第5話

 秘密のアジトとは名ばかりのボロ小屋……そこに潜んでいたらしい軽装の冒険者。

 不用意にボロ小屋に近付いて行ったマリアが捕まった。

 ボクが気付いた時には、もう既に鋭いナイフがマリアの首筋に添えられていた。


「……動くなよ? どっちがご令嬢だい?」


 隙を見て眠りの霧の魔法を掛けるか、石でも投げつけて……と身構えたボクの動きは、その一言で完全に止められてしまう。


「自分ではそんな大層な身分だとは思っていませんが……ヨーク男爵の私生児なら私です。二人は関係ありません。マリアさんを離して下さい」


 ボクが次の手を考えて口籠っている間に、エルは真っ直ぐに冒険者の方を向いて答えてしまった。

 もしも、マリアの方を男爵令嬢と上手く誤認させられたなら、少なくともマリアを刺し殺す選択肢を奪えていたかもしれないけれど、どのみちエルと打ち合わせをする暇も無かったし、騙せる確率は凄く低かったとは思う。

 でも、実際どっちか分からないという状況は今からでも作れるかもしれない。


「おじさん、何か勘違いしてません? 僕らはここに遊びに来ただけで……」

「お兄ちゃん、私は良いからエルを連れて逃げて!」


 マリアが素直な子に育ってくれて、お兄ちゃんは嬉しいよ……じゃなくて!

 二人とも正直すぎでしょ。

 ボクがひねくれてるみたいじゃないか。

 どうにか誤魔化して……っていうのは、もう無理だろうな。


「そんなに心配しなくても、大人しくしてれば誰も怪我させずに、ウチに帰してやるよ。どうやらオレの後輩みたいだしな」


 後輩……なるほどね。

 ボク達が通って来た道は、大人が誰も知らない道っていうワケじゃ無い。

 ボクとマリアの通う私塾に、子供の頃に通っていた男の人なら、大体はここに遊びに来たことが有るだろう。


「どうして、ここに来ると?」

「確信が有ったわけじゃ無いけどな。あんだけの人数が探し回って見つからないなら、もしかしたらってとこだ」

「誰も通った形跡は無かったけど……」

「そりゃ子供なら、あの道しか通れないだろうけどな。どうせパン屋の屋根を渡って来たんだろ? あそこからなら、大して痕跡を残さず先回り出来ると思わないか?」


 ……確かに。

 紋章の仕掛けなんかは誰かが使えばそれまでだけど、館から用意されていた抜け道が終わってからの比較的新しいルートは、冒険者で食べていけている様な大人なら、そこまで苦労せずに通れそうな気がしないでもない。

 塀伝いに歩いてパン屋の屋根……そこから柏の大木に飛び移って今度は木登り……子供にとってはかなりの大冒険なんだけど。


「まずは妹を離してくれませんか? 少なくともボク達は抵抗しませんから。エル、ゴメンね。結局、力になれなかった」

「良いんです。マリアさんを危険な目に遭わせてしまって、私の方こそゴメンなさい」

「お兄ちゃん、エル! 何をのんびりと話してるのよ! エル、絶対に来ちゃダメだよ!」

「おい、あんまり暴れるな! 危ないだろ!?」


 自分でナイフを突き付けておいて危ないだろって……クソ、何か良い手は無いのか?


 あ、そうか!


