生がボクら塾生に無料で貸し出している本の中には、こうしたことが書かれている物も有った。

 マリアはあんまり読書が好きじゃない。

 たまに本を借りて来ても、読んでいたのは恋物語か、おとぎ話。

 いわゆる知識書の類いは見向きもしない。

 だからマリアがボク達兄妹の秘密に気付くとしても、それはずっと先の話だと思っていた。


「……何が?」


 薄々ムダだろうな、とは思いながらも一応とぼけてみる。


「やっぱり、お兄ちゃんは知ってたんだね。私達、本当の兄妹じゃないってこと」

「うん、まぁね」

「いつから?」

「三年ぐらい前かな」

「そっか……」

「うん」


 それきり黙ってしまったマリア。

 ボクも何か言ってあげたいんだけど、何を言ったら良いかが分からない。

 これが父さんや母さんから告げられたことだったら、ボクもマリアも『何で隠してたの?』だとか『どっちが本当の子供なの?』と、すぐに聞けたのかもしれなかったけど……。

 ボク達は二人とも、その答えを知らない。

 憶測で喋れば、それだけお互いを傷付けてしまいそうで、なのにそうした事実は知りたくて……。

 本当は知りたくなかったし、気付きたくもなかったんだけど。

 それは多分マリアも同じだろう。

 だから中々お互いに口を開けない。


「……ねぇ」

「ん?」

「お兄ちゃんはさ……私のこと好き?」

「大好きだよ。そんなの決まってるだろ?」


 嘘偽りの無い気持ちだ。

 ボクはマリアを……妹を……ちゃんと大好きでいられた。

 もちろん家族として。兄妹として。

 これはボクの数少ない誇りだ。


「私もね……お兄ちゃんが大好きだよ。父さんのことも、母さんのことも、本当に大好き」

「うん、ボクもだよ」

「……そっか」

「うん」

「イヤだなぁ。私が父さんと母さんの本当の子供じゃないのもイヤなんだけどね。だからと言ってお兄ちゃんが本当の家族じゃなければ良いなんて、ちっとも思えないの」

「それはボクが気付いた時も同じだったよ」

「スゴいよね、父さんも母さんも」

「ホントだな。二人の態度から本当のことを知ろうとしたけどさ。全然、分からない」

「お兄ちゃんでも?」

「うん。ボクでもだ」

「お兄ちゃん、人を見る目は確かなのにね」

「ボクはそんな風に思ったこと無いけどね」

「ウソ。みんな言ってるよ? 父さんも、母さんも、ナタリーも、キャサリンも、ブリジットも、アネットさんも……みぃんな」

「何でだろ? なんか全然そんな実感ないや」

「あははははは。変なの~」


 ようやく笑ってくれたマリア。

 目は真っ赤だけれど、いつものマリアの笑顔に見える。

 もう一頑張り。


「あぁ、おかしい。それね、私が最初に言い出したんだ。キャサリンのお父さんのお店で事件が有ったでしょ? あの犯人を当てた時」


 キャサリンのお父さんは、そこそこの規模の商会を営んでいて、従業員の数も多い。

 冴えない中年といった印象の番頭格のおじさんが、たまたま美味しいけど高いと評判の店から出てきたところを見掛けただけだ。

 まだ男女の垣根無く遊んでいた当時の話。

 売り上げ金の一部を日常的に着服していた人だったらしい。

 美味しいものを食べて来たばかりのハズなのに、浮かない顔をしていたのがどうしても気になって、ポツリとキャサリンに漏らした言葉がきっかけで、その人は町の衛士隊……父さん達に捕まった。

 それがきっかけだと言うのなら、やっぱり買いかぶり過ぎだ。

 あんなの誰だっておかしいと思うハズだし。


「それだけじゃないよ? おチビのカルロスの手先が器用なのに最初に気付いたのだって、お兄ちゃんでしょ。ナタリーが今の性格になったのも、お兄ちゃんがきっかけなんだよ。ナタリー、無理してたもん」


