第8話

「来年から……ですか?」

「うむ。親御さんと相談する必要もあるじゃろうし、返事はすぐで無くとも良い。妹のマリア君も実に優秀じゃが、マリア君の適性は恐らく神聖魔法にこそあるのではないかの。実に優しい子じゃし……」


 サンダース先生に居残るように言われたボクは、先生から思わぬ提案を受けた。

 今年で先生の私塾に通う年齢としては最後になる。

 来年からは剣術道場に専念するか、冒険者見習いとして、ダンジョン通いの冒険者パーティにどうにか入れてもらって荷物持ちでも始めようかと思っていたところだったボクとしては、サンダース先生に高く評価されたからの提案とはいえ、非常に悩ましいところだ。


 サンダース先生の昔の弟子……先年まで王都で宮廷魔術師を務めていたカール・ランバート師が引退し、故郷であるこの町で悠々自適の隠居生活を始めたのは、最近この町を賑わせたニュースだったりするのだが、彼の弟子兼研究助手としてサンダース先生がボクを推薦してくれるらしい。

 ランバート師は独自の魔法理論で王国を著しく発展させたことで有名だが、同時に酷く気難しいことでも知られている。

 今回の引退も、本来なら王位を継ぐ正統性を持っている筈の王子が幼いことを理由に退けられ、先王の弟が無理やり気味に王位に就いたことに不満を持っての行動だと噂されているぐらいだ。

 本人は高齢と研究に専念したいということを理由として、そうした噂を否定しているが誰もそう思っていないらしい。


 そんな人の下で魔法を学ぶ?

 光栄なような気もするが、かなり苦労もしそうだ。

 これは簡単には決められそうにないぞ。


「ちなみに……ボクが断った場合は、どうされるおつもりですか?」

「うーむ。正直ジャン君以外は考えにくいのぅ。素質だけで考えればマリア君でも良いのだろうが、アレは噂以上に面倒なヤツじゃからの。マリア君の性格では恐らく三日と保たんじゃろう。他に思い付く人材は、冒険者なり何なりで既に一定の成功を収めておるしのぅ。ま、儂からは推薦出来る者が居らんかったという話になるだけじゃろうな」

「それでランバート師は、問題無いんですか? 助手が居ないと困るのでは?」

「いや、そんな心配は要らんよ。こないだ茶飲み話に誰か有望な者は居らぬか尋ねられたから、君のことを話しただけじゃし。そんなに優秀な子なら、弟子兼研究助手という体裁を取って鍛えさせて欲しいという、アレなりの老後の暇潰しじゃろう。あ……これは話したらマズかったかのぅ。年はとりたくないものじゃ」

「え、それじゃ初めからボク以外を推薦する気が無いってことなんですか?」

「……今さら隠せんのぅ。そうじゃよ。何が有ったのかまでは知らぬが、君は急に眼の色が変わった。それまでは、これだけの才能の持ち主が出来が少し良い程度で終わるのかと、儂なりに残念に思っていたのじゃがな。君は変わったよ。何というのかのぅ。貪欲になりよった。もちろん良い意味でじゃ」

「そう……ですかね?」

「そうじゃよ。何なら別人に乗り移られでもしたのかとさえ疑ったぐらいじゃ。どうやらそんなことも無さそうじゃったがの。アレが隠居せなんだら、王都の学院にでも推薦状を書いてやろうと思っておったのじゃがな。手間が省けたわい」


 サンダース先生の私塾から王都の魔法学院へ。

 何年かに一人は、そうして自分の未来を切り拓いた先輩が居ることは知っていた。

 しかし、ボクは身近にマリアというボク以上に魔法的才能に優れた存在が居たせいか、あまりそんな可能性を感じていなかったのだ。

 もし行けるとしても、マリアと共に推薦される可能性が僅かに有るか無いか。

 ウチの家計で二人分の王都滞在費は出せないだろうから、その場合はボクが身を引くつもりだった。


「ありがとうございます。親の許しを得られたらの話ですけれど、ボクとしてはお願いしたいです。ただ……」

「ただ……何じゃ?」

「ボクは剣にも可能性を感じています。ランバート師に弟子入りするとなったら、そちらに通う時間は得られませんよね?」

「何じゃ、そんなことか。そんな心配は不要じゃよ。アレの研究というのは建前じゃ、建前。可愛がっておった王子が王位を継げんかったから拗ねておるのよ。それで引退したのは良いが、アレが高齢というには少し無理がある。まだ、たかだか八十歳かそこらじゃぞ? アレも儂と同じく地這族ミニラウじゃからの。まだまだ百年以上は生きる。そんなアレが引退するには、研究に専念……などという魔導師らしい理由が必要だっただけじゃよ」

「……と、言いますと毎日ランバート師の下に通う必要は無いということですか?」

「三日にいっぺん。大体そんなもんじゃろう。他の日は剣の修行でも、小遣い稼ぎに冒険者の真似事でも、好きにすれば良い」


 サンダース先生はそう言うと、どう見てもボクらと同い年ぐらいにしか見えないその顔を、茶目っ気たっぷりな笑顔に変えた。

 これで百五十歳を超えているというから驚きだ。


 地這族……ミニラウは普通、あまり定住しない。

 サンダース先生やランバート師のような魔導師になるケースも少ない。

 大抵はシーフ(盗賊)やバード(吟遊詩人)として冒険者になるか、それから踊り子や船乗りのように旅から旅の人生を選ぶ。

 好奇心が旺盛で、いつまでも子供のような外見のままの種族だ。

 本来の寿命は二百年ほど有るというが、そうした生き方が災いしてか天寿を全うしたミニラウは非常に少ないらしい。

 例外が、先生達のように魔法の研究などに好奇心を刺激されたケース。

 ミニラウとしては非常に変わり者なのだろう。

 ちなみに……サンダース先生が、わざわざ年寄りくさい喋り方をするのは、単なる趣味だという話だ。

 声質が子供そのものだから、最初はボクもかなり違和感が有った。

 まぁ、今ではすっかり慣れてしまったが。


「そういうことなら、是非ともよろしくお願いします。親も必ず説得してみせます」

「そうか、そうか。アレも喜ぶじゃろう。儂もちょくちょく顔を見せることになりそうじゃし、今後ともよろしくの。あ、そうじゃ!」

「何ですか?」

「マリア君の進路じゃがの、王都の神学校も良いのじゃが、あそこはあまりオススメ出来んのよ。ウェルス帝国に有る帝立大学校とやらに推薦状を書くつもりなのじゃが……本人や親御さん達にそれとなく聞いておいてくれぬか? ジャン君がアレの弟子になってくれるのなら、マリア君の学費や諸費用は全額アレが出すと言っとる」


 ウェルス帝国……この国の北側に位置する大国だ。

 距離的にはそれほど離れてはいないが、国境は接しておらず、この国とは微妙に険悪な関係だったりもする。

 そこにマリアを一人で留学に出す?


 ちょっとボクの一存では何とも言えないな、これは。

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