第11話
先ほどまで熾烈な模擬戦を繰り広げていた師範代同士が最後に退出すると、道場にはサラ師範とボクだけが残っていた。
「それ、さすがに昨日の今日で治るような傷じゃ無かったハズだがな。ジャンの身内には、どこかの神殿関係者が居るのか?」
「いえ、居ませんね。顔に傷が残ることを母が嫌がりまして……どうにかツテを辿って太陽神の神殿で治してもらいました」
「……ふむ。あれしきの傷で、か? 随分と蓄えが有ったとみえる。それが本当ならな」
「やだなぁ。本当ですよ」
「ジャンが女の子ならな。分からないでも無い。だが、傷が残ると言ってもほんの僅かなものだぞ? 高い金を支払ってまで治すほどのことか? あの時間帯からだと順番の割り込みなり、時間外料金なり……ちょっと考えただけでも、かなり高額になりそうだがな」
絶対に有り得ないとまではサラ師範も言わない。
言わないが、明らかに疑っている。
無理もない。
ボク自身、昨夜は『ちょっとぐらいの傷跡なら、むしろ勲章みたいなものですから』……などと気安く口にしたうえで、手当てもそこそこに帰宅してしまった。
サラ師範があまりにも申し訳なさそうにしていたから、ボクも少しだけ強がってしまったワケだが、それが結果的にこうしてサラ師範の疑念に繋がっている。
まさか、にわかにマリアが神聖魔法に目覚めるなどとは夢にも思わなかったとはいえ、自分で自分の首を絞めているようなものだ。
「ご心配をおかけしてすいませんでした。まぁ、ボクも大袈裟だとは思ったんですけど母がどうしてもと言って聞かなくて……」
「そうか。まぁ、それならそれで良いんだが……治療費はこちらで負担するから、今度来る時に請求して欲しい。正確に幾ら掛かったか分かるんなら別に今でも良いぞ?」
……あ、そう来られるとは思わなかったな。
どうしよう?
「ジャン、どうした? 急にバジリスクの呪いでも受けたかのように固まって。まさか本当に石になったワケでも無いだろ? なんだ、そんなに高かったのか?」
「いえ……別にそういうワケじゃないんですけど、何だか申し訳なくって。それにボクの不注意で負った傷ですし、やっぱり師範から治療費を頂くワケにはいきませんよ」
「何だ? 何を隠してる? ジャンは気付いてないのかもしれないがな。君がフェイントを掛ける時に出るのと同じ顔のこわばりが、さっきからずっと出てるぞ。ジャンはそういうのを隠すのがかなり上手い方だし、普通なら気付かれないレベルの話だが、少なくとも私には分かる」
何、その眼力。
ある意味、バジリスクよりタチが悪い。
ここは変に隠そうとしない方が良さそうだ。
「実は……誰にも言えないんです。サラ師範が信用出来ないとか、そういう話じゃなくて、少なくとも来年までは内緒にしておかなくてはいけない事情が有るんです」
「む、そうか。だが、その言い方だと答えを言っているようなものだぞ?」
「サラ師範だから、きっと大丈夫です。そうですよね?」
「……まぁ、私は武神以外の信仰は無いからな。だがまぁ、気を付けることだ。昨夜のジャンの傷を知っているのは大した人数じゃないし、どうやら皆そういう意味では問題無い連中だったみたいだが、それはただ運が良かっただけだ。全知全能の唯一神とやらを信仰している連中は、どこにでも居る。知られていたら今頃はもう、ジャンの家に勧誘が押し掛けて来ているぞ?」
「……やっぱり?」
「あぁ、確実にな。これからは慎重に行動しろ。それで? ジャンがそうなのか? いや、済まない。それは言わなくて良い。隠すっていうことは、この町に神殿の無い特殊な神なのだろう? それこそ太陽神の神殿にでも仮の後ろ楯になって貰えば良いと思うが、ツテが無いなら紹介しても良いぞ? 期待の愛弟子が、稽古に身が入らない姿はこれ以上、私も見たくないんだ」
サラ師範は、やはり善人みたいだ。
……恐ろしく鋭いが、さすがに全ての事情を言い当ててられたりはしなかった。
サラ師範は僕がそうだと思っているようだが、神聖魔法を習得したのは妹のマリアだ。
マイナーな神様から神託を受けて困っていると推測しているみたいだけど、それも正確には違う。
あと、ボクが稽古に集中しきれなかった理由は、ランバート師のインパクトが強烈過ぎたからで、神聖魔法の件が原因では無い。