「マリア、大人しくするんだ。エル、マリアが解放されるまではここに居てくれ」

「え? でも……」

「ちょっと! お兄ちゃん、コイツの言うこと聞いちゃうの!?」

「お嬢様さえ、こっちに来てくれれば解放するっての。さぁ、早く」

「ダメです。妹の解放が先です。ほら……怖がってるじゃないですか」


 別に嘘じゃあ無い。

 マリアは口でこそ強気なことばかり言っているけど、よく見れば微かに震えているし顔色も良くないのが分かる。

 そりゃあ怖いだろう。

 見ず知らずの男に捕まって、ナイフを突き付けられているんだから。


「……ダメだ。どうせコイツを離したら、一か八かでお嬢様を逃がしてみようってんだろ? なぁ、何でそこまで庇う? お嬢様とは今日が初めてだろ?」

「ろくに知りもしない人と結婚させられちゃうんだよ!? 可哀想じゃない!」

「お前には聞いてねぇっての。坊主、お前だよ。何で、肩入れしてんだ?」

「うーん……エルが今まで見たこと無いぐらい可愛い子だから、かな?」

「ジャンさん!?」

「お兄ちゃん、こんな時に何言ってるの!?」


 マリアが顔を真っ赤にして怒って……エルはエルで真っ赤になっていて……冒険者のおじさんはキョトンとしていて……ボクは精一杯の真顔だ。

 顔は赤いかもしれないけど。

 呆気に取られたように見えた冒険者は、次の瞬間には大笑いしていた。

 笑い過ぎて苦しそうだ。


「ヒィ……ヒィ。ちょっ、笑わすなよ! マジで言ってるのか、お前? だとしたら大したタマだ。見所あるぜ、ボクちゃんよ」

「ジャンさん、私……」

「何だよ! 事実なんだから仕方ないだろ!」

「お兄ちゃん……」


 ますます赤くなるエル。

 マリアは呆然。

 冒険者はまだ笑っているが、さっきとは違って苦笑というところだ。


「まぁ、良いや。来ねえってんなら、こっちから迎えに行くまでだ。おっと……動くなよ? 手が滑って妹ちゃんがケガしても知らねぇからな。おい、歩け!」

「イヤ!」

「マリアさん、私は大丈夫ですから、その人の言う通りに……」

「ちょっと待って下さい! ボク達も苦労してここまでエルを連れて来たんです」

「……何が言いたい?」

「初恋は……諦めます。もし無事にここを切り抜けても、今度は身分違いってことになりますし、エルもこの町から居なくなってしまいますから」

「それはそうだろうな。それで?」

「それならば、ボク達がエルを貴方のところに連れて来たことを評価して頂いて、成功報酬の内の幾らかをボク達に分けて欲しいんです。最近、お小遣いが少なくって……」

「ちょっと! お兄ちゃん、今度は何を言い出すの?」

「何だよ、マリアが捕まるからいけないんだろ? マリアだって、エルのリボンが欲しそうだったじゃないか?」

「……最低だよ、お兄ちゃん。何で、そんなこと言うの?」

「ジャンさん、もしかして……」


 ……エルは気付いたか。

 頭の良い子だ。

 ますます、政略結婚の道具として差し出すのが惜しくなる。

 マリアは……ダメかな。

 でも今は都合が良いや。


「ボクだって新しい本が欲しいんだよ! 何なら新しい靴でも良い。こんなとこまで来たのに怖い思いだけして終わりって、そりゃ無いだろ?」

「お兄ちゃんだけ、逃げれば良いじゃない! エルも逃げて良いよ。私が何とか時間を稼ぐから……」


 あ、バカ!


「おいおい、ケンカすんな……って言いたいとこだけどな。そうか、お前ら時間稼ぎしてやがんのか? 何を待ってやがる? 言え!」

「時間稼ぎ? ボクはただ、お小遣いを……」

「そりゃ、もう通用しねぇってんだよ! 本当に妹がどうなっても知らねぇぞ!?」

「参ったなぁ、降参です。こんなに時間を稼いでも来ないんだもん。エル、ゴメンよ。これ以上は待ってくれそうに無い」

「ジャンさん……」


 両手を上げて、文字通りに『お手上げ』のポーズをしたボクを見て、激昂しかけていた冒険者も余裕を取り戻す。


「ち! 坊主は本当に大したタマだぜ。おい、嬢ちゃん。もう抵抗すんな。本当にブスリとやっちまうぞ?」

「お兄ちゃん、エル……ゴメンね」


 ようやく……ようやく歩き出したマリア。

 そう、それで良い。

 だって…………もう来ているから。


 見覚えの有るオレンジの小鳥と一緒に、空から飛んで来た青い小鳥。


 冒険者とマリアの背後から高度を下げて……着地の寸前で青い小鳥が姿を変えていく。

 鮮やかな青い外套を身に纏った、背の高いエルフの女の人に。

 エルフの女性は、ボクには到底不可能な速さで魔法を発動させて冒険者だけを眠らせると、マリアが傷付く前に手際良くナイフを奪った。


「エルサリア! 良かった。無事よね?」

「アナスタシアさん! はい。私は無事です」


 ピンチを救ってくれたエルフのお姉さんに、エルが走り寄っていく。

 ボクの方には、マリアが泣きながら駆け寄ってきた。


「お兄ちゃあん……怖かったよぅ。ゴメンね、捕まっちゃって。ゴメンね、酷いこと言って……」

「ボクの方こそゴメン。アイツが隠れているのに気付けなかった」


 グスグスと泣きながら抱き付いてきたマリアを抱きしめながら、同じように抱擁を交わしているエルとアナスタシアさんの方をチラリと見やる。

 どうやらエルの方が落ち着くのが早かったみたいだ。


「キミ達……ありがとう。エルサリアをここまで連れて来てくれたんだってね」

「ジャンさん、マリアさん、お陰様でこうして無事にアナスタシアさんと再会出来ました。ありがとうございます」

「いや、エルも頑張ったから来れたんです。最後の最後で気を抜いてしまいましたし。エル、ハラハラさせちゃったよね……ゴメン」

「お兄ちゃんは悪くないんです。私がヘマしたから……」

「いや、キミだって気丈なものだったじゃないか。私も助けに入る寸前しか知らないが、キミぐらいの年頃の女の子なら、あの時点で泣き出していても不思議じゃないと思うよ」

「マリアさん、そうですよ。私だったら泣いちゃってました」

「……だってよ?」

「もう。お兄ちゃんのバカ!」

「また、それかよ!」


 エルが笑って……アナスタシアさんも優しく微笑を浮かべている。

 それを見てマリアも笑い出した。

 つられてボクも笑う。

 ひとしきり笑い合ううち、マリアの涙もすっかり止まっていた


「さぁ、エルサリア。これ以上、二人に迷惑を掛けないうちに行こう」

「……そう、ですね。ジャンさん、マリアさん、本当にありがとうございました」

「エル、元気でね。さっきお兄ちゃんが言ったことは気にしないで良いから。幸せになるんだよ?」

「……マリア、アレも作戦のうちだったんだぞ? エル、元気で。アナスタシアさん、エルをよろしくお願いします」

「あぁ、もちろんだ。キミ達も気を付けて帰るんだよ?」


 アナスタシアさんは背負い袋から、明らかにサイズの合わないカヌーのようなものを取り出し川にそれを浮かべた。

 なるほど……エルの使っていた魔道具は元々アナスタシアさんの持ち物っていうわけか。

 手を振るボク達に、手を振り返すエル。


 それをボクは複雑な気持ちで眺めていた。

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