 カルロスの手先が器用なのは誰だって気付く。

 カルロスは私塾を出たら、今から出入りしている銀細工の工房に正式に弟子入りすることが決まっているけれど、将来は独立して王都に工房を構えたいらしい。

 ボクの見立てでは、既に師匠の腕前を超えている。

 きっと夢は叶うハズだ。

 ちなみにカルロスのお父さんはこの国では有名な歌い手だけど、そっちは根本的に向いていない。

 ……カルロスは音痴だ。


 ナタリーの性格がボクやトーマスなんかより、よっぽど男の子らしいのは誰だって分かると思う。

 ナタリーのお母さんは、ナタリーをまるでお姫様のように着飾らせるのが大好きだったし、口調や歩き方まで常にチェックする人だった。

 そんな風に育てられたせいか、ナタリーは最初ボクらにまざって遊ぶことさえ控えていたけれど、本当は一緒に遊びたかったのが見え見えな顔でいつもついて来て……。

 突然、ナタリーが長く伸ばした髪の毛をバッサリ切って男の子みたいな格好で私塾に来た時も、ボクは全く驚かなかった。

 でも……ボクがきっかけ?

 何か言ったっけ?


「……何その顔? まさか、お兄ちゃん覚えてないの?」

「えーと、ゴメン。全く心当たりが無いや」

「似合わない……そう言ったんだよ。ナタリーの髪型も、お嬢様口調も、キラキラした格好も、ぜ~んぶ似合わない。お兄ちゃんが言ったことでしょ?」

「そうだったっけ?」

「うわぁ……ホントに覚えてないんだね。ナタリー、今でも感謝してるのに」

「感謝?」

「うん、感謝。お兄ちゃんの一言のおかげで、ナタリーは本当の自分になれたって、今でも思ってるんだよ」

「……あ」

「思い出した?」

「うん。だってさ……変だったろ? あんなに似合わない格好してる子、それまで見たこと無かったし」

「そう思ってたの、お兄ちゃんとナタリーだけだからね? 分かった? 自分がどんなに普通じゃないか」

「そんなこと言われてもなぁ……」

「うふふ……変なの。みんながお兄ちゃんは普通じゃないって思ってるのに、お兄ちゃんは自分のこと普通だって思ってるんだよね。だから、こんなに食い違っちゃってる」

「そうなのかな? 自分じゃ自分のことは分からないからね」


 ……良かった。

 もう、すっかり普段のマリアだ。


「お兄ちゃん……」

「ん?」

「私ね、お兄ちゃんの妹で良かった」

「そう?」

「そう。だからさ……父さんと母さんが教えてくれるまで、私も知らなかったことにするよ。お兄ちゃんも、そのつもりなんでしょ?」

「……うん」

「そっか。やっぱりね。お兄ちゃん、スゴいね。えらい」

「えらい? ボクが?」

「そうだよ。だって、ずっと前に気付いてたんでしょ? なのに私はもちろん、父さんにも母さんにも、お兄ちゃんが本当のことを知ってるって気付かれてないじゃない」

「……そうかな? 母さんにだけは気付かれちゃってる気がするけど」

「そうなんだ。母さんもスゴいんだね」

「うん。母さんは本当にスゴい人だよ。父さんも、ボクらが思ってたよりずっと強かったみたいだけどね」

「そうなんだ。あの父さんが……何か想像がつかないや」

「父さん、優しいもんな」

「うん。優しいのはみんな優しいけど、父さんは格別だもんね」

「マリア」

「なぁに?」

「誕生日おめでとう。改めて言うよ。マリアがボクの妹で良かった」

「うん。ありがとう、お兄ちゃん。私も同じ気持ち」

「そろそろ寝よっか?」

「そうだね。あ、そうだ! お兄ちゃん今日は、一緒のベッドで寝ない?」

「……兄妹だから?」

「うん! 兄妹だし」

「仕方ないなぁ。今日だけだよ?」

「うん、今日だけ。ありがとう、お兄ちゃん」



 ボクが寝支度をしてから再びマリアの部屋を訪れると、先に支度を終えたらしいマリアは既に可愛らしい寝息を立て始めていた。

 ボクをマリアを起こさないように、そっと体を横たえる。

 ベッドが狭い。

 三年前までこのベッド一緒に寝ていたけれど、その時は全然そう思わなかったのに。


 ……マリアの目元には、新しい涙の跡が有った。


 灯りを消して、ボクも目を閉じる。

 明日からも頑張らないとな。

 今夜は、なかなか寝付けそうに無いけれど……。

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