しかし、実際どうやって穏健な万神教の神官の方に繋ぎをつけようか悩んでいたところだし、ここはサラ師範のご厚意に甘えてしまうのが良いような気もする。
『マイナーな神様は、全て唯一神の天使(手下)』
『メジャーな神様も、唯一神の仮の姿に過ぎない』
そんな罰当たりなことを平気でのたまうのが、唯一神の教団だ。
唯一神の教団に目をつけられる前に、万神教のいずれかの神殿の庇護下に入れてもらうぐらいしか、マリアが自由に暮らせる可能性を残す方法は無い。
「サラ師範、ご紹介をお願いしても良いでしょうか? 正直、そのお申し出は何よりも有難いです」
「よし……任せておけ。明日の夜にでもジャンの家に連れて行く。ちょっと変わったヤツだが、こと信仰に限って言えば信用出来るヤツだから、どうか安心して欲しい。稽古の都合上どうしても、このぐらいの時間帯になるが良いか?」
「はい、もちろんです。よろしくお願いします。詳しくは、その時に……。ボクが居残り稽古しないことを変に思われないよう、明日は休ませて頂きますね」
「そうだな。ジャンが居残りしないなんて、不自然過ぎるものな。トーマスには腹痛とでも言っておけ」
「あ、それが……明日は私塾の方も休むことになっているんです。例の来年から通う筈だったランバート師の隠居所……じゃなかった。アトリエの方に明日は顔を出すことになっていまして」
「そうなのか? じゃあ、変な嘘はつかなくて良いな。分かった。じゃあ、明日これぐらいの時間に伺うことにしよう。ご両親には前もって話をしといてくれ」
「はい、分かりました。それでは……」
「あぁ、気を付けて帰るんだぞ?」
◆
「そう。分かったわ。ジャンが大丈夫だって言うなら、大丈夫なんでしょう。父さん今夜は遅くなるみたいだから、私から話しておくわね」
叱られるかもしれないと思いながら母さんに話したんだけど、返って来たのは意外にもこんな言葉だった。
「お兄ちゃん、ありがとう。何だか、今から緊張しちゃうね」
マリアまで、こんな調子だ。
ボクって、そんなに信用されていたのか……。
「……その、ゴメンな。隠しきれなくてさ」
「見抜かれちゃったんでしょ? お兄ちゃんは悪くないよ。それにお兄ちゃんの人を見る目は確かだもん。サンダース先生のとはまた違う意味だけどさ。心配いらないと思うな」
「そうね。私もそう思うわ。ジャンが騙されたんなら、諦めがつくというものよ。それに……いざとなったら、それこそ私と父さんがお爺ちゃんに頭を下げて、私の実家で匿って貰えば良いだけの話だもの」
「母さんの実家ってウェルス帝国なんだよね? 帝都ってどんなとこなの? お爺ちゃんって、どんな人?」
「良いところよ。きっとマリアも気に入ると思うわ。帝都はとにかく人が多いし街も広いなんてものじゃないから、最初は大変かもしれないけれどね。お爺ちゃんは……まぁ一言で言うなら趣味人かしら。きっとお金が有り余ってるから、あんな風になっちゃうのよね」
ため息を吐きながら母さんがマリアに話した内容……これはボクも以前、同じ説明を聞いたことが有った。
母さんと祖父の仲が悪いのは、どうやら駆け落ち以前かららしい。
世界屈指の大商人かつ魔道具コレクターとしても有名な祖父。
帝国はじめ主要な大国それぞれで、名誉爵位を拝領するほどの実力者だ。
この町には支店が無いけど、王都にいけば凄く立派な支店が有るのは、ボクでさえ知っている。
そんな『奥の手』が有るから、気楽に構えていられる部分もきっと有るのだろう。
「ごちそうさま。じゃあ、ボクはこれで……」
「あ、お兄ちゃん早い。ちょっと待ってよ」
「マリア、ちゃんと残さず食べなさい。好き嫌いは良くないわよ?」
「だって……私、これ苦手なんだもん。お兄ちゃんにあげようと思ってたのにぃ」
美味しいのにな、それ。
まぁ、マリアの好き嫌いが直らないのはボクのせいでもあるから、今夜は遠慮するとしよう。
そういえば……今マリアが嫌がりながらもようやく口に運んだ『ナットー』も、祖父の商会が初めに売り出したんだったかな。
ネバネバの食感がたまらない。
匂いだけは少しアレだけれどね。
慣れたら気にならない。
さてと……今夜はサンダース先生から習った魔法の総復習だ。
しっかり練習しておかないと。
ランバート師にガッカリされないように。
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